◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(02)
第二章 貧困の原由
〇醫藥を投ずる者は、先づ其病源如何と診するを要す。借問す方今生產の資財乏しきに非ず、 市場の貨物斟きに非らずして、而も吾人人類の多數は、何が爲めに爾く衣食の匱乏《きぼう》を感ずる乎。
〇他なし之が分配の公を失せるが爲めのみ。其世界に普遍せられずして、一部に堆積せらるゝが爲めのみ、其萬人に均分せられずして、少數階級に壟斷《ろうだん》さるゝが爲めのみ。
〇英米兩國の若き、共產業の進步と隆昌とは、古來類例なき所にして、世界萬邦の俱に感嘆垂涎《かんたんすいぜん》する所也、而も彼等が富の分配の情狀に至っては、却て酸鼻を値する者あり。
〇トーマス・シアマンほ算して日く、米國の富の七割は、實に其人口の一分四厘の少敷の占有する所たり、而して他の一割二分の富は、僅に九分二厘の人口の爲めに占有せられ、殘餘の人口卽ちハ割九分四厘の多數生民は、僅に一割八分の富を保つに過ぎずと。博士スバ—ルが英國の富の分配を算するに日く、英人二百萬の多數は僅に八億の財產を有するに過ぎざるに、一面に於て十二萬五千人の少數は、却て七十九億の巨額を占有す、且つ總人口の四分の三以上は全く無資產也と。而して基等兩國の窮民公費の救助を仰ぐ者、.實に數百萬人の多きに及べり。
〇是れ豈に驚く可きの偏重に非ずや、然れども唯に英米のみならんや、獨逸も然り、佛図も然り、伊國も然り、澳國も然り、彼等各々其大小高低の度と率とを異にすと雖も、而も現時の財富のー部に集中するは、世界萬邦俱に其趨勢を同じくせる所也。而して我日本に於ても亦然らざることを得ず。
〇我國に於てや、凡そ何等の物と事とを問はずして、未だ精確の統計の信據す可きなきは遺憾の至也。然れども近時我國財富の分配が益々一部に偏重し、貧富益々懸隔するは爭ふ可らざるの事實也。見よ、土地は益々兼併せらるゝに非ずや、資本は益々合同せらるゝに非ずや。彼の資本、資本を吸ひ、息錢、息錢を生むや、國家人民全體の資產の額は甚だ培加を見ざるに拘らず、大資本家、大地主なる少數階級の資產は日に其膨脹を致すこと、恰も雪塊の一廻轉する每に、自ら其の面積を增大し來るに似たらずや。
〇試みに思へ、若し近世物質的文明が、其精緻の器、巧妙の術に依り、年々產出する所の巨額の財富をして、多數人民公平に分配して、以て日用の消費に供するを得たりとせよ、何ぞ衣食の匱乏を嘆ずる今日の如きを耍せんや、而も分配の公を失する如此《かくのごと》く甚しく、其一部に堆積し、少數階級に壟斷せらるゝ、如此く甚し。怪しむ無き也、世界の多數が常に飢凍の域に滾轉することや。
〇於是乎《ここにおいてか》、別に一問は提起せられざるを得ず、何ぞや。
〇蓋し社會の財富や、決して天より降下するに非ず、地より噴出するに非ず、一粒の米、一片の金と雖も總て是れ人間勞働の結果に非ざるは無し。夫れ唯だ勞働の結果也、其結果や當然勞働者卽ち之が産出者の所有に歸す可きの理に非ずや。而も多數の勞働者よ、何故に汝は汝の產出せる財富を自由に所有し、若くば消費すること能はざる乎。古詩に日く『滿身綺羅者《みきらにみつるもの》、是匪養蠶人《これやうさんのひとにあらず》』と、 何故に養蠶の人は却て綺羅を纏ふこと能はざる乎。[編者注:北宋・張兪の詩「蚕婦」の後半、訳は「体いっぱいに高価な絹織物の衣装をつけている者は、養蚕の仕事に従事する人たちではなかったからです。」、元の五言絶句の原文および読み下し文は、昨日入城市 昨日 城の市に入り 帰来涙満巾 帰り来たれば 涙 巾に満つ 遍身羅綺者 遍身 羅綺の者 不是養蚕人 是れ養蚕の人ならず]
〇他なし、彼等は一切の生產機關を有せざれば也。換言すれば卽ち資本を有せざれば也、土地を有せざれば也。資本なき者は勞働すること能はざる也、土地なき者は勞働すること能はざる也。勞働せざれば卽ち餓死せざる可らず。彼等は其餓死を免るゝに急なる丈《だ》け、夫れ丈け、生產機關を求むるに急ならざるを得ず。其生產機關を求むるに急なる丈け、夫れ丈け一切の利益幸福を擧げて之が犧牲に供せざることを得ず。而して彼等は實に資本所有者、土地所有者の足下に拜跪して、資本と土地との使用の許可を乞はざる可からず。而して此使用の許可を得るの報酬として、其生產の大部を資本家、地主の倉庫に献納せざるを得ず。而して彼等が終歲、若くば生涯、營々たる勞役の功果は、憐れむ可し、唯だ其不幸なる生命を支ふるに過ぎざるのみ。然り現時の小農及び小作人は實に如此き狀態に在り、現時の職工は實に如此きの狀態に在り、 土地と資本とを有するなくして、賃銀に衣食し、給料に衣食する者、皆な實に如此きの狀態に在り。
