読書ざんまいよせい(068)

◎ 三枝博音「日本の唯物論者」(009)

 岩波文庫「南総里見八犬伝」(一)に高田衛氏の「『八犬伝』を読むために」という解説文がある。今更、勧善懲悪づくし、しかもやたらに長い「八犬伝」でもあるまいにと思ったが、読んでみると、意外と筋立てや表現が「論理的」で面白くも感じた。そこで、どこまでできるかはおぼつかないが、テキストのアップに取り組んでいる。まだ、冒頭部分だけなので、いつになったら完成するのやら…
 評判の悪い「勧善懲悪」でいうと「馬琴は、勧善懲悪を唱導した。しかしその悪とは、体制の悪であった。したがってその善とは、体制そのものをゆさぶる行為でさえあった」(松田修氏)の指摘は、しばし至言であり、秋水にも通じるだろう。
 ここでは、高田衛氏から冒頭部分を長く引用し、幸徳秋水の想いに馳せるうえでの一助としたい。

 先頃、幸徳秋水の獄中書簡を読んでいたら、こんな個所に目がとまった。

△六ヶ月目で此頃ー二回刺身を食た。秋刀魚を食っては季節だなと思び、新鮭や数の子を食てはモウ出たナと感じる。此夏以来鮎も食た。松茸も食た。野菜は胡瓜、東蒲塞、茄子の時代から此頃の離大根まで、果物も林檎、梨子、栗、柿、蜜柑と、新しい物が這入る毎に娑婆の節物の移り行くことを想ひやる。小供の時に読だ伏姫の山ごもりに花紅葉(ママ)村里の四季を想ふ美しい文があったが、吾等には每日の差入弁当が唯一の暦だ。
     (明治四十三年十二月六日付、師岡千代子宛)

 おそらく質素であったに違いない差入弁当の、そのおかずにさえ、くっきりと浮び上ってくる四季の姿がこの手紙にみられる。この豊饒な季節感は、もう私たちの日常からは永遠に失われてしまったことを、しみじみと感ぜずにはいられなかったのだが、その間に何気なく、『八犬伝』の一節「伏姫山ごもり」の文章の想い出が挿入されていたことが、とりわけ印象的であった。
 時代からいっても漢詩の嗜みのある点からみても、幸徳秋水のような人が『八犬伝』を碗んでいたことに別に不思議はない。ただ、秋水のような革命家の心にさえ、ひときわ豊かな季節感の感受があり、それとまったく矛盾のないかたちで、『ハ犬Tの一節が甦えってくることの、いわぱ「自然さ」に思いをはせないではいられなかったのである。
 秋水が回想した「伏姫の山ごもり」の「村里の四季を想ふ美しい文」というのは、次のような文章であった。

さて里見治部大輔義實さとみぢぶのたいふよしさねのおん息女伏姬むすめふせひめは、親のため、又國の爲に、ことまこと黎民たみくさに、失はせじと身をすてて、八房やつふさの犬にともなはれ、山道やまぢさし入日成いりひなす、隱れしのちは人とはず。岸の埴生はにふと山川の、狹山さやまほら眞菅敷ますげしき臥房ふしど定めつ冬籠ふゆごもり、春去來さりくれば朝鳥あさとりの、友呼ぶ頃は八重霞やへかすみ高峯たかねの花を見つゝおもふ、彌生やよひは里のひな遊び、垂髮少女うなひをとめ水鴨成みかもなす二人雙居ふたりならびゐ今朝けさむ、名もなつかしき母子草はゝこぐさ誰搗たがかちそめしかの日の、もちひにあらぬ菱形ひしかたの、尻掛石しりかけいしはだふれて、やゝ暖き苔衣こけごろもぬぎかえねども、夏の夜の、袂涼たもとすゞしき松風に、くしけづらして夕立ゆふだちの、雨に洗ふてかみの、おどろもと鳴蟲なくむしの、秋としなれば色々に、谷のもみぢ葉織映ばおりはえし、にしきとこ假染かりそめの、宿としらでや鹿しかぞ鳴く、水澤みさは時雨霽閒しぐれはれまなき、はて其處そこともしら雪に、岩がね枕角まくらかどとれて、眞木まき正木まさきも花ぞさく、四時しじ眺望ながめはありながら、わびしくれば鹿自物しゝじもの膝折布ひざをりしきたゝず、のちの爲とばかりに、經文讀誦書寫きやうもんどくじゆしよしやこう日數ひかず積ればうき事も、うきなれつゝしとせず、浮世うきよの事はきゝしらぬ、鳥の音獸ねけものの聲さへに、一念希求いちねんけくの友となる、心操こゝろばえこそ殊勝しゆせうなれ。
     (第二輯巻之一第十二回)

 伏姫は、父のため国のため、そして「黎民たみくさ」のため、自ら犬の八房とともに人跡まれな深山の同窟に身を閉じこめて、もう二年という歳月を過したのであった。その伏姫のわびしく孤独なたたずまいの中で、かって家族うちそろって何不足なく平安に過した故郷の四季を、いま深山にも巡ってくる美しい四季と錯綜させつつ回想している——–そういう文章であることがわかる。
 装飾の多い七五調の文章が、私たちにとって「美しい」かどうかはさておこう。一読しておどろくのは、国を思い民衆を案じて思い立った革命行動にやぶれ、国事犯の名のもとに、監獄のつめたい独房に閉じこめられ、きびしい月日を送りながらも、片々たる弁当のおかずに、豊かな季節感を感受する秋水と、この文章のパセティックな四季づくしとの偶合である。
 この文章のなかの八房の件をかりに保留し、人も訪れず外に出ることも許されぬ伏姫を、秋水自身に擬し、伏姫のこもった「狭山の洞」(山中の洞窟)を市が谷の東京監獄独房に置き替えるならば、韻律ゆたかに四季の美をうたいあげた、この『八犬伝』の一文は、そのまま獄中の秋水の心情の表白とかさなってくるであろう。
 このような偶合(?)に気づくとき、はじめて秋水がこの文章を「美しい」と呼んだ意味がわかってくる。また「美しい」からこそ、彼は自己の追いつめられた状況に即応して、自然に、そして適切に、この『八犬伝』の一節を思い出したのであろう。そう考えるならば『八犬伝』は、まぎれもなくこの感じやすい革命家の魂の一部であったのである。
 以上はたまたま秋水の獄中書簡の一節を読んで感じたことである。意外なほどに秋水にとっての『八犬伝』が身近かであったことを知るにつけ、思うことは秋水もまた同時代の多くの人々と同じように、連鎖する美的言語とその韻律をたのしみながら、声をあげて『八犬伝』を音読した読者のひとりであっただろうことである。
 実際、明治初期の書生たちの小説読書は、たいてい音読であったのであり、なかでも『八犬伝』はしばしば朗誦によって暗記され、折にふれてはそのサワリの部分が暗誦される小説であったことを、前田愛が豊富な資料をあげて指摘している(「音読から黙読へ—近代読者の成立」)。
 江戸時代後期になって成立した読ザという小説ジャンルこそは、まさにそのような音読・朗誦にたえる文章・文体を持つことを、条件のひとつとしていたのであった。もともと「読む」ということばの原義は、たんに文章の文字を目で拾う黙読ではなく、声を出し抑揚をつけて、その文章を朗誦することであったという。おそらく秋水もまたそうした読者のひとりにほかならなかった。
 しかし皮肉なことに、この幸徳秋水あたりを最後にして、そういう古典的な読者は姿を消していった。『八犬伝』は他の読本一般とひとしなみに扱える作品ではないが、その『八犬伝』は読者も、次第に黙読する近代読者にとって替わられていったのである。

第二節 こうとく・しゅうすい(幸徳秋水)

      一 秋水と兆民

 ここでは漫然と幸徳秋水の略伝をかくことは必要であるまい。獄中から「余はいぜん﹅﹅﹅として唯物論者だ」といいつづけた秋水が、彼の生涯のどんなところで、やがて唯物論的世界観をもつようになる生活要素にぶつかったか、そうした点をみることが、じつは必要であろう。私はこの節の(一)、(二)、(三)でその必要をほんの少しばかり充たしてみたいとおもう。
 秋水が死の刑をうけてこの世から消えたのは、一九一一年(二十三日は秋水らの死刑の前日にあたる)、なお、一月二十五日のところには、「昨日死刑囚死骸引渡し、それから落合の火葬場の事が新聞に載つた。内山愚童の弟が火葬場で金槌を以て棺を叩き割つた―――その事が劇しく心を衝いた」と書かれている。
 (愚童はもと僧侶だった。死刑にたちあった沼波という教誨師の記録によると、沼波が「最後の際だけでも念珠を手にかけられたらどうですか」とすすめると、「暫く黙然として考えていたが、唯一語『よしましょう』と答えた」ということである。)
 世間でいわゆるこの「大逆事伴」ほど、日本の国民のぜんたい﹅﹅﹅﹅に大きな衝動をあたえたものは、なかったろう。(私は当時まだ中学生だったが、そのころの雑誌に「十一人の死刑囚の遺骸が落合火葬場に運ばれてゆく列が、ひとだまの火のような警戒の提灯ちょうちんでそれと知れて、点々と暗い夜道を長くつづくのがみえた」といったような記事が載っていたことの記憶が今もはっきりのこっている。)
 秋水は死刑の日、監房からひき出されて、死刑執行を告げられた。このとき、彼は典獄てんごくにむかって、「原稿の書きかけが監房内に散乱してあるから一度監房へ戻して貰ひたい。原稿を整理して来るから」と願い出たが、許されなかった。前記の沼波教誨師は「彼は絞首台に上つても、従容として挙止些も取乱した様子が見えなかつた。或は強く平気を装ふたのではなからうかと疑はれもした註(1)」と伝えている。
 このとき秋水はまだ四十一歳であった。彼の四十一年の生涯は、一八七一年の旧暦七月二十二日にはじまった。それは明治四年だから、まさに維新の変革の実質的な移行の最中である。この翌年に思いきった変革の主張者だった森有礼は、アメリカに滞在中、『日本に於ける宗教の自由』を書いた。すでにのべたように、そのなかで彼は revolution についての論説にふれている。秋水はこうした時代に生れたのである。
 秋水が、自由思想の先覚者を多く出した土佐に生れたことは、まず彼の生涯のあのような進み方を規定した事情のひとつといってよい。林有造や板垣退助に師事したり、または指導をうけたりしたことは、彼が土佐生れであったことに由来する。彼は十歳ばかりのころ、兎猿合戦の物語を書き、それに挿絵まで描いたということ、また(十一、二歳のころ)自分だけの「新聞紙をこしらえて楽しんだ」ということ、それには社説も政治記事も、社会記事もあったというほどに、新聞のていさい﹅﹅﹅﹅のあるものをつくっていたということが伝えられている。もう幼い彼のうちに、のちに発展したものが、萌芽として少しずつ伸びていたということができよう。
 板垣退助を頭首とした自由党が結成されたのは明治十四年(一八八一年)十月であるが、この年は秋水が中学に入った年である。秋水少年の新聞には政治についての文章がのっていたといわれている。十八年には林に会い、十九年には板垣に会っている。これについて彼の自叙伝にはつぎのような文がある。「板垣退助君銃猟の為我郷〔東京ゆき]という事件と、社会的には自由民権派の運動者たち五七〇名が東京退出命令をうけたという前後にない大きな事件とがおこっている。いうまでもなく、三府一八県の有志総代によって、地租軽減・条約改正・言論集会の自由の要求という建白運動の起ったに対して、政府(伊藤内閣)が保安条例を発布して、直接運動者の退去命令を出した事件である。この五七〇名のうちには、もちろん林有造がいたが、中江兆民もこれに入っていた。
 秋水が先輩として師として兆民を得たことは、秋水の生涯のこれからの方針にとってまことに大きな影響力をもった。「其の教養撫育の恩、深く心肝に銘ず」と、彼は後年こうねんの『兆民先生』というながい文章のなかで語っている。註(2)。おそらく秋水は、その文章を書店からたのまれてかいたのであろうが、とにかくそれは兆民の伝記である。しかし、彼は伝記とはいっていない。彼は自問自答して、「伝記か、伝記に非ず。評論か、評論に非ず。弔辞か、弔辞に非ず。ただ予が曾て見たる所の先生のみ、予が見つつある所の先生のみ」といっている。こう書いてきた秋水は、「先生のみ」とかいてもまだ本当のことが言い得ないと思ったか、さらに、こうつけくわえている。「予が無限の悲しみのみ。予が無窮の恨みのみ」と。彼は兆民先生の伝記を書いたのでなくて、自分の悲しみを書きつけたのだというのである。これほどに真実に兆民を語っている文章は、おそらく他にないであろう。少し長いが、その文の「緒言註(3)」だけでもつぎにあげてみたい。


 寂寞北邙呑涙回、斜陽落木有余哀、
 音容明日尋何処、半是成煙半是灰。
 想起す去年我兆民先生の遺骸を城北落合の村に送りて茶毘に附するや、時正に初冬、一望曠野、風勁く草枯れ、満目惨凄として万感胸に堪へ、去らんとして去らず、悄然車に信せて還る。這一首の悪詩、即ち当時車上の口占に係る。鳴呼逝く者は如斯き歟、匆々茲に五閲月、落木粛々の景は変じて緑陰杜鵑の天となる。今や能く幾人の復た兆民先生を記する者ぞ。
 但だ予や年初めて十八、贄を先生の門に執る。今に迨で十余年、其教養撫育の恩深く心肝に銘ず。而して未だ万一の報ずる有らず、早く死別の悲みに遭ふ、遺憾何ぞ限らん。平生事に触れ物に接して、毎に憶ふて先生の生前に至れば、其容其音、夢寐の間に髣髴として、今猶ほ昨日の如きを如何せんや。
 況んや夫の高才を持し利器を抱て、而も遇ふ所ある能はず、半世轗軻伶俜の裡に老い、圧代の経論を将て、其五尺躯と共に、一笑空しく灰塵に委して悔ゐざらしむる者、果して誰の咎ぞ哉。嗚呼這箇人間の欠陥、真に丈夫児千古の恨みを牽くに足る。孔夫子曰へるあり、「従于彼曠野、我道非耶」と唯だ此一長嘆、実に彼が万斛の血涙を蔵して、凝り得て出来する者に非ずや。予豈に特に師弟の誼あるが為めにのみ泣かん哉。
 而して先生今や即ち亡し。此夕独り先生病中の小照に対して坐する者多時、涙覚へず数行下る。既にして思ふ徒らに涕泣する、是れ児女の為のみ。先生我れに誨ゆるに文章を以てす、天の意気を導達する、其れ惟だ是れ乎、即ち禿筆を援て終宵寝ねず。

 明治時代にも、師弟の情の厚かった例はいくらもあったろうけれど、秋水の兆民に対するほどのものは稀であったろう。しかも、兆民と秋水とは唯物論者としてゆるし合っていたのである。私はさきに「秋水が唯物論的世界観をもつようになる生活要素」ということをいったのであるが、秋水が兆民と相知ったということは、その要素のなかのもっとも大きいものの一つであったろう。


註(1)糸屋寿雄『幸徳秋水伝』(一九五〇年)二九一頁「刑死の記録」の節参照。さらに田中惣五郎著『幸徳秋水。一革命家の思想と生涯』四八六頁の「酷刑」の節参照。
  (2) 『幸徳秋水選集』(一九四八年)第一巻。
  (3) 前掲書三頁。

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読書ざんまいよせい(063)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(09)

