読書ざんまいよせい(048)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(02)

     第二章 貧困の原由

〇醫藥を投ずる者は、先づ其病源如何と診するを要す。借問す方今生產の資財乏しきに非ず、 市場の貨物斟きに非らずして、而も吾人人類の多數は、何が爲めに爾く衣食の匱乏《きぼう》を感ずる乎。
〇他なし之が分配の公を失せるが爲めのみ。其世界に普遍せられずして、一部に堆積せらるゝが爲めのみ、其萬人に均分せられずして、少數階級に壟斷《ろうだん》さるゝが爲めのみ。
〇英米兩國の若き、共產業の進步と隆昌とは、古來類例なき所にして、世界萬邦の俱に感嘆垂涎《かんたんすいぜん》する所也、而も彼等が富の分配の情狀に至っては、却て酸鼻を値する者あり。
〇トーマス・シアマンほ算して日く、米國の富の七割は、實に其人口の一分四厘の少敷の占有する所たり、而して他の一割二分の富は、僅に九分二厘の人口の爲めに占有せられ、殘餘の人口卽ちハ割九分四厘の多數生民は、僅に一割八分の富を保つに過ぎずと。博士スバ—ルが英國の富の分配を算するに日く、英人二百萬の多數は僅に八億の財產を有するに過ぎざるに、一面に於て十二萬五千人の少數は、却て七十九億の巨額を占有す、且つ總人口の四分の三以上は全く無資產也と。而して基等兩國の窮民公費の救助を仰ぐ者、.實に數百萬人の多きに及べり。
〇是れ豈に驚く可きの偏重に非ずや、然れども唯に英米のみならんや、獨逸も然り、佛図も然り、伊國も然り、澳國も然り、彼等各々其大小高低の度と率とを異にすと雖も、而も現時の財富のー部に集中するは、世界萬邦俱に其趨勢を同じくせる所也。而して我日本に於ても亦然らざることを得ず。
〇我國に於てや、凡そ何等の物と事とを問はずして、未だ精確の統計の信據す可きなきは遺憾の至也。然れども近時我國財富の分配が益々一部に偏重し、貧富益々懸隔するは爭ふ可らざるの事實也。見よ、土地は益々兼併せらるゝに非ずや、資本は益々合同せらるゝに非ずや。彼の資本、資本を吸ひ、息錢、息錢を生むや、國家人民全體の資產の額は甚だ培加を見ざるに拘らず、大資本家、大地主なる少數階級の資產は日に其膨脹を致すこと、恰も雪塊の一廻轉する每に、自ら其の面積を增大し來るに似たらずや。
〇試みに思へ、若し近世物質的文明が、其精緻の器、巧妙の術に依り、年々產出する所の巨額の財富をして、多數人民公平に分配して、以て日用の消費に供するを得たりとせよ、何ぞ衣食の匱乏を嘆ずる今日の如きを耍せんや、而も分配の公を失する如此《かくのごと》く甚しく、其一部に堆積し、少數階級に壟斷せらるゝ、如此く甚し。怪しむ無き也、世界の多數が常に飢凍の域に滾轉することや。
〇於是乎《ここにおいてか》、別に一問は提起せられざるを得ず、何ぞや。
〇蓋し社會の財富や、決して天より降下するに非ず、地より噴出するに非ず、一粒の米、一片の金と雖も總て是れ人間勞働の結果に非ざるは無し。夫れ唯だ勞働の結果也、其結果や當然勞働者卽ち之が産出者の所有に歸す可きの理に非ずや。而も多數の勞働者よ、何故に汝は汝の產出せる財富を自由に所有し、若くば消費すること能はざる乎。古詩に日く『滿身綺羅者《みきらにみつるもの》、是匪養蠶人《これやうさんのひとにあらず》』と、 何故に養蠶の人は却て綺羅を纏ふこと能はざる乎。[編者注:北宋・張兪の詩「蚕婦」の後半、訳は「体いっぱいに高価な絹織物の衣装をつけている者は、養蚕の仕事に従事する人たちではなかったからです。」、元の五言絶句の原文および読み下し文は、昨日入城市  昨日 城の市に入り 帰来涙満巾  帰り来たれば 涙 巾に満つ 遍身羅綺者  遍身 羅綺の者 不是養蚕人  是れ養蚕の人ならず]
