日本人と漢詩(001)

◎森鷗外

望斷鵠山城外雲 望断《ぼうだん》す 鵠山《こくさん》 城外の雲
詞人何事淚紛粉 詞人 何事ぞ 涙 紛粉《ふんぷん》たるは
艙窓多少綺羅客 艙窓《さうさう》 多少の綺羅《きら》の客《かく》
不憶波間葬故君 憶《おも》はず 波間《はかん》に故君を葬るを

[簡単な語注]望斷:見えなくなるまで見送る 詞人:鷗外自身 紛粉:多い 艙窓:船の中央部の船室の窓 綺羅:豪華な衣装 不憶:覚えていない 故君:亡きルードヴィッヒ二世

別に古今東西の漢詩に精通しているわけではありませんが、あちこちの所蔵本から、漢詩(日本人が作った漢詩に限定しようと思いましたが、どうやら広く本場のそれにも触れそうなので「の」→「と」しました)を抜書きしてゆきます。語釈や訳文は苦手なので、気が向いたら付けることにします。基本的には、(白文と)読み下し文だけです。できれば、江戸時代を中心としたいのですが、あちこちの時代に彷徨するかもしれません。早速、「脱線」ですが、同業(文学者という意味ではありません 笑)の大先輩に敬意を表して、森鷗外から…
彼の漢詩は漱石のそれに比して「評価」されていません。漢詩に込めた内容など漱石のほうがずっと上でしょう。しかし、なかなか捨てがたいものもあります。彼のドイツ留学時代(1884〜1888)に詠んだ一連の詩群などそうです。ここは、その留学中に衝撃を受け、後に「うたかたの記」(http://www.aozora.jp/misc/cards/000129/card694.html)のバックグラウンドになった、バイエルン王ルートビッヒ2世(http://is.gd/iU4xoW ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ルートビッヒ/神々の黄昏」でも有名ですね)の溺死したシュタルンベルク湖に、事件の数ヶ月後に船を泛べた時の詩。
湖の名、Starnberg は、ムクドリ(鵠)の山という意。着飾った船の乗客と、ついこのあいだの国王の死との対比の中で詞人・鷗外は感じることがあったのでしょう。写真は Wikipedia から(シュタルンベルク湖のルートヴィヒ二世に因む十字架)
【参考】鴎外歴史文学集〈第12巻〉漢詩(上) (岩波書店 ISBN:978-4000923323)より

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