付録

     社會主義と國體
 先頃某會合に於て、社會主義の大要を講話した時に、座中で第一に起った質問は、社會主義は我國體と矛盾しはせぬ歟、といふのであった、思ふに社會主義を非とする人々は皆此點に疑問を持つて居るらしい、否な現に公々然と社會主義は國體に害が有るなどと論じて居る人も有るといふことだ、『國體に害が有る』の一語は實に恐ろしい言葉である、人でも主義でも議論でも、若し天下の多數に『アレは國體に害がある』と一たび斷定せられたならば、其人、若くは其主義、若くば其議論は全く息の根を止められたと同様である、少くとも當分頭は上らぬのである、故に卑劣な人間は議論や理窟で間に合はぬ場合には手ツ取り早く『國體に害あり』の一語で以て其敵を押し伏せ樣と掛るのだ、そして敵とする物の眞相實狀如何を知らぬ人々は『國體に害あり』說に無暗と雷同する者が多いので、此卑劣の手段は往々にして功を奏し、アタラ偉人を殺し、高尙な主義を滅し、金玉の名論を湮めて仕舞ふことが有る、故に『國體に害あり』といふ叫び聲が出た時には、世人は之に耳を傾けるよりも、先づ其目を拭うて、事の眞相を明かにするのが肝要である。
 幸か不幸か、予は歷史に喑く國法學に通じないので、國體とは如何なるものであるかてふ定義に甚だ惑ふ、又國體なるものは誰が造ったものかは知らぬ、併し普通に解釋する所に依れば、日本では君主政體を國體と稱する樣だ、否な君主政體と言ふよりも、二千五百年一系の皇統を名ける樣だ、成程是は古今東西類のない話しで、日本人に取ては無上の誇りで.なければならぬ、國體云々の言葉を聞けば、萬人均く心臟の鼓動するのも無理はないのだ、所で社會主義なるものは、果して彼等の所謂、國體、卽ち二千五百年一系の皇統存在すてふことと、矛盾衝突するのであらう歟、 此問題に對して、予は斷じて否と答へねばならぬ。
 社會主義の目的とする所は、社會人民の平和と進步と幸福とに在る、 此目的を達するが爲めに社會の有害なる階級制度を打破して仕舞つて、人民全體をして平等の地位を得せしむるのが社會主義の實行である、是が何で我國體と矛盾するであらう歟、有害なる階級制度の打破は決して社會主義の發明ではなくて、旣に以前より行はれて居る、現に維新の革命に於て四民平等てふことが宣言せられたのは、卽ち有害なる階級の打破ではない歟、そして此階級の打破は卽ち我國體と矛盾どころ歟、却つて能く一致吻合したものではない歟。
 封建の時代に於て尤も有害なる階級は、卽ち政權を有する武門であった、而して此階級が打破せられて社會人民全體は政治上に於て全く平等の地位と權力を得たのである.、社會主義は卽ち維新の革命が武門の階級を打破した如く、富の階級を打破して仕舞つて、社會人民全體をして、其經濟上生活上に平等の地位と權利を得せしめんとするのである、若し此階級打破を以て國體に矛盾するものと言ふならば、維新の革命も亦國體に矛盾すると言はねばならぬ、否な憲法も、議會も選擧も皆國體と矛盾するものと言はねばならぬ。
 社會主義は元より君主一人の為にするものでなくて、社曾人民全體の爲めにするものである、故に進步したデモクラシーの主義と一致する。併し是でも決して國體と矛盾するとは言へぬ、何となれば、君主の目的職掌も亦社會人民全體の爲めに圖るの外はないのである、故に古より明王賢王と呼ばれる人は、必ず民主主義者であったのだ、民主主義を採られる君主は必ず一種の社曾主義を行って其德を謳はれたのだ。
 西洋の社會主義者でも決して社會主義が君主政治と矛盾撞着するとは斷言せぬ、君主政でも民主政でも、社會主義を孰れば必ず繁榮する、之に逆へば衰へる、是は殆ど定まった數である、此點に於てトーマスカーカップが其著『社會主義硏究』中に說く所は、 最も吾人の意を得たものである、カーカツプ日く、『社會主義は進步した民主主義と自然に吻合するのである、けれども、實際上に其蓮動の支配が必ず民政的でなければならぬといふの道理は毫もない、獨逸などではロドべルタスの計畫の樣に、帝王の手で遣れぬことはないのである、ラツサールの理想は是である、ビスマ-クも或程度まで是を遣つた、實際富豪の階級に對する交讓(ユムブロマイス)に厭き果てた帝王が、渙然洒然として都鄙の勞働者と直接抱き合つて一個の社會主義的帝國を建設するのは、決して難事でないのである、斯る帝画は、材能ある官吏を任用し社會改善に熱心なる人民てふ軍隊に擁せられて益々强盛に赴くであらう、そして若し能く時機が熟したならば帝王彼自身に取ても、溫々ながら資本家階級の御機嫌を取って居るよりも、此種の政策は遙かに宜しきを得たものと言はねばならぬ。
カーカツプは更に列國競爭に就て論じて日く『列國の競爭は、少くとも近き將來までは益々激烈に赴くに相違ないが、此點に於ても、人民が先づ其社會紐織の瀾和を得るといふことは、實に莫大の利益である、先づ多數勞働者の靈能を發達させ、熱誠堅固の心性を夷うて、卽ち自由敎育を受けたる人民を以て團結した國民を率ゐるの國は、彼の不平ある、隨落したる無智なる貧民を率ゐる所の資本的政府に對して、今日の科學的戰爭に於て、必ず大勝利を占めるであらう、是れ恰も第一革命の際に於ける佛蘭西軍隊の熱誠に加ふるに、今日の完全なる學術を以てしたると同樣の結果である』云々、故に能く社會主義を採用するの帝王、若くは邦國は、卽ち彼の一部富豪に信頼する帝王若くは邦國に比して、極めて强力なるものである、社會主義は必しも君主を排斥しないのである。
 併し繰返していふが、社會主義は、社會人民全體の平和と進步と幸福とを目的とするのであつて、決して君主一人の爲めに個るのでない、故に朕は卽ち國家なりと妄言したルイ十四世の如き極端な個人主義者は、元より社會主義者の敵である、衆と偕に樂むと言った文王の如き社會主義者は、喜んで奉戴せんとする所である、而して我日本の祖宗列聖の如き、殊に民の富は朕の富なりと宣ひし仁德天皇の大御心の如きは、全く社會主義と一致契合するもので決して、矛盾する所ではないのである、否な日本の皇統一系連綿たるのは、實に祖宗列聖が常に社會人民全體の平和と進步と幸福とを目的とせられたるが爲めに、斯る繁榮を來たしたのである、是れ實に東洋の社會主義者が誇りとする所であらねばならぬ、故に予は寧ろ社會主義に反對するものこそ反つて國體と矛盾するものではない歟と思ふ。
    (明治三十五年十一月十五日、『六合雜誌』第二六三號所載)

     社會主義と商業廣吿

 維新後三十年間我日本の社會に於て、凡そ進步發達したといっても、商業廣吿程進步發達したものはあるまい。
 維新以前の商賣の廣吿といったら、ケチな木板摺の引札だの或は四辻に貼紙をするのだの、又小間物屋や化粧品などは、時々人情本の作者に頼んで、其著述の中で謳って貰ふ位が關の山であつた、夫から京阪では東西屋と名づけて、東京でも折々見かけるが、柝木を拍て觸れ步くのがあつた位ゐだ、然るに今日に至っては如何だ、右を向いても廣吿、左を向いても廣吿、廣吿が鉢合せをして推すな/\と騷いで居る、維新以前の所謂花の大江戶は、忽然として化して廣吿の東京となつた、赤本に一行二行の寄生蟲であったのが今や新聞雜誌書籍の前後に大威張で乘つかつて、甚だしきは肝心の記事よりも、廣吿のページの方が多いので、雜誌に廣吿があると言ふよりも、廣吿に雜誌があると言ふ方が適當であるやうだ、斯く獨り廣吿の分量が澤山になつたのみならず、其技術手段に至っても、實に驚く可き發達をなした、否な現に益々發逹しつゝあるのである。
 斯樣な進步發達は、果して何に原因するであらう歟、又其社會の上に影響する利害如何であらう歟、又其利害の結果を如何に處分し行くべきである股、是は當然起るべき011題である、否な起さねばならぬ問題である、否な頗る面白い問題である、予の考ふる所では。
 第一廣吿の目的原因は單に其商賣や品物を世間に吹聽し報知するといふのに止まらぬ、是れは注意すべき點である、彼等の目的は實に自身の商賣ビジネスを維持し擴張すると同時に、他人の商賣販路も奪ふのにあるのだ、是は全く今日の經濟組織が自由競爭の組織であるので、同業者との競爭に打勝たねば立行かないから起つたのだ、廣吿は單に報知の術也と思ったら大に間違ふ、報知した上に、他人の華主を奪うて、競爭に打勝つと言ふ必要が有るので有る。
 論より證據で競爭の激しい商品ほど、廣吿することが多いのである、例へば賣藥、煙草、麥酒、石鹼、齒磨化粧品、小間物などいふ、孰れの店でも大抵同樣の品物で、誰でも模擬が出來る競爭の品物は、從つて廣吿の優劣で、共商賣の優劣を爭ふのだ、だから廣吿の盛大なる度は、自由競爭の激烈の度を示すのバロメートルである、左すれば甲の雜貨商が今年一千圓の廣吿料を拂ったと聞けば、乙の雜貨商は、翌年一千五百圓を投じて華主を爭ふ、スルと甲は更に二千圓を投ずるといふ譯で、日に月に廣吿料が多くなる、又手段に至っても、甲が墨繪の看板を出せば、乙が修色畫の看板を出す、又乙が十行の廣吿をすれば、甲が廿行といふ風に競爭又競爭で今日の進步と發達を來したのである、何のことはない、列國の軍備の擴張と同樣である、命限り根限り、資本の續く丈雙方で增して行くので、殆ど底止する所を知らぬのだ、現に有名なるピアスソーブの如きは資本の三分一以上廣吿料に投じて居る、其所で此廣吿の競爭が社會に及ぽす利害如何と見ると廣吿の利益是は言ふまでもなく何人も感じて居る所で、第一に需用者の便利、第二販路の擴張、從つて生產も多くなって商工業が發達するといふのである、然るに飜って其弊害の方を見ると實に悚然として恐るべき者がある、廣吿の弊害は凡そ三つに大別せられる。
 一は自然の美を害する事、美を愛すると云ふ事は、人間の極めて高尙なる性質で、天然の美景は、此高尙なる品性を養ふに尤も必要の物である、殊に近世文明の弊として、天下萬人が盡く物質的の利益に狂奔するの時に於ては、之が矯正の爲めに美術心の涵密は益々急切を感ずるのであるに拘はらず、近頃の廣吿は、到る處に俗惡極るペンキ塗の看板を立てゝ、天然の美景を無殘に破壊して行くのである、讀者は平生東京を一步踏出せば、是等の多くの例證に接するであらう、常に高尙なる美術を見、音樂を聞けば、自ら高尙なる品性を養ひ得るに反して、常に鳥獸の虐殺を見、若くは行ふものは自ら殘忍になる、小烏の聲を聞て、歌を詠みたいと思ふ人もあれば、直ぐに獵銃を持出したくなるものもあるを考へれば、 此廣吿が天然の美景を損じて、幾十萬の人が之を見る每に、アヽ嫌だ、といふ不快の感を催す時から、後には平氣になるまでに如何に國民の品性を下等にしたか解らないのだ、曾て村井商會が彼明媚なる京郁の東山へ持て來て、サンライスの廣吿を立てたことがある、是は畏くも離宮からもお目關りになるといふので取外したが、東山にサンライスと來ては如何に利の外は見ぬ商人とは言へ、 野卑といふ事は通り越して、 實に殘忍ではあるまい歟。
 第二は道德を害し風俗を害する事、 前に言つた通り廣吿の目的が同業者との競爭に打勝つに在る以上は、報知吹聴のみでは濟まぬ、出來る丈け華主を自分の方に引付ける樣に試みねばならぬ、そして競爭が激烈なるに從つて、其手段方法も、正とか不正とか言つては居られぬ、誘惑でも、欺罔でも構はず遣付ける、實に到らざるなしである、試に彼賣藥の功能書を見よ、効能神の如しとか禮狀如山とか是さへあれば醫師も病院も全く不用であるかの如く思はれるのだ、夫から甚しい猥褻の文章や圖畫などを揭げて、靑壯者の心を鑠かさうとするのがある、其道德を害し風敎を害することは實に一方ならぬので、手段方法が巧妙なればなる程、弊害も亦多いのである、併し以上二種の弊害は個人の心得で多少の防ぎも出來るのであるが、第三の弊皆に至っては社會をして非常の損失を受けしめて居るのが有る。
 外でもない社會の富と勞働の浪費、である、社會の富が廣吿の爲めに浪費さるゝのは實に莫大の額である、或人の調べに依れば、米國で一年間に廣吿を費す所は五億萬弗の多きに達すといふことだ、卽ち十億萬圓で、日本政府の歲計の四倍に當る、其中、正常の報知吹聽は五百萬弗、卽ち一千萬圖あれば足りるので其他は全く競爭の爲めに餘計な手段方法を要する爲めに費すのだ。
 日本は元より斯くまでには到らぬが、 併し日本の富に比較しては實に驚く可き多額を拋って居る、予は未だ精密なる統計は造り得ないが、一寸勘定した所ても、每月東京府下の新開のみでも、七萬圓內外、大阪のみても三萬內外の廣吿料は拂はれて居る、卽ち一ヶ月に十萬圆である、夫れから各地方の新聞のみに一ヶ月十萬圓と言ふ金だ、夫れから雜誌廣吿、看板廣吿、引札、樂隊、御馳走廣吿などの總べてを合併したならば、日本商業は一年間に三百萬圓の廣吿料を支出して居るといふことは、優に斷言することが出來るのだ、そして此額は月々歲々に驚くべき比率を以て增加してるのだ、然らば卽ち此一ケ年三百萬圓の大金は果して如何なる所から湧き出るのであるか。
 此大金が商人の懷から出ると思つたら、夫こそ大きな誤診である、言ふ迄もなく彼等は此廣吿料を商品の代價の裡に見積つてあるのだ、吾人は實に一本の卷煙草にすら多少の廣吿料を拂って居る、商品の代價は正當の定價よりも確かに夫れ丈け高くなって居る、社會人民は夫れ丈け餘計な富を作って彼等に支拂って居る勘定ではない歟。
 社會には現に多くの貧民が有る、若し一戶五口の貧民を一年三百圓で養ひ得るとしたならば、我等が年々廣吿料の爲めに費す所の三百萬圓の大金で實に五萬人の貧民の衣食を支へることが出來るではない歟、一方に其日の煙に逐はれて居る貧民が年々增加するにも拘らず、一方に社曾の富を無益に使ひ捨てる額も斯く年々に增加するのは、獨り社會の損失のみでなく、抑も人道の許す所であらう歟。
 如此く多額の富の浪費に加へて、廣吿の競爭の爲めに耗らす天才、技術、勞力も亦莫大の額である、是等の能力を生產的に若くは高尙なる事業の爲めに使つたら、如何に社會全體の爲めに利益を與へるであらう歟、是れ皆經世家の深く思ひを致すべきの點である。
 以上廣吿より生ずる弊害の矯正策に就ては、未だ日本では講究をした人はないやうだが、歐洲では以前から大分議論が喧しいのである、現に或國では廣吿に課稅して、無暗な膨脹を制裁せんとしてるのもある、英國などでも贋吿が天然の美景を損ずるのを憂へて、商工局の許可を得なければ、看板を建ることを許さぬやうにしようといふ意見がある、是も一策には違ひない、現時の如く全然放任して置くには、優るに相違ない、併し此處は絕景だから許可しない、那處は勝地でないから許可しようといふ如き美景の區別を、美術家でもない商工局に鑑定を賴むといふのは、ちと筋違ひではあるまい歟、殊に斯様の干涉は、得て弊害が伴ひ易いので、尤も注意を要するのみならず、唯だ天然の景色保存といふ丈けで、全體の弊害矯正は出來ぬのである。又課稅論の如き、國庫の歲入を增すといふなら兎も角も、決して廣吿減少の目的は達せられぬ、若し廣吿が課稅せられたなら、夫丈け品物の値を高くするのみである、競爭者が多くて其競爭に打勝ねばならぬ必耍がある以上は、又打勝つべき唯一の手段が展吿である以上は、如何に重税でも止める譯には行かぬのだ、廣吿を止めるの際は、卽ち破産の時であるのだ、故に謀稅の結果は品物の代價騰貴に過ぎないのである故に廣吿問題眞個の解決は、卽ち是等の弊害を一掃しようと言ふのには、課桃も姑息、商工局の認可權も姑息である、唯だ彼等商人をして廣吿の必要をなくせしむるより外はない、此廣吿の必要をなくするのは、卽ち自由競爭の經濟組織を廢するに在るのだ、前に述た如く、廣吿は一に自由競爭の發生物で、競爭の激しい品物ほど廣吿が盛んだ、試に見よ、郵便の如き電信の如き、 競爭がないので、廣吿に金を我す必要がない、從って其手數料も廉いのである、然るに若し郵便や電信が私設會社の事業で競爭したならば、彼等は必ず本會社の郵便は便利だとか、電信の文字が確實だとか、配達が速かだとか、廣吿して、頻りに自分の會社の切手を澤山資らうとするに違ひない、其結果は今の三錢の切手も或は四銭五錢位に引揚げて廣吿料を見積るといふ勘定になるであらう、唯だ彼等は社會の公有で、競爭がないから、正當の報知以外には廣吿をせぬのである、鐵道でも、汽船でも競爭のない所には誇大の廣吿はしないのだ、煙草でも、石驗でも、賣藥でも、皆同一の道理でなければならぬ。
 如此く廣吿の原因は競爭であるが、競爭の原因は何かといへば、卽ち資本と土地の私有である、個人が銘々に其私有の資本と土地で儲けようとするから起るのだ、 故に社會全體が土地と資本を
共有物にして、一切の生產の事業も總て共同でするといふことにしたならば卽ち社會主義を實行したならば、自由競爭から生ずる弊害は、全く消えて、品物は旅くて澤山で、人間の生活も豐かになって、働く時間も少くなつて、萬人の平和のみならず、 目下廣吿の競爭に心を苦しめて居る商人資本家等も肩を休めて大に氣樂になるであらう、是が本間題の根本的解決法である。
         (出所不詳)

