本職こぼれはなし(007)

◎Frailty thy name is woman !

デイケアへ通所するIさん、送迎の車から降りても、どこか足元が覚束ない。しばらく診ていないので、「フレイル」が進行したのかなと思いきや、ズボンのゴムが緩んでいた。「Iさん、デイケア」でちゃんと直してもらいや」
「フレイル」という言葉、シェイクスピアの時代からあったようだ。悲劇「ハムレット」で王子ハムレットの母が父王の死後、義理の弟と再婚していたのに憤り、「弱きもの、汝の名は女なり!(Frailty thy name is woman !)と出てくる。Frailty は、「脆い」と訳す方が適切だろう、としんぶん赤旗日曜版 2023年12月3日づけの連載記事「松岡和子のとっておきシェイクスピア」で指摘する。実は、ハムレットの元本は三種類あり、一番古い版でも掲載されているので、一種の慣用句、格言めいたものなのであろう。
「もろきもの、おまえの名は女!(Frailty thy name is woman !)」が現代でも通用するかは、当方の関知するところではない。

フレイルとは、「65歳からの健康づくりのキーワードは「フレイル」(神戸市HP)
「医学用語である「frailty(フレイルティー)」の日本語訳で、病気ではないけれど、年齢とともに、筋力や心身の活力が低下し、介護が必要になりやすい、健康と要介護の間の虚弱な状態のことです。」

図は、しんぶん赤旗日曜版記事より、加工して添付する。

後退りの記(011)

◎ハインリッヒ・マン「アンリ四世の青春」
◎ツヴァイク「メリー・スチュアート」
◎シェイクスピア「マクベス」(岩波文庫など)

1572年、メリーは、すでに廃位の上、イングランドへ移送され、幽閉の身であった。バルテルミーの虐殺を、そこで聞いて、どう感じたのかは定かではない。もはや「ことは終わり」

ああ、わたしはなにであり、わたしのいのちはなんの役にたとうか
わたしは魂のゆけた肉体にすぎない
むなしい影であり、不幸の申し子であり
なりゆくさきは、生きながらの死よりほかはない…

と諦念の呟きだけであった。そう事は終わったのだ、フランスからスコットランドへ移り、王位を手に入れたが、その地の醸し出す独特の土壌の上に、二人の男性を愛し、やがて憎み、破滅へと追いやった。

シェイクスピアは、そのスコットランドを舞台に、悲劇「マクベス」を書いた。

Fair is foul, and foul is fair:
Hover through the fog and filthy air.
きれいはきたない、きたないはきれい。
霧と濁れる空気の中を飛んでいけ!
「マクベス」冒頭場面

メリーにとって、王位につくといった Fair なことも、たとえ、直接手をくださなくても、foul なことも、表裏一体だった。最初の夫(彼女にとっては、フランソア二世が亡くなり、Widow になっているので、二番目であるが)ダーンリの殺害には、

If it were done when ‘tis done, then ‘twere well
It were done quickly: if the assassination
Could trammel up the consequence, and catch
With his surcease success; that but this blow
Might be the be-all and the end-all here,
もし、やってしまってそれですべて決着がつくのなら、
今すぐやったほういいだろう、
もし、暗殺で一切のけりがつくなら、
それで王座につけるのなら、
この世のこの一撃で、一切合財の始末がつくわけだ
「マクベス」第1幕第7場

と、独白したのかもしれない。

Methought I heard a voice cry ‘Sleep no more!35
Macbeth does murder sleep’, the innocent sleep,
Sleep that knits up the ravell’d sleave of care,
The death of each day’s life, sore labour’s bath,
Balm of hurt minds, great nature’s second course,
Chief nourisher in life’s feast,–
「もはや眠るな、マクベスは眠りを殺した」
と叫ぶ声を聞いた気がする、無垢の眠り、
気苦労のもつれた糸をほぐして編むのが眠り、
眠りは、日々の生活のなかの死、労働の痛みを癒す入浴、
傷ついた心の軟膏(なんこう)、自然から賜ったご馳走、
人生の饗宴の主たる栄養源だ。「マクベス」第2幕第2場

三度めのボズウェル伯との電撃結婚もつかの間、伯の反乱の末、メリーは退位を余儀なくされ、イングランドで亡命、その後は処刑まで幽閉の身の上となる。「もはや眠るな、メリーは眠りを殺した」のである。
いくらシェイクスピアが、スコットランドの悲劇に触発されたとはいえ、未来から過去へ逆に操作されたように、数十年後に書かれた「マクベス」の筋書き通りに、メリーは行動したようにも思えるのが、なんとも不思議である。

メリーの先例は、各国にとっても「「レジサイド」(王殺し)」に対して、ずいぶん閾値が低くなった。イギリスでは、メリーの孫、チャールズ一世、フランスでは、ルイ十六世、やがてロシアでは、ニコライ二世とつながるのは、のちの時代の話である。

彼女なりの懸命さで生きている間の様々な出来事は、あまりにも抱えるのが難しかったのだろうし、伝えられていることも、全てではないかもしれないが、これで、メリー・スチュアートの話は、ひとまず幕を閉じることにする。さらば!