〇試みに思へ、若し世界の土地と資本とをして、多數人類が自由に其生產の用に供するを得たりとせよ。彼等が多額の金利を徴せられ、法外の地料を掠められ、若くば低廉の賃銀を以て雇役さる、の要なくして、其勞働の結果たる簣は直ちに彼等の所有として、自由に消費することを得たりとせよ。分配公を失して、貧富の懸隔する、何ぞ今日の如く甚しきに至らんや。而も彼等は唯だ勞働の力を有するのみ。土地と資本との兩者に至っては、全く少數階級の專有に歸して、其生產の大部を納むるに非ざるよりは、決して使用するを許されざる也。怪しむなき也、世界の多數が常に飢凍の域に滾轉することや。
〇於是乎、更に一問は提起せられざるを得ず、何ぞや。
〇夫れ土地や資本や、一切の生產機關は、人類全體を生活せしむる所以の要件也、之を壟斷し占有するは、卽ち人類全體の生活をが左右し、死命を制する所以也、彼地主資本家なる者果して何の德あり、何の權利あり、何の必要あって、之を壟断し、專有し、增大して、以て多數人類の平和と進步と幸福とを蹂躙するや。
〇他なし、僥倖のみ、猾智のみ、貪慾のみ。彼等地主資本家や、時に或は勞働に從ひ生產を扶くるなきに非ざる可し、勤勉なることなきに非ざる可し、節儉なることなきに非ざる可し。然れども彼等が勤勉なる努働者、節儉なる生產者としての所得や知るべきのみ。而して彼等が地主資本家として擁する所の財富や、決して勤勉と節約とに依て律可き所の者に非ざる也。彼等の或者は卽ち父祖の譲與也、或者は卽ち投機の勝利也。或者は卽ち利息の堆積也。然り今の富厚を重ぬる者、三者必ず其一に居らざるはなし。而して其富變じて資本となり、株券を買ひ、土地を併すや、彼等は一擧手一投足の勞なくして、飽暖《はうだん》[編者注:暖衣飽食の略、典拠は、「孟子」と「荀子」]逸楽以て多數人類勞働の結果を掠奪す。而して其掠奪せる富は、更に轉じて資本となり、再び多額の富を掠奪するの武器となる。如此にして轉々窮る所を知らずして、而して少數者の富益々富を加へ、多數者の貧益々貧に陷るに至れる也。故にプルードンは叫んで日く、『財產は强奪の果也、資本家は盜賊也』と。然り道義的眼光より之を見る、彼等は實に自ら其盜賊たるを知らずして盜賊たる也。又何の德あり、何の權利あり、何の必要あと、 何故に養獄の人は却て綺羅を纏ふこと能はざる乎。
〇他なし、彼等は一切の生產機關を有せざれば也。換言すれば卽ち資本を有せざれば也、土地を有せざれば也。資本なき者は勞働すること能はざる也、土地なき者は勞働すること能はざる也。勞働せざれば卽ち觥死せざる可らず。彼等は其餓死を免るゝに急なる丈《だ》け、夫れ丈け、生產機關を求むるに急ならざるを得ず。其生產機關を求むるに急なる丈け、夫れ丈けー切の利益幸福を擧げて之が犧牲に供せざることを得ず。而して彼等は實に資本所有者、土地所有者の足下に拜跪して、資本と土地との使用の許可を乞はざる可からず。而して此使用の許可を得るの報酬として、其生產の大部を資本家、地主の倉庫に袱納せざるを得ず。而して彼等が終歲、若くば生涯、營々たる勞役の功果は、憐れむ可し、唯だ其不幸なる生命を支ふるに過ぎざるのみ。然り現時の小農及び小作人は實に如此き狀態に在り、現時の職工は實に如此きの狀態に在り、 土地と資本とを有するなくして、賃銀に衣食し、給料に衣食する者、皆な實に如此きの狀態に在り。
〇試みに思へ、若し世界の土地と資本とをして、多數人類が自由に其生產の用に供するを得たりとせよ。彼等が多額の金利を徴せられ、法外の地料を掠められ、若くば低廉の賃銀を以て雇役さるゝの要なくして、其勞働の結果たる簣は直ちに彼等の所有として、自由に消費することを得たりとせよ。分配公を失して、貧富の懸隔する、何ぞ今日の如く甚しきに至らんや。而も彼等は唯だ勞働の力を有するのみ。土地と資本との兩者に至っては、全く少數階級の專有に歸して、其生產の大部を納むるに非ざるよりは、決して使用するを許されざる也。怪しむなき也、世界の多數が常に伽凍の域に滾轉することや。