    社會主義と婦人

 婦人の性は皆な僻めりと斷じ、女子は養ひ難しと嘆じ、 婦人は成佛せずと罵り、婦人を眼中に置くは眞丈夫に非ずと威張れるの時代に比すれば、近時婦人に關する硏究論義の日に地す其盛を致し、甚しきは則ち專門婦人硏究者の肩書を有せる文人をすら出せるが如き喜ぶべきの現象たるに似たり、而も仔細に其硏究の目的方法を檢し來るに及んでは、未だ吾人の希望に副はざるもの多きを覺ゆ。
 吾人は婦人の生理的及び心埋的特性を剖扶して微を穿ち細に入れる多くの文士と著作とを見たり、吾人は婦人平常の祕事陰址を爬羅剔抗して眼あたり之に接するの感あらしむるの多くの文士と著述とを見たり、吾人は婦人の短所缺點及び其罪悪を鳴らして殆ど完膚なからしめたる多くの文士と著述とを見たり、吾人は婦人の運命の不幸と境遇の悲惨とを說て一字一淚なるの多くの文士と著述とを見たり、而も彼等果して能く現時の所謂婦人間題を解釋せりと為すを得べき乎。
 見よ吾人が彼等に依て學び得る所の者は、男子は如何にして婦人に愛せらるべきやてふ一事に非ずや、男子は如何にせば婦人を玩弄し得べきやてふ一事に非ずや、如何に現時の婦人が尊敬するに足らざるやてふ一事に非ずや、如何に現時の女學生が憎悪すべき者に非ずやてふ一事にあらずや、如何に女工を雇使せる工場主中殘忍暴虐の行ひを恣にせる者あるかてふ一事にあらずや、換言すれば彼等の吾人に示し律たる所の者は、婦人は玩ぶべき者也、海老茶袴は疝に觸る者也、女工は憫なる者也、如此き耳、然り唯だ如此き耳、是れ女子養ひ難しと嘆ぜるの時代に比して果して幾十步を進め得たりとする乎、廿十世紀の婦人間題に於て果して幾分を解釋し得たりとする乎。
 現時に在て多くの婦人は確かに男子の玩弄物たる也、確かに男子の寄生蟲たる也、 然れども婦人は永く如此くなる可き乎、ならざるべからざる乎、否な古來社會文明の進むに從て、婦人が漸次に其地位を上進するは、是れ爭ふ可からざるの事實也、而して難人が其社會組織に與って、より重大なるパートを働くの社會は、ヨリ文明なる社會たるは、亦是れ爭ふべからざるの事實也、社會文明の改善と進步は常に層一層に段一段に婦人地位の上進を要請願求しつゝある也、而して今の婦人硏究者の目的方法は果して此要求に副ふ者ある乎。
 思へ婦人が男子の玩弄に甘ずるは、 其獨立を得ざれば也、 男子の寄生蟲たり、 或は諸種の不潔なる誘惑に魅せられ、或は悲慘の境遇に沈むもの、亦其獨立を得ざればなり、彼等は其知識に於て其財產に於て、 獨立するを許されざれば也、 而して是れ誰か之をして然らしむるや、 先天乎後天乎、否な社會の組織其者は彼等を殘暴し凌虐して、人間を化して器械と化せる也、萬物の靈長を化して劣等の動物と化せる也。
 從來の社會組織は婦人に敎育を與へざりき、婦人に財產を與へざりき、婦人の獨立を許さヾりき、婦人は男子の玩弄物たり奴隸たり寄生蟲たらざれば活く可からざる者也と宣吿したりき、此時に於て何ぞ婦人の性の僻めるを怪しほん、何ぞ其脆弱なるを怪しまん、其諸種の誘惑に勝ち得ずして、多くの敗德を出し、多くの悲慘なる境遇に陷ることを怪しまんや、而して更に見よ現時の社會は何が故に婦人を殘暴凌虐するの爾く甚しきや、此れ見易きの理也、何となれば今の社會や社會協同の社會に非ずして自由競爭の社會也、自他相愛の社會に非ずして弱肉强食の社會也、故に人々日く、汝我を殺さずんば我汝を殺さんと、然り人は生きざるべからず、生んと欲して競爭せざる可からず、競爭するの極、他を殓さヾる可らず、他を奪はざる可らず、 國と國との間然り人と人との間然り、男子と男子と、女子と女子との間然リ、 何ぞ男子の女子を券械となし奴隸となすを怪まん、兵士が國家の霞たるが如く、勞働者が賣本家の犧牲たるが如く女學生も女工も藝妓も、甚だしきは細君も、皆な男子が個々兢爭の利益の爲めに犧牲に供せられずんば已まざるは、是れ今日の社會に於て、實に必至の勢ならずんばあらず。
 故に二十世紀の婦人問題や、是れ實に重大なる社會間題也、而して是を解決する、先づ婦人をして其奴隸の境より救うて、彼等をして平等の人間たらしめざる可らず、共知識と財産とに於て獨立を得せしめざる可らず、而して之を為す唯だ現時社會の自由競爭の組織を變じて、社會協同の組織となすに在るのみ、他人を犧牲とする事なくして、獨立するを得るの組織と爲すにあるのみ、此れ卽ち社會主義の實行也。
 吾人の社會主義を唱ふるや、或人日く、汝土地財産の共有を欲す、人の細君も亦共有となさんとするかと、嗚呼是何の意ぞ、是れ實に婦人を以て貨物と同視する舊思想也、社會主義の理想は細君を以て共有たらしめざると同時に共良人の專有たるをも許さ須る也、人は平等也、婦人も亦平等の人間也、他人の所有物たる可らず、彼を所有するものは卽ち彼自身ならんのみ、而して婦人も亦社會全體の知識財產の平等の分配に與って以て個人性の獨立を全うせん、如此にして婦人問題は始めて解決せらるゝを得べくして、決して彼の小說の賣れんを求め、新聞雜誌の賣れんを求むるに依て解釋するを得可からざる者也。(明治三十五年十月十日、『萬朝報』所載)

  附 錄 終

      立言者。未必卽成千古之業。吾取其有千古之心。
      好客者。未必卽盡四海之交。吾取其有四海之願。
[編者注]
読み下し
言を立つる者は、未だ必ずしもすなわち千古の業をなさざるも、吾、その千古の心あるを取る。
客を好む者は、未だ必ずしもすなわち四海の交わりを盡さざるも、吾、その四海の願いあるを取る。
 典拠は、『小窓幽記』から。
訳は、
「著述する者は必ずしも歴史に残る大作を完成して千古の大事業を達成するとは限らないが、千古の年代に貢献しようという思いは評価される。客人を迎えるのが好きな人間は必ずしも広く世界各地の友と交遊し尽くすことができるとは限らないが、世界各地の友と交遊しようとする思いは評価できる。」(清言小品「小窓幽記」解読 PDF

  附 錄 終

[編者注]
 これで、岩波文庫版「社会主義神髄」は、平野義太郎氏の「解題」を除き、すべてテキスト化した。ご愛読に感謝する。引き続き、三枝博音「日本の唯物論者」の中江兆民、幸徳秋水の項をアップするが、その前に、該当書の「まえがき」「序論」から。
 全編を参照するには→ タグ:社会主義神髄

読書ざんまいよせい(061)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(09)

   附  錄

     社會主義と國家

 近時社會主義を駁するの論議多し、而して其最も有力にして而して最も普通なる者二あり、一は卽ち之を目して國家の權力を無限に增大すると為す者、 他は卽ち之を以て國家の廢滅を意味すと爲す者是れ也、二說氷炭啻ならずと雖も、而も兩つながら謬れり、是れ前者は社會主義を以て國家社會主義と混同し、後者は社會主義を以て無政府主義と混同する者なれば也、故に予は世間幾多の論客に向って、其社會主義を駁するの前、 先づ社會主義者が現時の所謂國家なるものに對する態度と、社會主義者が理想する國家の如何とに就て、一番の檢竅あらんことを望まざるを得ず。
 社會主義の要義が籍の生産と分配とを以て國家公共の業務となすに在るは論なし、然れども之を成すや、或は現在の國家組織に向って多少の變更を加へんとする者あり、或は全然根本の改造を要すとする者あり、孰れにもせよ眞正の社會主義者中何人も今日の所謂團家に整して之に信賴する者あらず、獨逸の社會民主黨の如きは、實に國家ステート絕滅アボリシヨンを希望することを揚言せり、此點に於ては彼等は、一見無政府主義と混同せらるゝの恐れあり、然れども知らざる可らず、彼等の所謂國家なる語は、猶ほ彼等が責本其他の語を使用するが如く彼等に特有なる學術的意味テクニカルセンスに於て使用せらるゝ者なることを、換言すれば彼等が絕滅せんとするの國家は、卽ち或一階級を代表せるの國家なることを、或一階級の利益の爲めに他の階級を壓虐して之が利益を纂奪するの國家なることを。
 獨逸の社會民主黨は其名の示すが如く社會主義者たるのみならず、亦實に民主主義者デモクラツト也、而して共生存する所の國家が極めて非民主的なる事、其事は彼等をして益々共國家に對する憎惡を熾ならしめたり、彼等は現在の國家を憎惡するの甚しきと共に、現在の國家の手に經濟的企畫を委任せんとする國家社會主義に向って急激の抵抗を試むるに至り、一千八百九十二年の會議に於て、彼等自ら其革命的勢力たることを宣言すると同時に、國家社愈主義を目して保守なりとして痛罵せり、彼等は謂らく今の國家は『財產及び階級の支配なる現在の社會的關係を維持せんが爲めの『組織的權力』に過ぎずと、故に彼等は斯る國家を根本的に絕滅し、彼の一階級の利益を承認せずして一切平等の利益を增進するの組織を建設せむことを望むもの也、但だ彼等の理想せる一切平等の利益を增進するの組織が、國家ステートなる語を附して果して適當なるや否やは、是れ自から別問題に屬す、若し夫れ英國フワビアン黨や、米國の社會黨に至っては、敢て画家絶滅を唱ふるなし、是れ怪しむに足らず、彼等の國憲が獨逸に比して大に民主的なるが故に、急激の手段に依らずして能く多數福利の增進を期待し得べきが爲めのみ。
 蓋し社會主義と民主主義とは、恰も烏翼車輪の如し、何となれば一は經濟的に一は政治的に多數共通平等の幸福を其向上の目的となす者なれば也。故に眞正の社會主義者たる者は必ずや眞正の民主主義者たらざる能はず、專制的國家に在るの社會主義者は民主的國家を建設せんと試み、民主的國家に在るの社會主義者は、共國家の更に完全ならんことを望む、唯だ其手段の緩急を異にするのみにして皆政治的改革に熱心ならざるはなし、而して彼等の目して最も理想に近しとして贊歎する所は、實に瑞西の政治的制度也、夫の.一般國民をして直接に法律の可否を投票せしむるのレフエレングムや、多數の國民に發議の權を與ふるのイニシエチーヴや、國民が立法府に於て有する代表者の數の比輟上尤も公平なるプロポーシヨナル選擧法や、皆な民主的意義の大に發現せられたるものにして、社會主義者の望仰想望する所なりとす。
 如此にして社會主義は、深く現時の國家の中央謂の害逐に懲りて、地方分權を主張するに至るは自然也、彼等は人民の事業をして人民に依て行はしめ、若くは人民に近かしめんが為に多くの公務を中央政府の手より奪つて地方の自治團體に恢復するの必要を感ず、彼等は可及的中央政府の職權と權力とを削減して、國家を以て地方市府町村の自治的集合團體の聯合とし中央政府は唯だ團體聨合を統一し、彼等が共通の利益を公平に按排せしむるの具となさんと欲す、彼等は如何なる政治にもあれ如何なる組織にもあれ、富財の社會共同的生產と其公平の分配を保障することを必する者也、萬人をして總て其堵に安んぜしめ、萬人をして總て十分に其知能を發揮せしむるの地位と機會を保障することを必する者也、是れ彼等が經濟及敎育の事業を以て一に公共の手(國家と言はず)に委せんとする所以にして、而して經濟敎育の二事を除くの外は、決して政治的干涉を喜ぶ者に非る也、否な極めて自由放任を主張する事猶ほ今の個人主義者の如き也、例せば國敎の如きは社會主義とは全然相容れられざるものにして、獨逸民主黨が其綱領に於て明かに宗敎を個人の私事なる事を宣言せるが如き是也、彼等の希望は人をして人を支配せしむるに非ず、人をして物を支配せしめんと欲すれば也。
 カール・マルクスと俱に所謂獨逸科學的社會主義の’祖師と稱せられたるフリードリヒ・エンゲルは日く、『夫れ壓制せらるべき階級なく、或階級の支配なく、個人の生存競爭なきに至らば、國家と名くる壓制的權力も亦必要なからん、而して之に代て起る者は、社會全體の代表者としての國家也、然れども此國家や唯社會の名に於て生産の機關を有するに過ぎず、唯此一事、國家の最初の職務にして、亦最後の職務也、社會關係に於る國家の干涉は、一層はー曆より漸々無用となつて消滅するに至るべし』と。
 然り、社會主義者が理想とする國家は唯だ如此きのみ、彼等は決して國家萬能の主義に依て個人の自由を沒却せんとする者に非ず、而も亦全然社會の秩序を無視して、其團結組織を破壊せしめんとするものに非ず、要は多致人の幸福のみ、平等の利益のみ、世の社會主義を批評する者宜しく此點に留意せよ、若し夫れ社會主義制度が立君政治と兩立するや否やは、自ら別問題也。
               (明治三十五年二月五日、『日本人』第一五六號所載

     社會主義と直接立法

 予は社會主義の見地より、世界萬邦の社會主義者と同じく、我日本に一日も早く一種の『レフエレングム』と『イニシエーチーヴ』の實施を切望するものである、一寸適當の語を思ひ付かぬので、假に前者を直接投票、後者を直接發議權と譯する。
 凡そ世間に馬鹿げたと言ひ、無意味と言っても、日本國民の所翼參政權なる者ほど無意味に馬鹿げた代物は有るまい、是が普通選舉でも行はれて居るなら猶可なりだが、今の日本は納稅資格などといふ時代後れの愚なことをして居るので、選舉有權者は四千五百萬の國民中百萬內外に過ぎぬではない歟、夫も公平選擧法プロポーシヨナルでも採用されて、此百萬人の有權者が盡く代表者を出し得るならば猶可なりだが、大政黨以外の候補者は大抵落選させらるゝので、眞に代表者を出し得る者は、百萬人中僅に五六十萬人に過ぎぬのではない歟、夫も彼等五六十萬人の意思だけでも確かに議會に代理され遂行さるゝなら猶可なりだが、其代表者は議會に入るを得ると同時に、全く政府の奴僕となって仕舞ふのではない歟、換言すれば日本人で參政權を有する者は國民中の極少數で、而も其少數が參政權を行ふのは、唯だ議員の投票を投票箱に投入れる一刹那、共一刹那だけに止まつて、後は煙散霧消するのではない歟、此爲體で有りながら國民の參政權で候などゝは呆れて物が言へぬのである、參政椎てふ名詞にして若し靈あらば、盜し噱然として笑ひ、啾然として泣くであらう。
 抑も政治の本義を推擴めて其極致に至つたならば、國民自身が直接に政權を執り行ふのが當然だが、但だ實際社會の狀態が此に至るを許さないので、少數官吏、少數議員に彼等の代理を頼むといふのは、今更言ふまでもないのである、故に予は、否な多くの學者は歐米諸國の代議制度に對してすら之を政治の極致に遠いとして極めて不平不滿足である、だから彼等は國民參政の功果を擧ぐる方法を講ずるのに、日も亦足らぬ有樣である、況して我日本に至っては参政の功果どころか、此不幸不滿足なる普通の代議制度にすら追付かないで、實際は君主專制、寡頭政治の蠻域に、蠢めき廻つて居るのである、是れ我政治の進步發達を希ふの上に於て、大に考慮すべき所でない歟。
 然らば如何にして眞に國民參政の權利を實功あらしめ、如何にして政治の本義に一步なりとも近くべき歟、此點に於て普通選舉は無論急要である、公平選擧法も無論急要である、而も是では未だしで、彼等の參政權の實功は、矢張共投票を投ずる刹那に過ぎぬので有る、是に於て百尺竿頭ー步を進めて國民の直接投票レフエンダム 直接發議權イニシエーチーヴを主張せざるを很ないのである。
直接投票レフエンダムといふものは、議會で決議した重大なる法案の可否を、更に國民の意見に問うて、其贊成を得て初めて法律とするのである、直接發議權は國民多數の連署を以て重大なる法律の改廢或は制定を發議し、矢張國民の投票に依て採決するのである、此兩者あって始めて國民が政治に參與するの實があり、國民の意思を代表しない官吏と議員との横暴を制し得るのである、而して欧米諸國中此兩者を實行して居るのは、瑞西聯合共和國である、予は無論瑞西の制度を其儘採用せよといふのではないが、併し其方法は大に參考とするに足るのである。
 孰れの國でも兩院を通過した法律は其規定した日時から直ちに効力を有するのだが、瑞西國では左樣は行かぬ、緊急なる性質の者、其他或特種の者を除くの外は、共法案を九十日間遍く各州に掲示して、若し其期限內に國民三萬人の請願か、若しくば八個の州の政廳より該法案の直接投票を要求して來た埸合には卽ち直接に國民をして可否を投票せしめねばならぬ、最も是迄行はれた直接投票は州政廳より要求したのではなくて、常に國民の請願に由つたのであった、三萬人といへば全國民の約百分のー、有權者總數の廿分のーである、斯くて其請願者の記名が定數に充ちたならば、卽ち聯合各州に於て同日に投票を行はしめる、投票期日は、命令を發した日から、四週間後でなければならぬ、一千八百七十四年から一千八百九十三年に至る間に、揭示せられた法律命令百六十四件中、直接投票を耍求せられたのが十八件、共中十二件は否決せられた、卽ち直接投票に掛けるのが一割內外で、其多くは否決せられたのである。
 直接投票は獨り聯邦議會の法案に就てのみならず、各州でも夫々州議會の法案に就て行って居るのである、尤も各州で多少制度を異にして重大の法案を盡く直接投票に問ふのもあれば、州民多數の要求を待て始めて之に付するのもある。後者では請願の記名提出の期限は通例三十日內外で請願者定員は其州有權者の五分のー乃至十二分のーである。
 爰で吾人の最も注意すべきは、彼等國民及び州民が直接投票を要求するのは、決して一時の感情に走るのではなくて、其嚴格に且熱心に自己の權利を行ふことである、而して政府も議會も謹んで其命令に服從するので日本の如く民意を度外して善い加減に扱ふことは出來ぬのである。
 直接發議權も亦久しく聯合各州に用ゐられて居る、州民が或法律の改廢若しくは創定を希望する時は、多數の賛成を得て其理由を具し、州の議會に提出する、其定員は直接投票者の割合と略同樣である、夫で議會は一定の期間に(或州は二ヶ月)之が成案を作り、同時に議會も又別に議會の案と意見とを附して州民の直接投票を命じ、其採決に從って直に法律となるのである。於是て實際彼等は直接に立法の權利を堅く把持し居るものである、而して是も亦た極めて嚴格に愼重に行はれるのである、此制度は古來州にのみ用ゐられて居たが一千八百九十一年に至って晰邦の憲法修正に用ゐらるゝこととなつた。
 其制に從へば若し五萬の國民が、憲法に於て或條章の制定を要求すれぱ、聯邦議會は直ちに其希望を討究して一の成案を摧へ、之を直接投票に問はねぱならぬ、又其要求の賛すべきものでなかつたならば、先決問題として憲法の改正すべきや否やを直接投票に間ひ、其採決を待て再び細目の成案を國民に問ふのである、又人民より詳細の成案を提出した場合には、議會は之に贊するか或は別に異つた案を出すか、或は全く反對の案を出して、共に國民の決定に委することが出來る、但し議會の案は其請願書の受領の後一ケ年間に作らねばならぬ、其時限を過ぎたら請願の案に同意した者となって、投票に附せられる、此方法で聯邦の憲法は屢ば修正せられ、大に同國政治の進步と發達に資したのである。
 我日本に於ては憲法修正の發議權は獨り天皇陛下の持し玉ふ處である、而して現在憲法の修正せられない限りは、我國民が憲法修正に關する發議は元より、一般法律に對する直接投票レフエンダム、及び直接發議權イニシエーチーヴをも得られないのは承知である、予は決して憲法の紛更を試むるが如き所存は微塵もない。
 併しながら、現時の國民参政權がノンセンスであるのは確かである、政治の本義が國直接の政治に在るのは確かである、而して直接投票と直接發議とが、政治の本義に一步を近づくものなるも亦確かである。
 試に思へ、若し我國民が早く直接投票と直接發議との權利を得て居たならば、藩閥の政治家は能く今日の運命を保つたであらう歟、 無法の軍備は能く擴張せられたであらう歟、亂暴なる增税は能く承諾せられたであらうか、高野問題は今日までも未定のまゝで殘つたであらう歟、鑛毒問題に直訴の必耍があったのであらう歟、凡そ是等の例を見來れば、 如何に我國民の權利が全く蹂躙せられ、輿論が全く度外視せられ、ー國の政權が一部少數の手に竊まれて居るが爲めに、多くの不正と多くの非義と、 多くの損害と多くの醜聞が被むらされたかゞ解るであらう、我日本の國民は果して永く此の狀態に堪ふべきである歟、堪へ得ることが出來るであらう歟。
 若し日本の政治が果して君主專制寡頭政治の域を離れて將來益す進步し發逹し行くものならば、何時かーたび這箇の制度を採用するの氣運に際會せずには居らぬ、斯る氣運は如何なる經過で熟する歟、又は如何なる手續で事實に現出して來るかは是れ自ら別問題である、但だ此氣運にーたび際會すると極った以上は、予は一日も其速かならんことを希望に堪へぬ、而して若し此のニ箇の直接立法の方法が行はるゝに至ったとすれば、社會主義の目的は其大半を遂げたものである。
      (明治三十五年一月二十七日、『萬朝報』第三千號所載、原題「直接參政論」)