〇他なし、彼等は一切の生產機關を有せざれば也。換言すれば卽ち資本を有せざれば也、土地を有せざれば也。資本なき者は勞働すること能はざる也、土地なき者は勞働すること能はざる也。勞働せざれば卽ち餓死せざる可らず。彼等は其餓死を免るゝに急なる丈《だ》け、夫れ丈け、生產機關を求むるに急ならざるを得ず。其生產機關を求むるに急なる丈け、夫れ丈け一切の利益幸福を擧げて之が犧牲に供せざることを得ず。而して彼等は實に資本所有者、土地所有者の足下に拜跪して、資本と土地との使用の許可を乞はざる可からず。而して此使用の許可を得るの報酬として、其生產の大部を資本家、地主の倉庫に献納せざるを得ず。而して彼等が終歲、若くば生涯、營々たる勞役の功果は、憐れむ可し、唯だ其不幸なる生命を支ふるに過ぎざるのみ。然り現時の小農及び小作人は實に如此き狀態に在り、現時の職工は實に如此きの狀態に在り、 土地と資本とを有するなくして、賃銀に衣食し、給料に衣食する者、皆な實に如此きの狀態に在り。
〇試みに思へ、若し世界の土地と資本とをして、多數人類が自由に其生產の用に供するを得たりとせよ。彼等が多額の金利を徴せられ、法外の地料を掠められ、若くば低廉の賃銀を以て雇役さる、の要なくして、其勞働の結果たる簣は直ちに彼等の所有として、自由に消費することを得たりとせよ。分配公を失して、貧富の懸隔する、何ぞ今日の如く甚しきに至らんや。而も彼等は唯だ勞働の力を有するのみ。土地と資本との兩者に至っては、全く少數階級の專有に歸して、其生產の大部を納むるに非ざるよりは、決して使用するを許されざる也。怪しむなき也、世界の多數が常に飢凍の域に滾轉することや。
〇於是乎、更に一問は提起せられざるを得ず、何ぞや。
〇夫れ土地や資本や、一切の生產機關は、人類全體を生活せしむる所以の要件也、之を壟斷し占有するは、卽ち人類全體の生活をが左右し、死命を制する所以也、彼地主資本家なる者果して何の德あり、何の權利あり、何の必要あって、之を壟断し、專有し、增大して、以て多數人類の平和と進步と幸福とを蹂躙するや。
〇他なし、僥倖のみ、猾智のみ、貪慾のみ。彼等地主資本家や、時に或は勞働に從ひ生產を扶くるなきに非ざる可し、勤勉なることなきに非ざる可し、節儉なることなきに非ざる可し。然れども彼等が勤勉なる努働者、節儉なる生產者としての所得や知るべきのみ。而して彼等が地主資本家として擁する所の財富や、決して勤勉と節約とに依て律可き所の者に非ざる也。彼等の或者は卽ち父祖の譲與也、或者は卽ち投機の勝利也。或者は卽ち利息の堆積也。然り今の富厚を重ぬる者、三者必ず其一に居らざるはなし。而して其富變じて資本となり、株券を買ひ、土地を併すや、彼等は一擧手一投足の勞なくして、飽暖《はうだん》[編者注:暖衣飽食の略、典拠は、「孟子」と「荀子」]逸楽以て多數人類勞働の結果を掠奪す。而して其掠奪せる富は、更に轉じて資本となり、再び多額の富を掠奪するの武器となる。如此にして轉々窮る所を知らずして、而して少數者の富益々富を加へ、多數者の貧益々貧に陷るに至れる也。故にプルードンは叫んで日く、『財產は强奪の果也、資本家は盜賊也』と。然り道義的眼光より之を見る、彼等は實に自ら其盜賊たるを知らずして盜賊たる也。又何の德あり、何の權利あり、何の必要あと、 何故に養獄の人は却て綺羅を纏ふこと能はざる乎。