〇於是乎、更に一間は養せられざるを得ず、何ぞや。
〇夫れ土地や資本や、一切の生產機關は、人類全體を生活せしむる所以の要件也、之を壟斷し占有するは、卽ち人類全體の生活を左右し、死命を制する所以也、彼地主資本家なる者果して何の德あり、何の權利あり、何の必要あって、之を壟斷し、專有し、增大して、以て多數人類の平和と進步と幸福とを蹂蹂躙するや。
〇他なし、僥倖のみ、猾智のみ、貪慾のみ。彼等地主資本家や、時に或は勞働に從ひ生產を扶くるなきに非ざる可し、勤勉なることなきに非ざる可し、節儉なることなきに非ざる可し。然れども彼等が勤勉なる努働者、節儉なる生產者としての所得や知るべきのみ。而して彼等が地主資本家として擁する所の財富や、決して勤勉と節約とに依て得可き所の者に非ざる也。彼等の或者は卽ち父祖の譲與也、或者は卽ち投機の勝利也。或者は卽ち利息の堆積也。然り今の富厚を重ぬる者、三者必ず其一に居らざるはなし。而して其富變じて資本となり、株券を買ひ、土地を併すや、彼等は一擧手一投足の勞なくして、飽暖《はうだん》[編者注:暖衣飽食の略、典拠は「孟子」滕文公上]逸樂以て多數人類勞働の結果を掠奪す。而して其掠奪せる富は、更に轉じて資本となり、再び多額の富を掠奪するの武器となる。如此にして轉々窮る所を知らずして、而して少數者の富益々富を加へ、多數者の貧益々貧に陷るに至れる也。故にプルードンは叫んで日く、『財產は强奪の果也、資本家は盜賊也』と。然り道義的眼光より之を見る、彼等は實に自ら其盜賊たるを知らずして盜賊たる也。又何の德あり、何の權利あり、何の必要ある者ならんや。而も吾人は是等道義的盜賊を放養して、以て其專恣掠奪に任せるに非ずや。怪しむなき也。多數人類が常に飢凍の域に滾轉せることや。
〇於是乎吾人は現時社會の病源に於て、略ぼ知る所あるを信ず。何ぞや、日く、多數人類の飢凍は、富の分配の不公に在り、富の分配の不公は、生産物をして生産者の手に歸せしめざるに在り、生産物をして生産者の手に歸せしめざるは、地主資本家なる少數階級の掠奪する所となれば也、地主資本家の掠奪する所となるは、土地や資本や一切生產機關をして初めより地主資本家の手中に占有せしむれば也。
〇果して然らば之が治療の術亦實に知るに難からざる也。予は卽ち斷言せんとす、今の社會間題解決の方法は、唯だー切の生產機關を、地主資本家の手より奪ふて、之を社會人民の公有に移す有るのみと。
〇然り、『一切の生產機關を地主資本家の手より奪ふて、之を社食人民の公有となす』者、換言すれば、地主資本家なる徒手游食の階級を廢滅するは、是れ實に『近世社會主義』一名『科學的社會主義』の骨髄とする所に非ずや。
〇於是乎世間社會主義を熟知せざるの士、啞然失笑して日はんとす、何等の囈語《げいご》ぞ、何等の妄想ぞ、思へ社會の生產は一に地主資本家の左右する所に非ずや、其分配は一に地主資本家の指揮する所に非ずや、農工商經濟は總て彼等に依て維持せられ、多數人類は總て彼等の手に養はる。曷《いづく》んぞ能く之を廢滅することを得んや、假に之を能くせしむるも、若し彼等.微《な》りせば社會は暗黑ならんのみ。而も漫《みだり》に之が廢滅を言ふ、社會主義なるもの、抑も何等の妄想囈語ぞやと。
〇嗚呼囈語乎妄想乎、社會は永劫に地主資本家の存在を是認す可き乎、是認せざる可らざる乎。吾人は此等の言を爲すの人に向って、先づ人類社會の組織し進化する所以に就て、一番の討査を請はざる可らず。
爭之難平也。天折地絶。亦無自屈之期。
報之不已也。鬼哭神愁。奚有相安之日。
[編者注]典拠は『小窓幽記』(明末・文学者陳継儒)「争いの決着は難しい。 空は割れ、地は裂け。 自虐している暇はない。まだ報告は終わらない。 鬼霊は泣き、神々は悲しんで安穏な日々は来ない。」くらいの意味か?飛鳥井雅道氏は、「幸徳秋水」(中公新書)の中で、ロジア・ナロードニキの著書の秋水訳書の題名に「神愁鬼哭」とあるのは、宮崎夢柳の「虚無党実伝記・鬼啾啾《きしゅうしゅう》」からのイメージと書くが、それは違うだろう。以上の案件のご教示を待つ。