写真は、「アンパンマン」の作者・やなせたかし氏の高知新聞記者時代の大逆事件「被告」坂本清馬氏らのインタビュー記事(1948年11、12月)

読書ざんまいよせい(060)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(08)

     第七章 結  論
〇果然、病源は發見せられたる也。謎語豈に解決せられざらんや。
〇殖產的革命は社會組織進化の一大段落を宣吿せり、產業の方法は、個人の經営を許すべく、餘りに大規模となれる也。生產力は個人の領有を許すべく、餘りに發達膨大せる也。故に彼等は其性質の社會的なるを承認されんことを耍求す、其領有の共同的ならんことを强請す、其分配の統ーあらんことを命令す、而も聽かれざる也。是を以て競爭となり、無政府となり弱肉强食となり、獨占となり、社會多數は是等獨占的事業の犠牲に供せらるゝに至る。
〇故にエンゲルは日く『社會的勢力の運動や、其盲目なる、亂暴なる、破壊的なる、毫も自然法の運動に異なるなし。而も吾人ーたび其性質を理解するに及んでや、隨意に之を驅役して、以て自家の用を爲さしむるを得る、猶ほ雷光の通信を助け、火焰の煮炊に供するが如し』と。然り現時社會が生產機肅發達の爲めに利せらるゝなくして、却って之が蕾に苦しむ所以の者、一に社會進化の法則に悖反はいはんするが爲めのみ。若しーたび其性質趨勢を理解して之を利導せん乎、猶ほ人を震し人を焚くの雷光火焰が吾人必須の利器となるが如けん也。
〇今に於て怪しむ勿れ、學術の日に進んで徳義の日にくづるゝことを、生產益を多くして、萬民益益貧しきことを、敎育愈々盛にして罪惡愈々多きことを嗚呼是れ一に現時の生產機關私有の制度之をして然らしむるのみ。個人をして、今の生產機關を私有せしむるは、猶ほ狂人をして利刃を持せしむるが如し、自ら傷け、人を傷けずんば已まず。
〇而して共結果や卽ち分配の不公となれり、分配の不公は卽ち多數人類の貧困と少數階級の暴富となれり、暴富なるものは卽ち驕奢となり、腐敗となり、貧困なるものは卽ち堕落となり、罪悪となり、擧世滔々として江河日に下る、洵に必至の勢ひのみ。
〇故に今日の社會を救ふて其苦痛と墮落と罪悪とを脫せしむる、貧富の懸隔を防止するより急なるは無し。之を防止する、富の分配を公平にするより急なるは無し。之を公平にする、唯だ生產機關の私有を廢して、社會公共の手に移すに在るのみ。換言すれば卽ち社會主義的大革命の實行あるのみ。而して是れ實に科學の命令する所、歷史の要求する所、進化的理法の必然の歸趣にして、吾人の避けんと欲して避く可らざる所にあらずや。
〇嗚呼近世物質的文明の偉觀壯觀は、如此にして始めて能く眞理、正義、人道に合することを得可きにあらずや。眞理、正義、人道の在る所、是れ自由、平等、博愛の現ずる所に非ずや。自由平等博愛の現ずる所是れ進歩、平和、幸福の生ずる所に非ずや。人生の目的唯だ之れ有るのみ、古來聖賢の理想、唯だ之れ有るのみ。エミール・ゾーラ叫んで日く『社會主義は驚嘆ワンダフルすべき救世の敎義也』と。豈に我を欺かんや。
〇起て、世界人類の平和を愛し、幸福を重んじ、進步を希ふの志士、仁人は起て。起って社會主義の弘通と實行とに力めよ。予不敏と雖も、乞ふ後へに從はん。

人生不得行胸懐。雖壽百歳酒夭也。
[編者注]典拠は 『小窓幽記』、訳は、「生きているうちに胸の懐いを遂げなければ、年が百歳になろうと、若死にである。」くらいの意味か?
[補足]劉宋の人、蕭恵開の語に「人生不得行胸懐、雖寿百歳猶為天也」〔宋書、巻八十七〕がある。蕭恵開は、晚年志をえず、つねに人にそういったという。

靑天白日處節義。自暗室陋屋中培來。
旋乾轉坤的經綸。自臨深履薄處操出。
[編者注]意味は「晴れ渡る空の日のごとき正義・節操は、暗室陋屋の中から培われ、天をひっくり返すほどの国の方策は、深き水の上の薄氷を踏むほどの熟慮の境地から力を得る。」くらいの意味か?
[補足]青天白日。清明の象を喩う。「大丈夫心事、当如青天白日、使人得而見之可也」〔朱子文集〕とみえる。〇施乾転坤。乱れた天下をよく治った状態に代えること(韓愈〔潮州刺史謝上表〕)。〇臨深履薄。至って危いたとえ。戦々兢々、如臨深淵、如履薄冰」〔詩、小雅、小旻〕。〇困窮危険の状況から、社会主義の立派な経綸が生みだされることをいう。(「近代日本思想体系」筑摩書房・幸徳秋水集から)

社會主義神髄 終

読書ざんまいよせい(058)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(07)


    第六章 社會黨の運動

〇日く 一切生產機關の公有、日く富財の公平なる分配、日く階級制度の廢絕、日く協同的社會の組織、之が實行や洵に一大社會的革命也。然らば則ち社會黨は革命黨なる乎、其運動は革命的運動なる乎。曰く然り。
〇然れども怯懦の貴族よ、小心の富豪よ、輕躁の有司よ、乞ふ恐るゝ勿れ。今の社會黨は漫に爆彈を公等の馬車に投ぜんとするの者に非ざる也、敢て鮮血を公等邸第にまんとする者に非ざる也、但だ公等と俱に與に大革命の德澤に沐浴せんと欲するのみ、恩惠に光被せんと欲するのみ。
〇思へ古今何の時か革命なからん、世界何の邦か革命なからん、社會の歷史は革命の記錄也、人類の進步は革命の功果也。試みに思へ、當年の英國、クロムエルの起つに會はず、當年の米國獨立を宣するを得ず、佛國の民、共和の制を建つる能はず、日耳曼ゼルマン諸州聯合の業成らず、伊太利統ーせらるゝを見ず、日本維新の中興なかりしとせば、世界人類は今や果して何の狀を為すべぎ乎、現時の文明は果して何の處にか見るべき乎。革命を恐怖する者よ、現時公等が謳歌せる文明と進步とは、實に過去幾多の大革命が公等に賚賜らいしせる所に非ずや。
〇社會の狀態が常に代謝して已まざるは、猶ほ生物の組織の進化して已まざるが如し。而して其進化や代謝や若しーたび休せるの時は、其生物や社會や卽ち絕滅あるのみ。永久の生命は必ず暗喑裡に進化す、決して常住を許さヾる也、社會の狀態は必ず冥々の間に代謝す、決して不變を許さゞる也。而して這の喑冥なる進化代謝の過程プロセッスに於て、每に明白に其大段落を割し、新紀元を宣言する者、則ち革命に非ずや。之を譬ふるに歷史は一連の珠敷に似たり、平時の進化代謝は其小珠也、革命は其數取りの大珠也、進化代謝の連續なると同時に革命の連續たる也。
〇ラツサルは日く『革命は新時代の產婆也』と。此語未だし也、予は將に日はんとす、革命は產婆に非ずして、分娩其物也と、何となれば是れ偶然の出來事に非ずして、實に進化的過程の必然の結果なれば也。而して舊時代老いて新時代を生み、新時代の長ずるや、更に他の新時代を生む、皆な革命に依らざるは無し。何ぞ彼の子々孫々のかたみに分娩して百世窮極する所なきと異ならんや。
〇但だ分娩に難易あるが如く、革命にも亦難易なきを得ず。分娩が時に母體を切開するの要あるが如く、革命も時に暴動を現ずるの已むなきに至るあり。而も是れ決して希ふ可きのことに非ざるや論なし。
〇故に母體の組織發達の如何を診し、之が健康を保ちて以て其分娩を容易ならしめんと期するは、產科醫及び產婆の職務也、社會の組織狀態の如何を察し、進化の大勢を利導して以て平和の革命を成さんと希ふは、革命家の識慮也。而して今の社會黨や實に這個社會的產婆產科醫を以て、 自ら任とする者に非ずや。
〇夫れ然り、革命は天也、人力に非ざる也。利導す可ぎ也、製造す可きに非ざる也。其來るや人之を如何ともするなく、其去るや人之を如何ともするなし。而して吾人人類が其進步發達を休止せざるを希ふの間は、之を恐怖し嫌忌すと雖も決して之を避く可らず、唯だ之を利導し助成し、以て其成功の容易に且つ平和ならんことを期すべきのみ。社會黨の事業や、唯だ如此きを要す、曷んぞ漫に殺人叛亂を以て、平地に波を揚げて快する者ならんや。
〇蓋し前世紀の初め、社會燃の陳吳ちんご[編者注:中国・秦に対する反乱を最初に起こした陳勝・呉広の事。物事の先駆け]として起てる者、英に在てはオーエン、佛に在てはカペー、サン・シモン、フーリエー、ルイ・ブラン、獨に在てはワイトリングの徒、其現時制度の害毒を指摘するや頗る痛切に、其理想の實行に着手するや極めて熱心なる者ありき。然れども當時社會主義の發達、日猶ほ淺く、硏究未だ精なることを得ざりしが故に、破等の企畫や遂に一種の空想、卽ち所謂『ユトピア』たるを免れざりき。彼等が或は共同生產の工場を起し、或は共同生活の殖民地を拓くや、一に自己の模型に從って直に社會を改鑄せんとする者なりき、一日一夜にして直ちに理想の世界を現出せんとする者なりき。彼等は人道の上に立てり、而も未だ科學の基礎を得ること能はざりき、彼等は建設を試みたり、而も未だ自然の進化に從ふ能はざりき。其前後相踵で失敗に歸せしは固より其所也。
〇是を以て當時の歷史を瞥見する者、動もすれば日く、社會黨の運動は一時の狂熱のみ、其企畫はユトピアのみ、到底不可能の事に屬す、共自ら消滅するは日を期して待つ可き也と。是れーを知って二を知らざる者のみ。夫れ狂熱は冷却すべし、空想は消散すべし、而も眞理は豈に永劫に死せんや。近世社會主義は實に是等ユトピアの死灰中より再燃し來れるに非ずや。
〇ー八四七年マルクスが其友エンゲルと共に、有名なる『共產黨宣言書マニフェスト・オブ・ゼ・コンミユニストパーチ—』を發表して所謂階級戰爭の由來歸趣を詳論し、以て萬國勞働者の同盟を呼號してより以來、社會主義は嚴乎として一個科學的敎義ドクトラインとなれり、又舊時の空想狂熱に非ざる也。社會黨は旣に社會が一稲の有機軆なることを解せり、又自己腦裡の模型に從つて之が改造を企つる者ある無き也。彼等は歷史の進化を信ぜり、決して一日にして其革命の成功すべきた夢みる者に非ざる也。
〇彼等は單にー小組合の共同生活が、必ず社會全軆の競爭の爲めに蹂躙さるべきを見たり、彼等は世界の形勢と隔絶して完全なる理想鄕を單に一地方に建設するの、到底不可能なることを驗せり。是を以て彼等は決して社會全體の調和を破壊することなくして、着々其主義勢力を擴張し、史的進化の自然に從つて徐々に其抱負政策を實行し、寸を得れば卽ち寸を守り、尺を得れば卽ち尺を保ち、遂に理想の完成に達せんと欲するに至れり。而して彼等が之を為すの術如何。
〇他なし、彼等は無政府黨に非ず、個人の兇行は何物をも得べきに非ざるを知る、其運動や必ず團體的ならざる可らず。彼等は虚無黨に非ず、一時の叛亂が何事をも成すべきに非ざるを知る、其方法や必ず平和的ならざる可らず。然り彼等の武器や、唯だ言論の自由あるのみ、團結の勢力あるのみ、參政の權利あるのみ。於是乎萬國の社會黨は皆な政治的方面に向つて其運動を開始せり。
〇思へ社會主義にして、果して世界の輿論となるを得たりとせよ、社會人民の多數は則ち社會黨員となれりとせよ、而して彼等は普通選擧の制に依って盡く参政の權利を得たりとせよ、而して社會黨代議士は各國議會の多數を占め得たりとせよ、其他市府行政の機關、 町村自治の齒體、皆社會黨に依て運轉し指導せらるゝに至るとせよ、彼等は自在に社會組織の改善に着手することを得べきに非ずや。
〇但だ各國人文の程度、歷史の結果、社會の狀態を異にする.に從つて、之が改造の順序方法亦自ら異ならざるを得ず。事の緩急、 物の輕重、其時と人との宜しきに從ふ可きが故に、共細目は预め之を決定す可きに非ずと雖も、凡そ參政の權利を多數人民に分配し、婦幼を保護し、敎育を無料にし、勞働時間を制限し、勞働組合を公許し、工場の設備を完全ならしむるが如きは、第一着の事業ならずんばあらず。而して或は一部より、或は一地方より、或は資本に於て、或は土地に關し、漸次に少數階級の特占の權利壟斷の利益を減殺して、之を社會人民全體の用に移すの政策を實行し、步は一步より、層はー層より、進んで而して已むことなくんば、一日一切の生產機關を擧げて、盡く社會の公有に歸する者、豈に難からんや。
〇然リ社會窯が運動の方針や如此し、而して其實際の功果成績に至りては、眞に刮目を値ひする者ある也。ラサールが『嗚呼此闇愚の勞働者は、何の時か共昏睡より醒む可き』と嘆息せしは、僅に四十年の前なりき。而して四十年後の今日に於て、獨逸の社會主義者は、旣に二百五十萬人を以て算せられ、七十餘人の代議士を有する也。佛團の社會主義者亦實に百五十萬の多きに達し、百三十人の代議士を有する也。英國の議會や、特に社會然と自稱するの議員尙ほ少しと雖も、而も同国の二大政黨は近時競ふて社會主義的政策を採用するに至れり、ハーコート曾て議會に演說して『今や吾人は皆社會黨也』と公言せる者、決して虛ならざるを見る。若し夫れ各都市の行政は、大抵社會主義者に依て指導せられざるはなき也。其他歐洲列團、北米諸邦、苟くも近世文明の在る處、曾て社會黨の生ぜざるはなく、社會黨の生ずる處、其の勢力の發逹は飛瀑の天より下るが如く、主義の擴張は猛火の原をくが如きを見ずや。
〇夫れ文明の邦、立憲の治下に於て、社會の輿論ーたび我に歸し、政治の機關、亦我手中に歸するに至らば、兵馬の力も之を如何せんや、警察の權も之を如何せんや、而して富豪の階級亦竟に之を如何ともすることなけん。社會主義的大革命が、正々堂々として、平和的に秩序的に、資本家制度を葬り去って、マルクスの所謂『新時代の生誕』を宣言することを得るは、酒ほ水到って渠成るが如けん也。
〇嗚呼革命よ、如此にして來り如此にして去る。而して吾人に賽賜するに、平和と進步と幸福とを以てす。予は社會百年の爲めに共助成し歡迎すべきを見る。未だ嫌忌し恐怖すべきを見ざる也。