〇他なし、彼等は一切の生產機關を有せざれば也。換言すれば卽ち資本を有せざれば也、土地を有せざれば也。資本なき者は勞働すること能はざる也、土地なき者は勞働すること能はざる也。勞働せざれば卽ち觥死せざる可らず。彼等は其餓死を免るゝに急なる丈《だ》け、夫れ丈け、生產機關を求むるに急ならざるを得ず。其生產機關を求むるに急なる丈け、夫れ丈けー切の利益幸福を擧げて之が犧牲に供せざることを得ず。而して彼等は實に資本所有者、土地所有者の足下に拜跪して、資本と土地との使用の許可を乞はざる可からず。而して此使用の許可を得るの報酬として、其生產の大部を資本家、地主の倉庫に袱納せざるを得ず。而して彼等が終歲、若くば生涯、營々たる勞役の功果は、憐れむ可し、唯だ其不幸なる生命を支ふるに過ぎざるのみ。然り現時の小農及び小作人は實に如此き狀態に在り、現時の職工は實に如此きの狀態に在り、 土地と資本とを有するなくして、賃銀に衣食し、給料に衣食する者、皆な實に如此きの狀態に在り。
〇試みに思へ、若し世界の土地と資本とをして、多數人類が自由に其生產の用に供するを得たりとせよ。彼等が多額の金利を徴せられ、法外の地料を掠められ、若くば低廉の賃銀を以て雇役さるゝの要なくして、其勞働の結果たる簣は直ちに彼等の所有として、自由に消費することを得たりとせよ。分配公を失して、貧富の懸隔する、何ぞ今日の如く甚しきに至らんや。而も彼等は唯だ勞働の力を有するのみ。土地と資本との兩者に至っては、全く少數階級の專有に歸して、其生產の大部を納むるに非ざるよりは、決して使用するを許されざる也。怪しむなき也、世界の多數が常に伽凍の域に滾轉することや。
〇於是乎、更に一間は養せられざるを得ず、何ぞや。
〇夫れ土地や資本や、一切の生產機關は、人類全體を生活せしむる所以の要件也、之を壟斷し占有するは、卽ち人類全體の生活を左右し、死命を制する所以也、彼地主資本家なる者果して何の德あり、何の權利あり、何の必要あって、之を壟斷し、專有し、增大して、以て多數人類の平和と進步と幸福とを蹂蹂躙するや。
〇他なし、僥倖のみ、猾智のみ、貪慾のみ。彼等地主資本家や、時に或は勞働に從ひ生產を扶くるなきに非ざる可し、勤勉なることなきに非ざる可し、節儉なることなきに非ざる可し。然れども彼等が勤勉なる努働者、節儉なる生產者としての所得や知るべきのみ。而して彼等が地主資本家として擁する所の財富や、決して勤勉と節約とに依て得可き所の者に非ざる也。彼等の或者は卽ち父祖の譲與也、或者は卽ち投機の勝利也。或者は卽ち利息の堆積也。然り今の富厚を重ぬる者、三者必ず其一に居らざるはなし。而して其富變じて資本となり、株券を買ひ、土地を併すや、彼等は一擧手一投足の勞なくして、飽暖《はうだん》[編者注:暖衣飽食の略、典拠は「孟子」滕文公上]逸樂以て多數人類勞働の結果を掠奪す。而して其掠奪せる富は、更に轉じて資本となり、再び多額の富を掠奪するの武器となる。如此にして轉々窮る所を知らずして、而して少數者の富益々富を加へ、多數者の貧益々貧に陷るに至れる也。故にプルードンは叫んで日く、『財產は强奪の果也、資本家は盜賊也』と。然り道義的眼光より之を見る、彼等は實に自ら其盜賊たるを知らずして盜賊たる也。又何の德あり、何の權利あり、何の必要ある者ならんや。而も吾人は是等道義的盜賊を放養して、以て其專恣掠奪に任せるに非ずや。怪しむなき也。多數人類が常に飢凍の域に滾轉せることや。
