日本人と漢詩(005)

◎浦上玉堂(続)

鴻《ひこう》別鶴《べっかく》 琴弾《きんだん》に入り
酒を把《と》り 茆堂《ぼうどう》に暫《しばら》く合歓《ごうかん》す
山陽《さんよう》に別《わかれ》し後《のち》 若《も》し相思《あいおも》わば
天涯《てんがい》 此《こ》の画中《がちゅう》に問いて看《み》よ
    画に題して如意道人《にょいどうじん》の西州《さいしゅう》に遊ぶを送る 玉堂琴士
西国に旅立つ如意道人という知人に乞われて一幅の絵を書いた。(画像は、その奇峯連聳図)この時代、これが絵画かと思われるほど、山々の連なりを、とことん省略しつくした斬新の図柄は、もはや江戸時代を超えている。この山水画の概説は、「浦上玉堂の山水画を読む」(http://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/gyokudo.html)に詳しい。絵に題する詩は、隷書で書かれ、自分の意中はこの絵に聞いてくれと相手に投げかける。飛鴻別鶴は彼の得意とする七弦琴の曲名にかけて、鴻(白鳥)と鶴を、自分と相手になぞらえ、酒を酌み交わした楽しい往時を語る。
玉堂は、その頃大坂で一大文化サロンを作っていた木村蒹葭堂(1736~1802)(Wikipedia http://is.gd/G4xaUj)などと深い関わりがあったそうだ。また、晩年には、頼山陽、江馬細香などとも交流があったとある。江戸時代中期~後期は、意外とそうしたサロンの広がりもあり、文化的な成熟期と言えるだろう。後日、機会があれば、このあたりに立ち返ることにする。
参考】
浦上玉堂の山水画を読む
・久保三千雄「浦上玉堂伝」より(ISBN-13: 978-4104119011 Amazon http://is.gd/YT6nIk)

日本人と漢詩(004)

◎浦上玉堂


衰老《すいろう》の身は 宜《よろ》しく数寄《すき》に甘んずべし
那《な》んぞ論ぜん 挙世《きょせい》わが癡《ち》を笑うを
春来《しゅんらい》 いささか清忙《せいぼう》の事あり
唯《た》だ是《これ》 花開き花落つる時
先程の投稿が消えてしまった(泣)。気を取り直して、再投稿。さて、鷗外から遡り、江戸時代へ向かうのだが、別に当てがあるわけではない。手始めに手元にあった本から、わかりやすい詩だったので…したがって、語釈はあえて必要あるまい。Wikipedia(http://is.gd/emSW9A)にあるので、詳述は避けるが、浦上玉堂(1745〜1820)、岡山藩の支藩、鴨方藩の能吏であった。ところが、50才を期に「思うところ」あって、リタイア、それまで趣味であった、七弦琴、絵画、詩文などを生業として、会津、江戸、大坂、京都をと「放浪」した。時代が時代だけに、致仕→脱藩→出奔というライフイベントは、彼にとって一生涯の「負い目」だったのかもしれない。
詩は、「玉堂詩集前集」に収められおり、彼の人生の転機の時期の作であろうか?承句の「世間では、私のことを随分とタワケと噂しているようだが、気にしない、気にしない」は、何か「トラウマ」を引きづっているようにも思え、彼独特のこだわりに聞こえる。しかし、ここは、転句、結句の「春が来て花の評判を聞く楽しさ」を玉堂の清々しさとして信じたい。
ブルーノ・タウトは彼をして「日本のゴッホ」と称したらしいが、なるほど、それまでの山水画と違い、デフォルメされた表現技法は、彼の「内面」を語っているような印象である。画像は、「国宝 凍雲篩雪図」。その他、Google 検索すると、彼の絵が「展覧」されており、見ているだけで楽しくなる。ぜひ、実物も見たいものだ。
久保三千雄「浦上玉堂伝」より(ISBN-13: 978-4104119011 Amazon http://is.gd/YT6nIk)