蒲柳之姿。望秋而零。
松柏之質。經霜彌茂。

[編者注]
典拠は、 『世説新語』簡文帝と同年の顧悦こえつが髪の毛が早く白くなったのを帝が「どうしてそんなに白いのか」と問うた。その返事に「蒲柳の姿は秋を望んで落ち、松柏の質(たち)は霜を経ていよいよ茂る」(蒲柳の姿は秋を前にいち早く落葉しますが、松柏の質は霜にあっていよいよ緑です〈帝のこと〉)と答えた。資本主義を「蒲柳」に社会主義を「松柏」に例えたのであろう。

読書ざんまいよせい(057)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(06)

    第六章 社會黨の運動

〇日く 一切生產機關の公有、日く富財の公平なる分配、日く階級制度の廢絕、日く協同的社會の組織、之が實行や洵に一大社會的革命也。然らば則ち社會黨は革命黨なる乎、其運動は革命的運動なる乎。曰く然り。
〇然れども怯懦の貴族よ、小心の富豪よ、輕躁の有司よ、乞ふ恐るゝ勿れ。今の社會黨は漫に爆彈を公等の馬車に投ぜんとするの者に非ざる也、敢て鮮血を公等邸第にまんとする者に非ざる也、但だ公等と俱に與に大革命の德澤に沐浴せんと欲するのみ、恩惠に光被せんと欲するのみ。
〇思へ古今何の時か革命なからん、世界何の邦か革命なからん、社會の歷史は革命の記錄也、人類の進步は革命の功果也。試みに思へ、當年の英國、クロムエルの起つに會はず、當年の米國獨立を宣するを得ず、佛國の民、共和の制を建つる能はず、日耳曼ゼルマン諸州聯合の業成らず、伊太利統ーせらるゝを見ず、日本維新の中興なかりしとせば、世界人類は今や果して何の狀を為すべぎ乎、現時の文明は果して何の處にか見るべき乎。革命を恐怖する者よ、現時公等が謳歌せる文明と進步とは、實に過去幾多の大革命が公等に賚賜らいしせる所に非ずや。
〇社會の狀態が常に代謝して已まざるは、猶ほ生物の組織の進化して已まざるが如し。而して其進化や代謝や若しーたび休せるの時は、其生物や社會や卽ち絕滅あるのみ。永久の生命は必ず暗喑裡に進化す、決して常住を許さヾる也、社會の狀態は必ず冥々の間に代謝す、決して不變を許さゞる也。而して這の喑冥なる進化代謝の過程プロセッスに於て、每に明白に其大段落を割し、新紀元を宣言する者、則ち革命に非ずや。之を譬ふるに歷史は一連の珠敷に似たり、平時の進化代謝は其小珠也、革命は其數取りの大珠也、進化代謝の連續なると同時に革命の連續たる也。
〇ラッサルは日く『革命は新時代の產婆也』と。此語未だし也、予は將に日はんとす、革命は產婆に非ずして、分娩其物也と、何となれば是れ偶然の出來事に非ずして、實に進化的過程の必然の結果なれば也。而して舊時代老いて新時代を生み、新時代の長ずるや、更に他の新時代を生む、皆な革命に依らざるは無し。何ぞ彼の子々孫々のかたみに分娩して百世窮極する所なきと異ならんや。
〇但だ分娩に難易あるが如く、革命にも亦難易なきを得ず。分娩が時に母體を切開するの要あるが如く、革命も時に暴動を現ずるの已むなきに至るあり。而も是れ決して希ふ可きのことに非ざるや論なし。
〇故に母體の組織發達の如何を診し、之が健康を保ちて以て其分娩を容易ならしめんと期するは、產科醫及び產婆の職務也、社會の組織狀態の如何を察し、進化の大勢を利導して以て平和の革命を成さんと希ふは、革命家の識慮也。而して今の社會黨や實に這個社會的產婆產科醫を以て、 自ら任とする者に非ずや。
〇夫れ然り、革命は天也、人力に非ざる也。利導す可き也、製造す可きに非ざる也。其來るや人之を如何ともするなく、其去るや人之を如何ともするなし。而して吾人人類が其進步發達を休止せざるを希ふの間は、之を恐怖し嫌忌すと雖も決して之を避く可らず、唯だ之を利導し助成し、以て其成功の容易に且つ平和ならんことを期すべきのみ。社會黨の事業や、唯だ如此きを要す、曷んぞ漫に殺人叛亂を以て、平地に波を揚げて快する者ならんや。

読書ざんまいよせい(053)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(05)

     第五章 社會主義の効果

〇說て此に至らば、一團の疑惑は雲の如く、油然として直ちに衆人の心頭を衝て起る者あらん、何ぞや。
〇日く、古來人間の氣力奮揚し、智能練磨し、人格向上することを得る所以は、實に生存の競爭あるが爲めに非ずや。若し萬人衣食の慮る可きなく、富貴の進取すべきなく、賢愚强弱皆な平等の生活に安んぜざる可らずと爲さば、何物か又吾人の競爭を鼓舞せんや。競爭なきの社會には卽ち勤勉なけん、勤勉なきの社會には、卽ち活動進步なけん、活動進步なきの社會は、卽ち停滯、堕落、腐敗あるのみ。社會主義實行の効果は、唯だ如此きに止まらざる乎と。
〇獨り庸衆の、這個の杞憂を抱けるのみならず、碩學スペンサーの如きすら亦日く、『社會主義の制度は總て奴隸制度也』と。ベンジヤミン・キツドも亦大著『ソシアル・エヴオルーシヨン』中に論じて謂らく『個人の生存競爭は、啻に社會あって以來のみならず、實に生物あって以來、常に進步の源たる者也、而も社會主義の目的は全く之を禁絕するに在り』と。而して今の地主資本家に阿媚して自ら利する者あらんとするの徒、亦此種の言說を誇張し、以て社會主義の大勢に抗する唯一の武器と為すもの ゝ如し。
〇夫れ社會主義の為す所にして、果して個人の自由を奪ひ社會の進步を休せしむる彼等の言の如くならん乎、其唾棄すべきや論なし。然れども是れ誤謬也、謬誤にあらずんぱ卽ち讒誣ざんぶ也。
〇思へ所謂生存競爭が社會進化の大動機たるは、豈に彼等の言を待て後ち知らんや。而も古來社會の組織が漸次其狀態を異にするに至るや、之を刺擊し活動せしむる所以の競爭其物も從つて其性質方法を異にせざることを得ず。腕力の競爭が智術の競爭となれるを見よ、個人の競爭が團體・の競爭となれるを見よ、武器の競爭が辯說の競爭となれるを見よ、掠奪の競爭が貿易の競爭となれるを見よ、侵略の競爭が外交の競爭となれるを見よ、生存競爭の性質方法が、常に社會の進化に伴ふて進化せるの迹を見る可らずや。
〇而して見よ、現時の經濟自由競爭が殖產的革命の前後に於て、世界商工の發達に與って大に力ありしことは、予も亦之を疑はず、然れども此等競爭を必耍とせし時代は旣に過ぎ去れり。今や自由競爭は果して何事を意味すとする乎、唯だ少數階級の暴橫に非ずや、多數人類の痛苦に非ずや、貧富の懸隔に非ずや、不斷の恐慌に非ずや、財界の無政府に非ずや。是れ實に社會の進化に益なきのみならず、却って其堕落を長ずる者に非ずや、如此にして吾人は猶ほ共保存を希ふの理由ある乎。
〇太初蠻野の時に於てや、暴力の鬪爭は社會進化の爲めに共唯一の動機たりき、而も今日に於ては直ちに一個の罪悪に非ずや、若し競爭は進步に必耍なるが故に、暴力も之を禁ずるを得ずと言はヾ、誰か其無法を笑はざらんや。今の自由競爭を以て必要となすの愚は實に之に類せずや。
〇且つや眞個の競爭を試む、必ずや先づ競爭者をして平等の地位に立たしめざる可らず、其出發點を同じくせしめざる可らず。而も今の競爭や如何、一は生れながらにして富貴也、衣食足り敎育足り、加ふるに父祖の讓與せる地位と信用と資產とを以てす、他は貧賤の子也、凍餒とうだい窮苦の中に長じ、敎育なく資產なく、地位なく信用なし、有る所は唯だ赤條々の五尺軀のみ。而して此兩者を直ちに競爭場裡に投じて長短を較せしむ。而して其勝敗の決を見て喝采して日く、是優勝劣敗也と、是れ豈に殘酷なる虐待に非ずや、何ぞ競爭たるに在らんや。
〇然り今の自由競爭や、決して眞個公平の競爭に非ざる也、今の禍福や決して勤惰の應報に非ざる也、今の成敗や決して智愚の結果に非ざる也。運命のみ、偶然のみ、富籤を引くと一般のみ。
〇否な所謂自由競爭の不公なるのみならず、此等不公の競爭すらも、今や殆ど之を試むるの餘地なきに至らんとす。見よ、世界產業の大部は旣に偶然を僥倖せる資本家の獨占となれるに非ずや、世界土地の大部は、旣に運命の恩籠ある大地主の兼併に歸せるに非ずや、而して資本を有せざる者及び土地を有せざる者は、唯だ彼等の奴隸たるの外なきに至れるに非ずや。然り自由競爭の名は美也、而も事實に於て經濟的競爭は竟に其迹を絶たずんば已まず。豈に特に社會主義の之を廢絕することを待たんや。
〇於是乎生存競爭の性質方法は、更に一段の進化を經ざることを得ず。社會主義は實に這個進化の理法を信じて、社會全體をして此理法に從はしめんと欲す。然り現時卑陋の競爭を變じて高尙の競爭たらしめんと欲す、不公の競爭を變じて正義の競爭たらしめんと欲す。換言すれば卽ち衣食の競爭を去て、智德の競爭を現ぜんと欲する也。
〇試みに思へ、人生の進步向上にして、單に激烈なる衣食の競爭の結果なりとせん乎、古來高材逸足の士は必ず社會最下府の窮民中に出づべきの理也。而も事實は之に反す、人物が多く富貴の家に生ぜざると同時に、極貧者の中に出づること亦甚だ稀なるに非ずや。他なし富貴の階級や、常に侫娼阿諛ねいびあゆの爲めに圍繞せられて、志驕り氣餒ゑ、徒らに快樂の奴となり、窮乏の民や終生衣食の爲めに遑々として、唯だ飢凍に免る、に急なれば也。
〇然り高尙なる品性と偉大の事業とは、決して社會貧富の兩極端に在らずして、常に中間の一階級より生ずる者也。彼れ夫れ資財ありと雖も未だ彼等を厲敗せしむるに足らず、勤勞を要すと雖も、未だ彼等を困倦こんけんせしむるに至らず、猶ほ其智能を磨くの餘裕有り、心氣を奮ふの機會多ければ也。見よ封建の時に於て武士の一階級が其品性の尤も高尙に、氣カの尤も旺盛に、道義の能く維持せられたる所以の者は、實に彼等が衣食の爲めに其心を勞するなくして、一に名譽、 道德、眞理、技能の爲めに勤勉競爭するの餘裕機會を有せしが爲めに非ずや。若し彼等にして初めより衣食のために競爭せざる可らざらん乎、直ちに當時の『素町人根性』に隨落し去らんのみ、豈に所謂『日本武士道』の光榮を擔ふことを得んや。
〇基督は富人を嚴責するに、其天國に入り難きを以てし、貧しき者は幸福なりと日へり。然れども知らざる可らザ、當時の猶太の貧民は、漁農を務め、エ獎を勵み、以て獨立の生を營めるの中等民族にして、決して今日多數の賃銀的奴隸と同視すべきに非ざることを。而して社會を擧げて是等中等民族と為さんとするは、是れ社會主義の目的とする所に非ずや。
〇爰に人あり、雇主の叱陀を恐るゝが爲めに非ず、財貨の報酬を望むに非ず、唯だ工作を愛するが爲めに建築に從事すとせよ、唯だ神來に乘じて其大筆を揮洒こんしやすとせよ。彼等の藝術は如何に其眞を得、善を得、美なるを得べきぞや。其他幽奧なる哲理の探討や、精緻なる科學の硏究や、如此にして始めて大に其光修を放つべきに非ずや。
〇更に一面より見る、現時社會の陵落と罪惡の大半は實に衣食の匮乏に因す、金錢の競爭に因す。家庭の平和も之が爲めに害せられ、婦人の節操も之が爲めに汚され、士人の名讐も之が爲めに損せられ、而して一國一社會の風敎、道德之が爲めに壞敗せらる。見よ現時我國監獄の囚徒七萬人、而して其罪狀の七割は實に財貨に關する者也といふに非ずや。古人言ひ得て佳し、『金が敵の世の中』なりと。若し世に金銭の競爭なかりせば、社會人心は如何に純潔なる可りしぞ、少くも今の罪惡は其大半を掃蕩す可きに非ずや。而して能く吾人の爲めに、金銭てふ怨敵を滅絶し、衣食競爭の蠻域を脫せしむる者は社會主義に非ずや。ウィリアム・モリスは日く『人が財貨の爲めに心を勞するなきに至るも、技費 萬有、戀愛等は、人生に與ふるに趣味と活動とを以てす可し』と。是等の趣味と活動は、吾人の爲めに更に正義高尙なる自由競爭を開始して、以て社會の進化を促進するを得ん也。
〇言ふこと勿れ、衣食の慮る可きなくんば、人は勤勉することなけんと。人の勤勉を促す者、豈に唯だ財貨のみならんや、人間の性情は未だ如此く汚下ならざる也。見よ彼の深山大海の探險や、學術上の發明や、文學美術の大作や、共他各々好む所に從ひ適する所に向って其技能を試むるに當つてや、心中獨り自ら愉悅に堪へざるもの無くんばあらず。况んや之に加ふるに多大の名譽光榮の酬ゆるありとせば誰か欣然として共勤勞に服せざる者らんや。少年の學生が孜々として學ぶ者は、決して衣食の爲めにするに非ざる也、兵士の奮躍して死に趨くは、決して衣食の爲めにするに非ざる也。
〇現時勞働者の大抵勤勞を厭ふて、動もすれば安逸を貪るの狀あるは、予も亦之を認む、然れども是れ豈に彼等の罪ならんや。夫れ演劇を觀、角觝かくていを樂む者と雖も、其長きに及べば卽ち倦怠を感ず。况んや悪衣惡食にして、一日十數時間の勤勞に服す、以て少壯より老衰に至る、何の希望なく、何の變化なく、何の娛樂なし。而して其事業や必しも共好む所に非ざる也、唯だ衣食の爲めに驅らるゝのみ。而して彼等が勤勞の功果や、共大部は卽ち他人の爲めに掠奪せられて彼等は僅に其生命を支ふるに過ぎざるに非ずや。之を如何ぞ疲勞厭倦せざることを得んや。然り今の勞働者が衣食の爲めに驅らるゝや、牛馬の如し、彼等の心身は旣に共鞭笞に堪へざるに至れり。彼等が懶惰を以て其樂園と爲すに至れる者、一に現時社會組織の弊害之を致せるのみ。
〇夫れ人は其勤勞の長きに堪へざるが如く、亦逸豫の長きに堪へず。試みに今日の勞働者に向つて、汝の衣食は給せらるべし、汝是より勤勞を要せずと言はヾ、彼等は初め喜んで其情眠を貪らん。而も如此き者數日ならしめよ、十數日ならしめよ、數月ならしめよ、彼等は漸く其徒然無為に飽きて、必ずや多少の事業を求むるに至るや明らか也。
〇故に社會主義制度の下に處して、衣食あり、休息あり、娛樂あり、而して後ち其好む所、適する所に從って、一日三四時乃至四五時、其强健の心身を勞して社會に奉ずるが如きは、却って是
れ一種の滿足あらんぱあらず。苟くも人心ある者誰か敢て避躱ひたいせんや。『勞働の神聖』てふ語は、於是て初めて意義あることを得ん也。
〇若し夫れ社會主義を以て個人の自由を沒却すといふに至っては、妄之より甚しきは莫し。予は先づ此言を為すの人に向って反問せん。現時果して所謂個人の自由なる者ありやと。
〇宗敎の自由は之れ有らん、政治の自由は之れ有らん、而も宗敎の自由や、政治の自由や、凍餒とうだいの人に在ては、一個の空名に過ぎざるに非ずや。所詮經濟の自由は總ての自由の要件也、衣食の自由は總ての自由の樞軸也、而して今果して之れ有る乎。
〇米國勞働者同盟第十三囘大會に於けるヘンリー・ロイドの演說の一節は、答へ得て痛切也、日く『米國獨立の宣言や、昨日は自治(セルフ・ガバーンメント)を意味せりき、今日は卽ち自業(セルフ・エンブロイメント)を意味す。眞個の自治は卽ち自業ならざる可らず。……而も今や勞働者が其爲す可き所を爲し得ず、其耍する所を與へられざるは、滔々皆な然らざるなし。勞働者は勞働の八時間ならんことを欲す、而も彼等は十時間、十四時間、十八時間の勞働に服せざる可らず。彼等は其子女を學校に選らんと欲す、而も却て之を工場に送らざる可らず。彼等は其妻の家庭を治めんことを欲す。而も却て之を機器車輪の下に投ぜざるを得ず。彼等は病で靜養を欲するの時、猶ほ勞働せざることを得ず、勞働を欲するの時却て解雇の爲めに失業せざることを得ず。彼等は職業を乞ふて得ざる也、彼等は公平の分配を得ざる也。彼等は他人の私慾若くば野望の爲めに、彼等自身の、彼等の妻の、彼等の子女の、四肢體軀、健康、生命すらも犧牲に供せざることを得ず』と。豈に獨り工場の勞働者のみならんや、今の世に處して生產機關を有せざる者は、其生活の不安にして苦痛なる、皆な然らざるなし、而も彼等は呼で日く自由競爭也、自由契約也と。是れ强制の競爭のみ、是れ壓抑の契約のみ、何の自由か之れ有らん。
〇社會主義の主張する所は、實に這個の强制を位せしめんとするに在り、這個の庶抑を免れしめんとするに在り。一八九一年エルフルト大會に於ける獨逸社會民主黨の宣言書の一節は日く『這個社會的革命は、特に勞働者の解放エマンシペーシヨンのみならず、實に現時社會制度の下に苦惱せる人類全體の解放を意味す』と。思へ社會主義一たび實行せられて、天下の雇主の爲めに驅使せらるゝの被雇者なく、權威に席抑せらるゝの學者なく、金錢に束縛さる、の天才なく、財貨の爲めに結婚するの婦人なく、貧窮の爲めに就學せざるの兒童なきに至らば、個人的品性の向上せられ、其技能の修練せられ、其自由の伸張せらる、は果して如何ぞや。
〇ミルは日く『共產主義に於ける檢束は、多數人類に取て、現時の狀態に比して、明かに自由なる者あらん』と。彼の所謂共産主義は卽ち今の社會主義を意味する者也。
〇然り宗敎革命は吾人の爲めに信仰の桎梏しつこくを撤したりき、佛國革命は吾人の爲めに政治の束縛を免れしめき。而して更に吾人の爲めに衣食の桎梏、 經濟の束縛を脫せしむる者は、果して何の革命ぞや。エンゲルは卽ち社會主義を稱して日く、『是れ人間が必要ネセンシチー王國キングドムより一躍、自由の王國に上進する者也』と。
〇夫れ唯だ『自由の王國』也。是を以て社會主義は國家の保護干渉に賴る者に非ざる也。少數階級の慈善恩惠に待つ者に非ざる也。其國家や人類全體の國家也、其政治や人類全體の政治也。社會主義は一面に於て實に民主主義デモクラシーたる也、自治の制たる也。
〇今の國家や唯だ資本を代表す、唯だ土地を代表す、唯だ武器を代表す。今の國家は唯だ之を所有せる地主、資本家、貴族、軍人の利益の爲めに存するのみ。人類全僚の平和、進步、幸福の爲めに存するに非ざる也。若し國家の職分をして如此きに止まらしめば、社會主義は實に現時の所謂『國家』の權力を減殺するを以て、其第一着の事業と為さざる可らず。然り封建の時に於ては人類、人類を支配したりき、今の經濟側度の下に於ては、財貨、人類を支配せり、社會主義の社會に在ては、實に人類をして財貨を支配せしめんと要す、人類全體をして萬物の主たらしめんと要す。豈に奴隸の制ならんや、豈に個人を沒却する者ならんや。否人生は此如にして初めて其眞價を發揚す可きに非ずや。
〇社會主義は、現時國家の權力を承認せざるのみならず、更に極力軍備と戰爭とを排斥す。夫れ軍備と戰爭とは、今の所謂『國家』が資本家制度を支持する所以の堅城鐡壁とする所にして、多數人類は之が爲めに多大の犧牲を誅求ちうきうせらる。今や世界の諸强國は軍備の爲めに、實に二百七十億弗の國債を起し、而して單に之が利息のみにして、常に三百萬人以上の勞働を要すといふに非ずや。加之幾十萬の壮丁は常に兵役に服し、殺人の抜を習ふて無用の勞苦を曾めざる可らず。獨逸の如き、壯丁の多數は皆な兵士として徴集せられ、田野に礬する者は、半白の老人若くば婦女のみなりといふ。嗚呼是れ何等の悲慘ぞや。況んや一朝戰爭の破裂に會ふや、幾億の財帑をついやし、幾千の人命を損して、國家社會の瘡痍永く癒ることを得ず、あます所は唯だ少數軍人の功名と、投機師の利益のみ。人類の災厄罪過豈に之に過ぐる者あらんや。
〇若し世界萬邦、地主資本家の階級存するなく、貿易市場の競爭なく、財富の生産饒多にして、其分配公平なるを得、人々各其生を樂しむに至らば、誰が爲めにか軍備を擴張し、誰が爲めにか戰爭を為すの要あらんや。是等悲慘なる災厄罪過は爲めに一掃せられて、四海兄弟の理想は於是乎始めて實現せらる、を得可き也。社會主義は一面に於て民主主義たると同時に、他面に於て偉大なる世界平和の主義を意味す。
〇故に予は玆に再言す。社會主義を以て競爭を廢止する者となすこと勿れ、社會主義は衣食の競爭を廢止す、而も是れ更に高尙なる智德の競爭を開始せしわんが爲めのみ。勤勉活動を沮礙そがいすと云ふこと勿れ、社會主義の除去せんとするは、勤勉活動にあらずして人生の苦惱悲慘のみ。個人を沒却すといふこと勿れ、社會主義は却って萬人の爲めに經濟の桂梏を脫却して、十分に其個性を發展せしめんと欲するに非ずや。奴隷制度なりと云ふこと勿れ、社會主義の國家は階級的國家に非ずして、平等の社會也、 專制的國家に非ずして博愛の社會也、人民全體の協同の組織を為して、以て地方より國家に及び、以て國家より世界に及び、四海平和の惠福を享受せんとする者に非ずや。
〇果して能く如此しとせぱ、誰か又社會主義的制度の下に在て、人間品性の向上、道德の作興、學藝の發達、社會の進步が今日に比して更に幾曆倍なるを疑ふ者ぞ。
   議事者。 身在事外。 宜悉利害之情。
   任事者。 身居事中。 當忘利害之慮。
[編者注:典拠は、菜根譚 前集百七十四項 読み下し、ことを議するものは、を事のそとりて、よろしく利害りがいじょうつくすべし。事ににんずる者は、身を事の中にりて、まさに利害のおもんぱかりをわするべし。(物事は始まるまでは多面的に考え付くし、いざ実行する段になれば、あれこれ考えずにひたすら行動しなさい。)]

