読書ざんまいよせい(012)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)

手帖より
一八九二 年―― 一九〇四年

 人類は歴史というものを、戦闘の系列《つらなり》と考えて来た。なぜなら今までは、闘争が人生の主眼だと心得ていたのだから。

 ソロモンが智慧を希ったのは、とんでもない過失だった。
注】以下4字下げ
*チェーホフの遺稿の中にソロモンの独白を自筆で浄写したものが残っていた。
―― ソロモン(一人)ああ、人の世の生《せ》は何と暗いことだ。子供心に怖ろしかった闇夜の暗さも、今の一寸先も見えぬ生き様ほどに、俺の心を怯え上らせたことはなかった。神よ、御身が父ダビデに授けられた能といえば、ただ言葉を音に結び合わせ、絃に合わせて御身を讃め歌い、甘い涙を流し、人々の眼にも涙を誘い、そして美に微笑みかけることでしかなかったのに、この私にはそのうえに、何故この喘ぎ悩む魂や、眠りもやらぬ飢えた思念を授けられたのだ。塵から生れ出た虫けらのように闇のなかに身を遊、 絶望と恐怖とにがくがくと総身を顫わせながら、有りとある物象に解きがたい秘密を見、また聞く。
この朝が来たのは何の意《こころ》か? 寺院《みてら》の陰から太陽が昇って、棕櫚の樹を金色に染めたのは何の意《こころ》か? 女の美しさは何のためにある? あの鳥はどこへ急ぐのだ? 所詮はあの鳥も雛鳥も、また急いでゆく目当ての場所も、この俺と同じに塵ひじと化するものなら、 ああして翔ることに何の意味がある? ああ、いっそ生れない方がましだった。それとも、眼も思念《おもい》も授かっておらぬ石にでもなった方がましだった。夜が来るまでに身体《からだ》をへとへとに疲れさせて置こうと思って、 昨日はひねもす平《ひら》人足のように、寺院に大理石を運搬して見た。それが今こうして夜になったのに、やっぱり俺は眠れない。もう一ぺん行って寝て見よう。フォルゼスが言うには、駆けて行く羊の群を心に描いて、いつまでもそれを思い続けていれば、やがて意識朦朧となって寝入れるとのことだ。それをやって見るとしよう。……(退場)

 世間普通の偽善者は鴿《はと》を気どるが、政界や文学界の偽善者は鷲を気どる。しかし、彼等の鷲のような威容に面喰うには及ばない。彼等は鷲ではなく、たかだか鼠か犬に過ぎない。

 われわれよりも愚昧で汚穢なもの、それが民衆である。行政上では納税階級と特権階級の二つに分けている。しかしどんな分け方も当らない。何故ならわれわれは 悉く民衆であり、われわれの為す最も善いことは、即ち民衆の仕事だからだ。

 モナコ公がルーレツトを持っている以上、ましてや徒刑囚はカルタぐらい弄んだっていい筈である。

 イヴァン*は恋愛哲学を並べることはできたが、恋愛はできなかった。
*チェーホフの弟。

アリョーシヤ お母さん、僕は病気のお蔭で頭が鈍っちまって、今じゃまるで子供の頃みたいなんです。神様に祈ったり、泣いたり、喜んだり……。

 なぜハムレットは死後に見る夢のことを苦に病んだりしたのだろう。この世に生きていたって、もっと怖ろしい夢がやって来るのに。
 フェルトの長靴じゃいけませんわ。
 なる程これじゃ見っともないな。縁を縫わせなくちゃいけないね。

 父親は病気になったので、シベリヤへ行かせて貰えない。
 お父さん、あなたはちっとも御病気じゃないのね。だってほら、ちゃんとフロックを召して、長靴を穿いて……。
 わたしはシベリヤへ行きたいんだよ。釣竿を持って、エニセイかオビ河の岸辺に腰をおろす。渡舟には懲役さんや移住民が乗っている。……此処のものは何を見ても虫酸が走るよ。窓のそとのあの紫丁香花、砂の敷いてある小道……。

 寝室。月の光が窓から射し入って、肌着の小さなボタンまでも見える。

 善人は犬の前でも恥かしさを感じることがある。

画像は、Wikipedia より。
本文、訳文の著作権は消失している。

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