〇於是乎吾人は現時社會の病源に於て、略ぼ知る所あるを信ず。何ぞや、日く、多數人類の飢凍は、富の分配の不公に在り、富の分配の不公は、生産物をして生産者の手に歸せしめざるに在り、生産物をして生産者の手に歸せしめざるは、地主資本家なる少數階級の掠奪する所となれば也、地主資本家の掠奪する所となるは、土地や資本や一切生產機關をして初めより地主資本家の手中に占有せしむれば也。
〇果して然らば之が治療の術亦實に知るに難からざる也。予は卽ち斷言せんとす、今の社會間題解決の方法は、唯だー切の生產機關を、地主資本家の手より奪ふて、之を社會人民の公有に移す有るのみと。
〇然り、『一切の生產機關を地主資本家の手より奪ふて、之を社食人民の公有となす』者、換言すれば、地主資本家なる徒手游食の階級を廢滅するは、是れ實に『近世社會主義』一名『科學的社會主義』の骨髄とする所に非ずや。
〇於是乎世間社會主義を熟知せざるの士、啞然失笑して日はんとす、何等の囈語《げいご》ぞ、何等の妄想ぞ、思へ社會の生產は一に地主資本家の左右する所に非ずや、其分配は一に地主資本家の指揮する所に非ずや、農工商經濟は總て彼等に依て維持せられ、多數人類は總て彼等の手に養はる。曷《いづく》んぞ能く之を廢滅することを得んや、假に之を能くせしむるも、若し彼等.微《な》りせば社會は暗黑ならんのみ。而も漫《みだり》に之が廢滅を言ふ、社會主義なるもの、抑も何等の妄想囈語ぞやと。
〇嗚呼囈語乎妄想乎、社會は永劫に地主資本家の存在を是認す可き乎、是認せざる可らざる乎。吾人は此等の言を爲すの人に向って、先づ人類社會の組織し進化する所以に就て、一番の討査を請はざる可らず。
爭之難平也。天折地絶。亦無自屈之期。
報之不已也。鬼哭神愁。奚有相安之日。
[編者注]典拠は『小窓幽記』(明末・文学者陳継儒)「争いの決着は難しい。 空は割れ、地は裂け。 自虐している暇はない。まだ報告は終わらない。 鬼霊は泣き、神々は悲しんで安穏な日々は来ない。」くらいの意味か?飛鳥井雅道氏は、「幸徳秋水」(中公新書)の中で、ロジア・ナロードニキの著書の秋水訳書の題名に「神愁鬼哭」とあるのは、宮崎夢柳の「虚無党実伝記・鬼啾啾《きしゅうしゅう》」からのイメージと書くが、それは違うだろう。以上の案件のご教示を待つ。

読書ざんまいよせい(047)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(01)
3月から、「大逆事件」について、学び始めました。それに関連して、神戸での事件関係者に関する講座にも通っています。幸徳秋水の主要著作も、現代語訳もむくめて電子化されたテキストも多々ありますが、案外、フリーテキストされていない作品も目に付きます。そのなかから、「社会主義神髄」をテキスト化してみました。また、章の最後に、漢詩ないし漢文の引用での締めくくりがあるので、できるだけその典拠も書いてみたいと思っています。

“Let the ruling classes trem-
ble at a Communistic revolu-
tion. The proletarians have
nothing to lose but their chains.