読書ざんまいよせい(051)

◎柳広司「太平洋食堂」

 まだ、運転免許を保持していた頃、和歌山県の新宮市まで、大阪から車で、出かけた事があった。太平洋を、車窓右手にして、長い旅路をひたすらはしりつづけた。
 新宮では、古代から中世、江戸時代にかけて行われた「補陀落渡海」に使った舟などを見学した。「補陀落信仰」は、僧侶が、このような小舟で、浄土をめざし、わずかな食糧で熊野灘に乗り出し、そのほとんどがそのまま帰らぬ身になったことを言う。
 その他、中国は秦の時代、始皇帝が不老不死の薬を所望し、日本に遣わせたとさせる、徐福伝説が残っている地である。詩人の佐藤春夫作詞の新宮市歌のなかにも「徐福もこゝに来たりとか」とある。
 新宮は、目前の太平洋と切っても切れない関係にある。さらに言えば、この伝承や史実のように、この地の人々の心情の根底には、海を隔てた、異国への思い入れも深いようだ。
 明治後期、この新宮で、医業を営んだのが、大石誠之助(1867~1911)である。彼は。アメリカ各地、インド、シンガポールなど海外留学をへて、新宮に「ドクトル大石」医院を開業した。ドクトルは「毒取る」とあだ名され、「貧しい人からはお金を取らない。そのぶん、金持ちから多めにとる。」との診療スタイルで多くの患者さんから、たよりにされたようだ。また、「太平洋食堂」となづけた、現在いうところのデイケアでは、子どもたちをはじめ、多くの住民に食事を提供したそうだ。現在。わたしたちが取り組んでいる、「無料低額診療」や「子ども食堂」の、偉大な先駆けである。
「医者をやっとったら、貧しい者、虐げられている者、 苦しんでいる者がおるのがいやでも目に入ってくる。それがアカンことやと思いながら、その現実から目を背け、手をこまねいて生きていけるもんやろか?」というのが、後記の本の解説にはある。
 与謝野鉄幹ら「明星派」の歌人とも交流し、やがて、幸徳秋水らの社会主義者と面識を深めてゆく。その結果、「大逆事件」という、山県有朋をはじめとする、時の為政者による、卑劣な一大フレームアップ(謀略)で、刑場の露と消えた。
「みなの頭の上に、よく晴れた秋空がひろがっている。川が流れ、海へと流れ込む。そこはもう、太平洋だ。」(柳広司「太平洋食堂」より)
 
 格差のない社会を目指したが、残念なことに、一旦、途絶えたようにも見える大石誠之助の願いを、新たな形で受け継いでゆきたいものである。また、もう一度、機会があれば、太平洋(パシフィック・オーシャン=平和な大海)を眺めたいとしきりに願う今日このごろである。
参考】柳広司「太平洋食堂」(小学館文庫)

読書ざんまいよせい(050)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(04)

     第四章 社會主義の主張

〇現時の生產交換の方法、卽ち所謂資本家制度は今や其進化發育の極點に達せり。夫れ勢ひ極まれぱ變ず、花瓣は一日散亂せざることを得ず、卵殻は一日破壊せざることを得ず、唯だ散亂す、故に新果あり、唯だ破壊す、故に雛兒あり。社會產業の組織豈に獨り此理法を免るるを得んや。
〇而して之が進化の理法を說明し、共必然の歸趣を指示して、以て人類社會の向上を促す者、實に我科學的社會主義の主張ならずんばあらず。然らば則ち社會主義は吾人に向って、果して何の新果と雛兒を將ち來さんとする乎。何の新時代を指示して、以て私有資本の舊組織に代へんとする乎。
〇敎授イリーは社會主義の主張を剖拆して、四個の耍件エレメントを包有すと為す、言頗る當を得たり。所謂四個の要件エレメントとは何ぞや。
〇其一は、物質的生産機關、卽ち土地資本の公有是れ也。
〇方今社會百害の源が、實に社會的生產機關を揚げて個人の所有と為せるに在るは、前章旣に之を言へり。夫れ唯だ個人の所有に委す、是故に之が所有者は徒手遊食して以て社會生產の大部を掠奪し、多數人類は爲めに益々匱乏きばふ堕落に至れる者、實に吾人の永く忍ぶ能はざる所也。而して之が救治や、決して區々小策の能する所に非ずして必ずや根底の矛盾を排除して、以て產業組織全體の調和を得せしめざる可らず、生產機關の公有豈に已むを得んや。
〇夫れ土地や、人類未だ生ぜざるの時よりして之れ有り、獨り地主の製作する所に非ざる也。資本や、社會協同の勞働の結果也、獨り資本家の生產する所に非ざる也、其の在るや唯だ社會人類全體の爲めに在り、個人若くば少數の階級の爲めに存するに非ざる也。故に地主資本家獨り之を專有するの權元より有るの理なしと雖も、 而も之を使用して、社會其惠に浴するの間は猶ほ恕す可し。若し夫れ彼等が一に之を以て社會全體の富財を掠奪し、其幸福を犧牲とし、其進步向上を沮礙そがいするの具に供するに及びては、社會が直ちに之を彼等の手より掠奪して、マルクスの所謂『是等掠奪者より掠奪す』るの至當なるは、言を俟たざる所也。
〇故に近世社會主義は、社會人民全體をして、土地資本を公有せしむるを主張す、社會人民全體をして之より生ずる利益に與からしむるを主張す、而して更に從來經濟的意義に於ける地代及び利息の廢滅を主張す。
〇之れを以て甚だ奇異の感を為すこと勿れ、見よ現時に於ても諸種の事業の旣に公共の所有たる者勘しとせざるに非ずや。郵便電信は、米國を除くの外は、文明諸國皆な國有たり、鐵道も亦日耳曼ゼルマン墺地利オーストリー丁抹デンマルクの諸國之を國有と爲し、森林、鑛山、耕地の一部、煙草、酒精の販資の事業等、國有と為す者多きに非ずや。但だ今の所謂國有なる者や、往々にして中央政府の所有を意味して、未だ完全なる社會的公有の域に達する能はざる者ありと雖も、而も個人若くば少败階級の私利の壟斷ろうだんを脫せるに至っては卽ち一なるに非ずや。
〇然り社會主義の主張や、決して中央集權を希ふ者に非ず、其機關と事業との性質如何に從って、或は一國の有と爲す可く、或は郡縣町村の有と爲す可し。現時の公有產業にして、水道、電燈、瓦斯、街鐵等が都市の所有に屬せるが如き、卽ち是れ也。耍は個人の手より移して、一般公共の利益に供するに在り。
〇現時の經濟學者は皆な日ふ、彼の初めより獨占的性質を帶ぶるの事業は、之を國有若くぱ市有と爲すべし、然らざる者は卽ち個人の競爭に委して以て其進步を圖るに如かずと。然れども產業
制度の進步は、從來獨占的性質を帶びざる各種の事業をして、亦盡く獨占の事業と化せるに非ずや。彼の米國に見よ、製鐵も獨占となれるに非ずや、石油も獨占となれるに非ずや、石炭も紡績も、皆大會社、大ツラストの獨占として、他の競爭を許さゞるに至れるに非ずや。個人競爭の極は卽ち資本の集中合同也、炎本の集中合同の極は卽ち各種の事業をして、盡く獨占の事業たらしめずんば已まず。經濟的自由競爭より生ずる進步は過去の夢也、今や間題は、此等獨占の事業をして依然小數階級に私せしむべきか、將た社會公共の所有に移して其統一を期すべきか、二者其一を擇ぶに在り。是れ社會進歩の大勢にして必然の結果ならずんばあらず。而して社會主義の第一義は唯だ之を是れ指示せんと欲するのみ。
要件エレメントの第二は、生產の公共的經營コンモンマネーヂメント是れ也。
〇生產機關たる土地資本、旣に社會の公有に歸すと雖も、其事業の經营に至りては適ほ個人の手中に在る者多し、例せば鐵道の如き、街鐵の如き、社會之を公有して而して其經营は卽ち私設の會社に托し、酒精の如き、鹽の如き、煙草の如き、政府專占の事業となれる者にして其生產若くば交換の一部は、依然個人の事業として存し、或は公有の耕地にして、私人に委して耕耘かううんせしむる等の類是れ也。而して是等私人若くば私設會社の經營の目的や、常に彼等自身が市場の利益をふに在り、彼等の利益一たび休せん乎、其產業は卽ち廢棄せらる、是れ資本家制度の下に在て免る可らざるの狀態也。故に眞に社會の產業をして個人の利益の爲めにせずして、社會全體の消費に供し、市場の交換の爲めにせずして、社會全體の需用を滿足せしめんと欲せば、其經營や、決して私人の手に委す可らずして、必ずや公共の管理に待たざる可らず。社會は卽ち獨り生產機關を公有するに止まらずして、公選せる代表者をして之を經營せしめざる可らず、而して是等の經營や、必ず社會全體に對して其責に任ぜしめざる可らず。
〇或は曰はん、事業の經營や、唯私有として始めて能く其効果を揚ぐることを得んのみ、旣に自家の私有に非ずとせば、誰か其職に忠なる者あらんやと。然れども見よ、今の三井家の主人は其事業の經營に於て、果して幾何の勤勞に服せる乎、岩崎氏の主人は其事業の管理に於て、果して幾何の技倆を現ぜる乎。生產機關の膨大し、事業の發達し、生產の增加すること高度なるに及んでや、其運用は到底個人の抜量の能く堪ふる所に非ずして、遂に多數協同の手腕を要するに至るべし、況んや凡庸遊惰の資本家をや。現時諸種の大規模の產業に於て、其實際の經營管理は一として其所有者たる資本家に依て成さるゝ者なくして、却て所有者たらざる社員若くば雇人の技能に依て、能く共効果を奏しつ、あるに非ずや。社會主義は、卽ち是等世製の所有者に代ふるに、社會公選の代表者を以てし、放逸の資本家に代ふるに、責任あるの公使を以てし、私人の使役せる雇人若くば社員に代ふるに、公共の任命せる職員を以てせんと欲するのみ、而して其產業の進步は獨り所有者の利益たる者に非ずして、社會全體皆直ちに共惠に浴するを得べしとせば、予は未だ各人が今日に比して其職に忠ならざる所以を發見することを得ざる也。
〇社會が如此にして一切の生產機關を公有し、一切の産業を管理するに至らば,社會人民全體は卽ち其株主にして亦實に其勞働者也。社會は其適する所の職業を彼等に與へ、彼等は其勞働を以て社會に奉ず。而して其生産や旣に市場交換の爲めに在らずして、社會全體の消費に在り、生産益々多くして、社會の需要は益せらるゝを得、又物價の低落を憂へざる也、又生産の過多を憂へざる也、而して勞働者の失業の問題亦全く解決せらるゝを得ん也。若し眞に生產の消費に過ぐるあらん乎、唯だ勞働時間の短縮にして足れり、豈に又一人の其所を得ざる有らんや。
〇否な啻に失業の人なきのみならず、一面に於ては、萬人皆勞働に服せざる可らざることを意味す。公共的生産の下に在ては、利息なく地代なし、徒手逸居して以て他の勞働の結果を掠奪するの手段なければ也。フイフテ曰へる有り、『勞働せざる者は、卽ち衣食の權利なし』と。是れ眞理也、正義也、社會主義は眞理正義の實現せられんことを要求す。
要件エレメントの第三は、社會的收入の分配是れ也。
〇公共的生產の收入や、必ず社會公共の領有に歸すべくして、個人の擅まに占斷するを許さゞるは論なし、而して社會の公選せる代表者若くぱ職員は、先づ其の收入の一部を以て、生產機關の保持、擴張、改良及び備荒の資に充つるの外、他は總て社會全體に分配して其消費に供すべし。而して此等分配や之を生產する者特り之に與かるのみならず、老幼其他勞働の能力無き者と雖も、固より之を要求するの權利有る可し。何となれば其富や旣に社會の領有たり、其人や實に社會を組織する所の一員たれば也。此點に於て社會主義の主張は完全なる相互保險也、社會主義制度の下に在ては、吾人萬人は其生れてより死に至るまで、獨り疾病、災禍、老亠我に對するのみならず、敎育、娛樂其他一切の需用を滿足すべき保險を有する也。但だ勞働の能力あって而も其義務に服するを嫌ふが如きは嚴に制裁を加ふべきのみ、否な社會の組織改善し生活の苦痛減少するに從つて、是等不德の徒亦自ら其迹を絕つに至るべきは、予の信じて疑はざる所也。
〇於是て吾人は重大なる問題に逢着す。何ぞや、日く、其分配の公正ヂヤスチスてふこと是れ也。然り公正の分配、是れ實に社會主義の唱道せらるる所以の最大の動機也、社會主義要件中の要件也、產業組織が進化發達する所以の主要の目的也。然らば卽ち如何の方法標準が果して共公正を得べしとする乎。
〇分配の標準に關して、社會主義者の企圖古今一ならずと雖も、凡そ四種に別つ可し。一は其分配する所の物件、最と質と兩つながら必ず均一ならんことを要する者、バボーフ此說を持せり。次は技能成績の短長に比例して、報酬に等差あらしめんとする者、サン・シモンの主張せし所也。次は唯だ各人の必要に準じて給與する者、ルヰ・ブラン之を以て理想と爲せり。而して近時の社會主義者中、各人の分配額は其質に於てせずして其價格に於て平等ならしめんと唱道する者多し。
〇夫れ各個の人、心身兩ながら皆な異ならざるはあらず、從って生活の必要を異にし嗜好を異にす、强て其平等ならんことを求むるは、却って公正を缺くの甚しき者、分配の量と質との均一なる可らざるや論なし。
〇技能の長短に應じて貫に等差ある、稍や公正に近きに似たり。而も如此くなれば勞働の能力なき者は卽ち饌ゑざる可らず、是れ豈に社會的道德の本旨ならんや。且つや技能の長短は必しも消費の多少に伴はず、例せば甲の成績は能く乙に二倍すと雖も、而も甲の食餌の暈は必しも乙に二倍せざるに非ずや。啻に是のみならず、社會主義制度の下に在てや、其生産は多く社會的生產也、協同的生產也、甚だ個人特種の技能に待つある者に非ず。而して偶ま個人特種の技能に待つ有るも、是等技能や、亦實に社會全體の感化、敎育、薰陶、啓發の賜に非ざるはなし。旣に社會に負ふ所多き者、亦多く力を社會の爲めに効すは當然の責務のみ、何ぞ特に物質財富の多きを貪る可きの理あらんや。
〇社會の生產分配の目的が、眞に社會萬民生活の需用を滿足せしめ、其進歩を促すに在りとせば、吾人は卽ち其必要に應じて分配するを以て、最終の理想と爲さゞる可らず。爰に一個の家庭ありとせよ、而して父母たる者若し其子女を遇するに、此子は才能あり、美衣美食を與ふ可し、彼子ほ庸劣なり、悪衣惡食にして可なりといふ者あらば、吾人の良心は果して之に忍ぶ可き乎。夫れ一家の兒女、長幼强弱皆な各々異りと雖も、而も其衣食分配の標準が、決して技能成績の如何にあらずして、必ず其必要に應ずべきは、人問道德の命ずる所にあらずや。社會主義の主張は、社會を以て一大家庭と爲すに在らざる可らず、社會は其父母たらざる可らず、各人は皆な同胞たらざる可らず。而して父母の其兒女に向って分配する所、先づ其尤も急なる者、例せば食餌、衣服、住居及び敎育の資より始めて、漸次に其急ならざる者に及ぶ。其量と質とは固より大に異なるなきを得ずと雖も、而も各々十分に其生を遂ぐる所以に至りては、卽ちーなるに非ずや。
〇若し夫れ分配の價格を平等するの說や、自ら必要に應ずるの分配と其結果を同じくす可し。何となれば、此分配や決して物品の同一を意味する者に非ざるが故に、各人共價格の範圍に於て、自由に自家の必要と嗜好を整せしむるの物件を求め得可ければ也。但だ其價格の制定極めて困難なりと為すのみ。
耍件エレメントの第四は、社會の收入の大半を以て個人の私有に歸すること是れ也。
〇世人多くは日く、財産の私有は、個人の自由を保持し智徳を向上するが爲に極めて必要の事と為す、而も社會主義は之を禁絕せんとするに非ずやと。財產私有の必要なるは洵に然り、然れども社會主義が之を禁絕せんとすといふに至りては誣妄ぶぼうの甚しき也。否な乏を禁絶するは却っつて現時の產業組織に非ずや。見よ、今の產業組織の下に在ては、社會の財爲は常に一部の地主資本家の手に集中し、社會全體をして決して其自由を保持し智德を向上するに延るべき財沛の所右を許さヾるに至れるに非ずや。而して彼等多數は漸次に無一物となり、其日暮しとなり、所謂『賃銀奴隸』の境涯に堕落しつゝあるに非ずや。
〇社會主義の制度は卽ち之に反す。社會的歲入の大半を以て各人に分配して以て之を私有せしむ。故に公共生産の發達し社會的收入の增加するに從って、個人の私有亦益々富厚にして、各其所好に從って消費し若くば貯蓄するを得、又其匱乏きばふの爲めに他人に依頼することを要せず、他人の爲めに制せらるゝの憂ひなし。如此にして社會主義は實に財涯私有の制を擴張して、以て薦人の自由を保障し、其向上を促進せんことを欲する也。
〇但だ知らざる可らず、社會主義は私有の財產を堆加すと雖も、 此財產や實に各人の消費に充つるの財産にして、決して土地資本、卽ち生產機關を意味する者に非ざることを。生產の機關が必ず公有たるべくして、其生產の結果が必ずーたび社會の收入たるべきは、固より前に言へるが如し。
〇論者又日く、夫れ私有の財產富厚なるに至れば、節儉なる者は之を貯蓄し、資本本として使用する者あるに至らん、果して如此なれば直ちに瓷本家の階級を生じて,貧富の懸隔する舊の如くならんと。然れども產業の方法起模益々尨大なるに從って、唯だ共同的經營に待つ可くして、決して個人の支持に堪へざるに至るべきは、現時の狀勢旣に之を證せり。若し然らざるも、一切の生產機關旣に公有となり、重要の産業が絶て社會公共の手に管理さるゝの時に於ては、一個人は又其私有の財產を資本として投ずるの機會有ること無けん。假に些細の私業を企圖して、之に放資する者有りとするも、いづくんぞぜ能く社會公共の大產業と兢爭兩立することを得んや。眞に是れ鐵牛角上の蚊のみ、以て全體の組織を損傷するに足らざる也。
〇更に知らざる可らず、吾人は社會的收入の『大半』を私有すべしと云ふ、其全部と云ふ者に非ざることを。社會生產の目的や、一に吾人需用の滿足に在りと雖も、而も吾人需用の滿足は、必しも之を私有することを要せざる者多し。現時に在ても、學校、公園、道路、音樂會、圖書館、博物館の如き、共有の財產として、各人の必要と曙好を滿足せしめんが為に、自由に之を使用することを許せり。將來經濟組織益々統一し、社會的道德益々發達することを得ば、社會的收入を公共的に使用し、以て公共の利益、進步、快樂を圖るの風亦愈々盛んなる可きが故に、諸種の收入財産の共有として存ずる者、今日に比して更に著大の增加を見ん也。
〇イリーの所謂社會主義の四個の要件は上の如し。予は之に依て略ぼ其主張の在る所を窺ふを得たるを信ず。然り社會主義は實に此等要件の實現を以て、社會產業の歷史的進化に於ける必然の歸趣と為す者也。
〇故にミルは定義して日く、『社會主義の特質とする所は、生産の機關と方法を以て社會人員全體の共有と為すに在り。從って其生産物の分配も、亦公共の事業として、其社會の規定する所に準じて行はれざる可らず』と。
〇カーカツプは『エンサイクロペヂヤ・ブリタニカ』に記して日く、『現時私人の資本家が賃銀勞働者を役して經營せる所の工業は、將來に於ては聨合アソシエート若くば共同コオペレートの事業として、卽ち萬人共有の生産機關に依て行はれざる可らず。社會主義に於ける骨髓ずゐのプリンシブルとして承認さる可きは、其理論に見るも其歷史に徵するも一に是に外ならず』と。
〇マルクスの女婿にして佛國マルクス派の首領たるパウル・ラフワルギユは日く、『社會主義は如何なる改良家レフオーマー企畫システムにもあらず。唯だ現在の組織が旣に重大なる經濟的進化の運に迫れることを信じ、而して此進化の結果や、卽ち資本私有の制は變じて勞働者團體の共同的所有之に代るべきことを信ずる人々の敎義ドクトライン也。故に社會主義の特質は、其歴史的發見の點に在り』と。
〇エンゲルは更に日く『社會が生產機關を掌握するや、商品の生產は卽ち迹を絕つ可し、而して生産者は又生產物の爲めに制御せらるゝことなけん、社會的生產の無政府は一掃して、之に代る者は卽ち規律統一ある組織ならん、個人的生存爭鬪は消滅せん。如此にして人は初めて禽獸の域を脫して、眞個に其人たる所以の意義を全くすることを得可し』と。
〇然り、果して如此くならば、資本家は卽ち癈滅せらる可し、勞働者は賃銀の桎梏しつこくを脫す可し、各人は社會の爲めに應分の勞働を供給して、社會は各人の爲めに必要の衣食を生産す。分配あつて商業なし、統計あって投機なし、協同あって爭闘さうげいなし、豈に又生產過多あらんや、豈に又恐慌の襲來あらんや。人は決して富の爲めに支配せらるゝことなくして、能く富を支配することを得可き也。於是て現時產業組織の矛盾より生ずる百害は爲めに掃淸せられて、能く自然の調和を全くすることを得べき也。
   杖底唯雲。囊中唯月。不勞關市之譏。
   石笥藏書。池塘洗墨。豈供山澤之稅。

[編者注]典拠は、「酔古堂剣掃」巻八より。「酔古堂剣掃」は、Wikipedia によると。「明朝末の陸紹珩(字は湘客)が古今の名言嘉句を抜粋し、収録編纂した編著(アンソロジー)である。」本国で廃れたが、本邦では、幕末から大正にかけて、版本がある程度に普及した。秋水は「社会主義神髄」執筆時に傍らに置いていたのだろうか?意味は。「杖の先にあるのは雲だけで、かばんの中には月の光ばかり。市場や関所では、余分な税金がかかることもない。石の書庫に書物を蔵し、池のほとりで筆や硯の墨を洗う。これも、Tax Free であるのは、ありがたい。」
写真は、「高知新聞」1931年5月頃の連載記事「幸徳秋水 大逆事件の同志 岡林寅松と語る」の第2回記事から。上山慧「神戸平民俱楽部と大逆事件」(風詠社)から

読書ざんまいよせい(049)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(03)

     第三章  產業制度の進化

〇近世社會主義の祖師カルル・マルクスは、吾人の爲めに能く人類社會の組織せらる、所以の眞相を道破せり。日く『有史以來何の時、何の處とを問はずして、一切社會の組織せらるゝ所以の者は、必ずや經濟的生産及び交換の方法、之が根底たらざるは無し。而して共時代エポツクの政治的及び靈能的インテレクチユアル歷史の如きは、唯だ此根底の上に建てる者にして、亦實に此根底よりして始めて解釋することを得べき也』と。
〇然り、人の生れて地に落つ、先づ食はざるを得ず、ざるを得ず、雨露風雪を防がざるを得ず。夫の美術や、宗敎や、學術や、唯此最初の耍求の滿足せらるゝ有りて、而して後ち始めて發展することを得べきのみ、故に其人民がーたび生產交換の方法を異にするに至るや、共社會の組織、歷史の發展、亦從って其狀態を異にせざるを得ず。
〇見よ、太初の人類たる、縱鼻横目、吾人の人類たるに於て、果して幾何の差異ありしとするぞ。而も彼等の血族相集り部落相結びて、共產の社會を成すや、其衣食や唯其社會全带の爲めに生産し、社會全體の需用に充つるのみ。又個人あるを知らざりし也、階級あるを知らざりし也、況んや地主なるものをや、賓本家なるものをや。レウイス・モルガンは算して日く、人類社會有って以來、殆ど十萬年、而して其九萬五千年は實に共產制度の時代なりきと。吾人人類は娥に此九萬五千年間地球上に點々散布せる血族的部落的の小共產制度の時代に於て更に蠢爾しゆんじたる野獸の域を脫却し、弓矢を製し、舟楫しうしふを製し、牧畜を解し、股業を習ふの進化變遷を經ることを得たりしなりき。
〇夫れ文明の進步は、石の地上に落るが如し、落る益々低くして、速度益々加はる。古代人口の漸く增殖し、團聚漸く繁榮し、衣食の需用亦漸く多大に、交換の方法從って複雜なるに從って、是等共產の制度は亦漸く傾覆の運に向へり。而して彼等が其曾て生擒し屠殺せる敵人を宥して、之を生產的に使役するや、卽ち奴隸の一階級を生じて、更に人類社會の歴史に於て、全く一大段落を劃し來れる也。
〇嗚呼奴隸の制度、今や吾人の口にするだも愧づる所なりと雖も、而も當時に在てや、 ひとり全社會產業の基礎たるのみならず、彼の埃及、アツシリアの智識や、希臘の藝術や、 維馬の法理や、其千載の歷史を照耀するを得たる者、實に是等愛々たる億萬奴隸が林漓りんり膏血かうけつなりしと知らずや。然り常時の文明を致せる者は、是等產業の制なりき。而して當時の文明を覆へせるも、亦實に是等產業の制なりき。花を催すの雨は是れ花を散ずるの雨たらざるを得ぎりき。
〇見よ、是等奴隸の膏血と其天然の富源も、亦一日涸渴に至らざることを得ず。而して縦馬末年の莫大なる淫逸驕奢の資、遂に之に依て辨ずるに足らざるに及んで、四方の攻伐は次げり、領土の擴張は次げり、貢租の誅求は次げり、而して外正に叛くの時は、內旣に潰ゆるの日なりしに非ずや。
〇於是乎羅馬に通ずるの大道は、荆棘けいきよくの叢となれり、天下瓜分くわぶんして產業全く萎靡す。次で起る者は卽ち農奴サーフの耕織ならざるを得ざりき、之を保護する者は卽ち封建の制度ならさるを得ざりき。然れども代謝は少時も休せず。経濟的生活の遷移すること一日なれば、社會の組織亦進化する一日ならざるを得ず。而して自由農工は生ず、城市の繁榮は次ぐ、農奴サーフの解決は來る、交通の發達し、市場の擴大し、殖產の增加する、愈々急速を加ふ。而して地方的封建の藩籬は、遂に國民的及び世界的貿易カ大潮流を抗制するに堪へずして、自ら七花入裂し去れる也。
〇故にフリードリヒ・エンゲルも亦日く『一切社會的變化、政治的革命を以て、其究竟の原因が、人間の頭脳に出ると為すこと勿れ、一定不變の正義眞理の講究に出ると為すこと勿れ、夫れ唯だ生產交換の方法の變化如何と見よ。然り之を哲學に求むる勿れ、唯だ各時代の經濟に見よ、若し夫れ現在の社會組織が非理たり、不正たり、昨日の正義が今日の非理となり、去年の正義が今年の罪惡となれるを見ぱ、卽ち其生產交換の方法漸く喑遷默移し去って、當初に適應せる社會粗織が旣に其用に堪へざるに至れんこと知らん也』と。
〇然り世界の歷史は產業方法の歷史のみ、社會の進化と革命は一に產業方法の變易のみ。誰か道ふ、今の產業制度は常住也と、誰か道ふ、今の地主資本家は永劫也と。
〇然らば則ち現時社會の產業方法、マルクス以來所謂資本家制度として知られたる特種の產業方法は、果して何の處より來リ、 何の處に去らんとする乎。
〇蓋し中世紀に在てや、今の所謂資本家なく、今の所謂大地主なし。而して其社會を支持する所以の産業は、常に一般勞働者の手に在りき。地方に在ては卽ち自由民若くば農奴サーフの耕作なりき。城市に在ては卽ち獨立工人の手工なりき。而して彼等が勞働の機關たる土地や、農具や、仕事場や、器具や、皆な各個人單価の使用に適する者なりしが故に、彼等は各個に之を所用して、自由に各自の生產を為したりき。
〇而して此等散漫にして小規模なる產業機關を集中し、擴大して、以て現代產業の有力なる槓杆と變ずるは、是れ產業歷史に於ける自然の大潮流なりき、所謂商工資本家の天職なりき。彼れ夫れ米國の發見や、喜望峰の廻航や、東印度の貿易や、支那の市場や、世運の進步は、產業の方法
を鞭撻して、 地方的より國民的に、 国民的より世界的に促進せずんば止まざりし也。而して第十五世紀以來如何に是等の產業方法が、慚次に諸種の歷史的段階を通過して、以て所謂『近世工業』に達するに至れるかは、マルクスが其大著『資本』に細說せし所也。
〇然れども一般の生產機關が猶ほ個人的方法の域中に彷徨して、未だ多數勞働者の協力を要すべき社會的方法を採用すること能はざるの間は、彼等資本家が直ちに是等生產機關を變じて、以て偉大なる產業的勢力を顯現するは到底不可能の事なりき。而も時節は到來せり、 蒸氣器械のーたび發明せらるゝや、歷史は急轉直下の勢を以て、其『產業的革命』を成功せり。
〇絲車は卽ち紡績器械となれり、手織機は織物器械となれり、個人の仕事場は數百人乃至數千人を包容するの工場とたり、個人的勞働は變じて社會的勞働となり、個人的生産物は變じて社會的生産物となる。見よ昔は個人各自に能く之を生產せる者、今やー綫の絲、一尺の布と雖も、總て是れ多數の勞働者が協力の結果に非ざるは無く、又一人の『是れ予の作る所、予一個の生產物也』と一言ひ得る莫し。
〇但だ吾人は知らざる可らず、產業的革命の功果や、彼が如く其れ顯著なりしと雖も、而も其初めに當つてや、彼等商工資本家は必しも其革命たる所以を承認する者に非ざりき。彼等の之を利導し助成する、單に其商品の增加發達を希ふに過ぎざりき、其商品の増加發達の爲めに、資本の集中、生產機關の膨大を希ふに過ぎざりき。唯だ此目的を達するに急なる、卽ち個人的生產打壞の事に任じ、更に個人的生産を保護する所以の封建制度顛覆の事に任じて、不知不識の間に其歷史的使命を了せるのみ。
〇夫れ唯だ生產の增加を希ふのみ、之が交換の如何を問はざる也、夫れ唯だ資本の輩を希ふのみ、之が領有の如何を問はざる也。是を以て其生産は卽ち協同的となれるも、其交換は依然として個人的なるを免れざりき、製造工場の組織は旣に新天地を現ぜるも、其領有は繪ほ舊世界の樣式を脫する能はざりき。於是乎矛盾は生ぜざることを得ず。
〇生產の酒ほ個人的なるの時に於ては、共生產物の所有に關する問題は、決して起來すること無りき。各個の生產や、皆な自家の技倆を以てせり、自家の原料を以てせり、自家の器具を以てせり、而して彼れ及び彼の家族の勞働を以てせり。而して生產する所の結果が何人に质す可き乎、言を俟たずして明かなるに非ずや。
〇故に昔時生產機關を所有する者は、皆な其生產物を領有せり、而して是れ實に彼等自身が勞働の結果なるが爲めなりき。而して今の生產機關所有者も、亦其生産物を領有す。然れども見よ、其生産物や決して彼耆身の勞働の結果に非ずして、實に他人の生産する所に非ずや。然り今の勞働や協同的也、今の生産や社會的也、又一個の是れ予の生產物也と言ひ得るなし。而も是等の生產や、其生産者に依て社會的に共有せらるゝこと無くして、舊に依て唯だ個人の爲めに領有せらる、唯だ所謂地主資本家てふ個人の爲めに領有せらる。是れ豈に一大矛盾に非ずや。
〇然り大矛盾也。而して予は信ず、現時社會の一切の害惡は實に這個の矛盾に胚胎し來れることを。
〇其第一は卽ち階級の爭鬪也。『近世工業』の二たび隆興するや、瞬息の間世間萬邦を席捲して、到る處個人的小產業の壓倒し去らるゝ者、 紛々落葉の如くなりしは、 元より怪しむに足らず。而して從來個人的生產者や、全く其利を失はざる可らず、其業を失はざる可らず。彼等は卽ち其個人的小器械を棄てて、社會的生產に從はんが爲めに、大工場に向って趨らざる可らず、然れども其生產物や卽ち資本家てふ個人の領有に歸せるが故に、彼等の得る所は、僅に一日の生命を支ふるの賃銀のみ。加ふるに封建の制破壊せられて土地の兼併盛んなるに至るや、地方小農競うて都會に出で、賃銀に衣食せんことを求むるは、是れ自然の勢にして、而して工業の發達熾んなる丈け、夫れ丈け自由獨立の勞働者は慚く迹を絕ちて、所謂賃銀勞働者なる者、日に多きを致せり。於是乎社會は、一面に於て生產機關を専有して、盡く其生產を領有するの資本家てふ一階級を生ずると同時に、他面に於て、彼の勞働力の外何物をも有することなき勞働者の一階級を生じて、兩者の間判然鴻溝こうこうを劃するに至る。社會的生産と資本家的領有との間に生ぜる一大矛盾は、如此にして先づ共一端を、地主資本家と賃銀勞働者との衝突に現ぜる也。
〇啻に之のみに非ざる也、個人的領有の結果は卽ち所謂自由競爭ならざるを得ず、自由競爭の結果は、卽ち經濟界の無政府アナーキーならざるを得ず。昔時個人的生産の時に於てや、其生產は主として自家の消費に供し、餘あれば則ち地方の小市場に輸するのみ。故に其商品の需用の豫知す可らずして、一般競爭の法則に支配せらるる、固より之れ無きに非ずと雖も、而も其範囲極めて狹隘にして、未だ其太甚なるに至らざりき。今や然らず、其作る所は決して生産者彼等自身の消費に充るが爲めに非らずして、盡く是れ個人の商品として交換の利を競ふに在り。夫れ唯だ個人の競爭に一任す、生產カの增加し發達し、市場の擴大するに從って、競爭益々激烈に、世界の經濟社會は全く無政府の狀態に陷り、優勝劣敗、弱肉强食、具さに其慘を極めり。如此にして社會的生產と資本家的領有の間に生ぜる一大矛盾は、更に組織的なる工場生產と無政府なる一般市場との衝突となって顯現せる者に非ずや。
〇然り矛盾の極は衝突也、衝突の極は卽ち破裂に非ずや。今の責本家的產業の方法や、其根源に於て旣に一大矛盾を以て其運行を始めたり、而して矛盾の發展する所、一は卽ち階級の衝突となり、他は卽ち市場の衝突となる。而して是等兩個の方面に於ける衝突や、互に巴字の如く相ひ、旋風の如く相追ふの間、其勢力漸次に激烈を致して、遂に現時の產業制度全體の大衝突大破裂に至らずんぱ已まざらんとするを見る也。何を以てか之を言ふ。
〇經濟的自由競爭及び階級戰爭の久しきに彌るや、其結果は必ず多數劣敗者の其產を失ふ也、賃銀勞働者の增加也、資本集中の强大也、生產器械の改良を加ふる也。彼の器械の改良が年々勞働の需用を省減して已まざると同時に、勞働の供給が日々共增加を來すや、卽ち多數勞働者の過剰は生ぜざることを得ず。エンゲルの所謂『工業的豫備兵インダストリアル・レザーヴ・アーミ―』なる者是れ也。
〇工業的豫備兵の現出や、近世工業の下に在て極めて哀しむべきの特徴なりとす。彼等は經濟市場の好況なるの時に於ては、辛うじて其職に就くを得ると雖も、ー朝貿易の萎靡するに遇へば、數萬乃至十數萬の多數勞働者は、恰も塵芥を捨るが如く、工場外に放擲せられて、道途に凍餒とうだいせざるを得ず、是れ實に現時歐米諸國の常態也。而して我國の如き共慘狀未だ如此きに至らずと云ふと雖も、而も社會の經濟が資本家的自由競爭に一任する以上は、到底兔る可らざるの趨勢にして、餘す所は唯だ時日の問題のみ。
〇而して多數勞働者彼等自身の競爭は之に伴ふて激す。次で一般賃銀低落の勢ひは成る。一般賃銀の低落は、卽ち勞働者をして其生命を支へんが爲めに、長時間過度の勞働に從はざるを得ざらしむ、而して資本家の掠奪は實に此際に於て逞しくせらる。
〇マルクスは蓋し謂らく、『交換は決して價格を生ずる者に非ず、價格は決して市場に於て創造せらるゝ者に非ず。而も資本家が其の資本を運轉するの間に於て、自ら其額を增加することを得るは何ぞや。他なし、彼等は實に價格を創造し得る所の臍く可き力を有する商品を購買するを得れば也。此の商品とは何ぞや、人間の勞働力是れ也。夫れ此力の所有者は共生活の必要の爲めに、之を低廉に資却せざることを得ず、而して此の力が一日に創贱するの價格や、必ず共所有者がー日の生活を支持するの費用として受くる貨銀の價格よりも、遙に多し。例せば一日六シリングの富を創造し得るの勞働力は、一日三志を以て購買せらる。其差額を名けて剩餘價格サープラス・ヴアリユーと云ふ。彼等資本家が共資本を增加することを得るは、唯だ此剩餘價格を勞働者より掠奪して、其手中に椎紡するが爲めのみ』と。
〇然り『剩餘價格』の掠奪は、査本を地加せしめて已まず、資本の增加は更に器械の改良を促して已まず、改良の器械は、再び轉じて剰餘價格掠奪の武器となる。而して轉々するの間に於て、社會の生產カは層々膨脹して底止する所を知らず。而も內國市場の膏血は旣に彼等資本家の絞取し盡す所となって、社會多數の購買カは到底之に應ずるに足らず。於是乎彼等資本家は百方生産力疏通の途を求むるや急也、日く、新市場を拓開せよ、日く、領土を擴張せよ、外國の貨物を掃蕩せよ、大帝國を建設せよと。然れども世界の市場も亦限りなきことを得ず、現時生產的洪水が無限の氾濫は、 竟に壅蔽ようへいし得る所に非ざるの勢を示せリ。
〇而して來る者は卽ち資本の過多也、資本家は之を投ずるの事業なきに苦しむ、生產の過多也、商品は之を輸するの市場なきに苦しむ、勞働供給の過多也、工業的豫備兵は之を雇使するの工場なきに苦しむ。今の文明諸國、荀くも近世工業を採用するの地、皆な此ヂレンマに陷り、若くば陷りつゝあらざる者なきに非ずや。於是乎『生產過多』の叫聲は到處に反響す。
〇思へ資本家は銳意して、資本の集中、生產の増加を努めたり、而して今や彼等は却って生産の過多なるに苦しむ。器械の改艮は人力の需用を省減せしめたり、而も多數の勞働者は却って衣食の匱乏に苦しめり。社會多數の人類は、多額の衣服を作れるが爲めに、却て赤裸々ならざるを得ず。是れ何等の奇現象ぞや。現時產業制度の矛盾衝突は、於是て更に大踏潤步し來れる者に非ずや。
〇嗚呼『生產過多』の叫聲、是れ實に破裂の將に至らんとするを粋むるの信號に非ずや。果然破裂は其端を恐慌の紐出に發せり。
〇恐慌の禍も亦慘なる哉、貿易は篓糜を極むる也、物價は俄然として暴落する也、貨物は停滞して動かざる也、信用は全く地を掃ふ也、工場は頻々として閉鎖せらるゝ也、多數の商工の破產は破産に次ぎ、多數勞働者の失業は失業に次ぎ、穀肉庫中に充ちて、而して餓孚がふ却って途に横ふ。如此き者數旬、數月、 甚しきは瘡痍數年に彌って癒えざるに至る、フーリエーの所謂『充溢の危機』なる者卽ち是れ也。而して此等恐慌や、其起るや決して偶然に非ず、 其去るや亦偶然に非ず。彼ー千八百二十五年の大恐慌以來、殆ど每十年、期を定めて以て共禍を被らざるなき見ば、如何に現時經濟組織の根底が、深く馴致する所ありしかを知るに足らん。
〇而して恐慌の至る每に、少數なる大資本家の能く此危機に堪ふるを得る者、常に多數の小資本家の破產零落に乘じて、併呑の慾を逞しくするは、自然の勢ひ也。加ふるに大資本家彼等自身も亦相互の競爭の危險と、恐慌の襲來を憂慮して措かざるの極、漸次に領有交換に於ける個人的方法の範圍を讓步して、社會的方法を採用し、以て矛盾衝突を緩和せんと試みたりき。株式會社の組織は之が爲めなりき、同業者大同盟コンピネーシオンの起るは之が爲めなりき。而して是等手段も亦彼等の運命を永くするに足らざるを見るや、彼等は卽ち現時のツラストなる牙城を築きて、以て最後の惡戰を開始せり。如此にして自由競爭の根底に立てるの資本家制度は、其進化發達の極、却って自ら自由競爭を一掃し去りて、世界各國の產業は殆どツラストの獨占統一に歸せずんば已まざらんとす。
〇然れどもツラストが猶ほ資本家階級の爲めに領有せらるゝの間は、現時の矛盾衝突をして、決して最後の解決を得せしめざるのみならず、却って一段を激進せしむるの具たらずんばあらず。何となれば今や彼等の事業は、唯だ生產の額を制限するに在れば也。價格を騰昂せしむるに在れば也、而して其獨占の暴威を利して、法外の剰條價格を掠奪するに在れば也、社會全體の窮困匱乏きぼうを増大するに在れば也。於是乎社會人類の多數は唯だツラストを所有する少數階級の爲めに、其貪慾の犧牲に供せらるゝに至れり。資本家對勞働者の階級戰爭は、其進化發達の極、遂に變じてツラスト對社會全體の衝突となり了れる也。
〇而して社會全體は何時迄か這個しやこの狀態に堪ふるを得る乎、何時迄か資本家てふ階級の存在を是認せんとする乎。彼の宠大なるツラストは、獨り無責任なる不規律なる個人的資本家の手に支配されざる可らざる乎、社會は之を公有して統一あり組織あり調和あり責任あるの產業と為すことを得可らざる乎。從來唯だ資本の集中と生產の増加とを以て天職使命となせるの資本家てふ一階級は、此に至つて旣に其天職使命を了せるに非ずや、共存在の理由を失へるに非ずや。今や彼等は單に財富分配の妨礙物として存するのみに非ずや、獨り勞働者のみならず、實に社會全體と生產機關との間に於ける障壁として存するのみに非ずや。
〇然り今や工場に於ける協同的、社會的生建組織の發達は遂に一般社會の無政府的自由競爭と兩立せざるの點に迄達せる也、小數資本家階級の存在を歸可せざるの點に迄達せる也、換言すれば矛盾衝突は其極度に達せる也。一面に於ては資本家的個人領有の制度が、最早是等の生產カを支配するの能力なきを示すと同時に、他面に於て是等生產力夫れ自身も亦其無限膨大の力の威壓を以て、現時制度の矛盾を排除し盡さんとせる也、私有資本の域を逸脫し去らんとせる也、其社會的性質を實際に承認されんことを要求命令しつ、ある也、是れ豈に一大轉變の運に向へる者に非ずや、一大破裂の時に濒せる者に非ずや。是れ實に世界產業歷史の進化發逹する所以の大勢にして、資本家階級億萬の黄金も又之を如何ともする莫き也。
〇新時代は於是て來る。
    聖賢不白之衷。托之日月。
    天地不平之氣。托之風宙。
[編者注]典拠は、「小窗幽記」からか?「賢者たちが示さなかった心は、太陽と月に託された。 不正から生じる天地の怒りは、風と雷に表現されている。」(Deepl からの訳文)