They have a world to win.
Working men of all countries
unite !”
【編者注】「支配階級をして共産主義革命の前に戰慄せしめよ。プロレタリヤは、自分の鎖よりほかに失ふべき何ものももたない。そして彼らは、獲得すべき全世界をもつてゐる。
 萬國のプロレタリヤ團結せよ!」
(幸徳秋水・堺利彦訳「共産党宣言」末尾より・青空文庫

自 序

『社會主義とは何ぞ』是れ我が國人の競ふて知らんと欲する所なるに似たり、而して又實に知らざる可らざる所に屬す。予は我國に於ける社會主義者の一人として、之れを知らしむるの責任あるを感ずるが故に、此の書を作れり。
近時社會主義に關する著譯の公行する者、大抵非社會主我者の手に成り往々獨斷に流れ正鵠を失す、其然らざるも或は僅に其一部を論じ、或は單に一方面を描くに過ぎず。而して浩瀚の者は却つて煩冗《はんじやう》に過ぎ、短簡なる者、 亦要領を得難きの憾み有り。是を以て予は本書に於て、勉めて枝葉を去り、細節に拘せず、一見明白に其大綱を了會し耍義に誘徹せしめんことを期せり。世間未だ社會主義の何たろを知らざるの士之に依て、所謂『烏眼觀《バーヅアイ・ヴユー》』を做すことを得ぱ、幸ひ甚し。蓋し著述の推きは徒に紙吸を多からしむるに在らずして、冥に次序の體を得せしむるに在り、材料を豐にするに在らずして繁簡の中を得せしむるに在り。本書固より闘々の小册なりと雖も、而も稿を代ふること十數囘、時を費す半年の久しきに及びて遂に意に滿つる能はず、慚悦何ぞ堪へん。但だ予の不才之な奈何ともするなくして、而して江湖の社會主義を知らんとする者、益々急なるを見て、忍んで剞劂《きけつ》に付するを爲せり。故に本書說く所に關し、反對の意見若くば疑間を以て質さるゝの人あらば、予は喜んで更に之が答辯說明の責に任ずべし。
本書執筆の際、參照に資せしは、
  MARX, K & ENGELS, F. Manifesto of the Communist Party.
  MARX, K, Capital: A Critical Analysis of Capitalist Production.
  ENGELS, F. Socialism, Utopian and Scientific.
  KIRKUP, T. An Inquiry into Socialism.
  ELY, R. Socialism and Social Reform.
  BLISS, W. A Handbook of Socialism.
  MORRIS, W. & BAX, E. B. Socialism : its Growth and Outcome.
  BLISS, W. The Encyclopedia of Social Reforms.
等の數種也。初學少年の爲めに特に之を言ふ。
    明治三十六年六月
                著 者

      第一章 緖  論

〇クロムウエルと言ふこと勿れ、ワシントンと言ふこと勿れ、ロベスピエールと言ふこと勿かれ、若し予に質すに古今最大の革命家を以てする者あらば、予は實にゼームス・ワット其人を推さずんばあらず。彼れ夫れーたび其精緻の頭腦を鼓して、造化の祕機を捉來し、之を人間の眼前に展開するや、世界萬邦物質的生活の狀態は、俄然として爲めに一變を致せるに非ずや。嗚呼彼所謂殖產的革命の功果や眞に偉なる哉。
〇蓋し今の紡績や、織布や、鑄鐵や、印刷や、共他百般工技の器、鐵道や、汽船や、 其他白般交通の具、之を望めば恰も魅應の如く、之に就けぱ恰も山撤の如く然り。而して此等の機器の常に自在に胴使せられ、無礙に運轉せらるるもの、唯だ慧々然たる蒸氣ー吹の力に由れることを思ふ、其術何ぞ爾く巧にして其能何ぞ爾く大なるや。若し十八世紀中葉の人類を地下に起して以て今日を觀せしめば、應に呀然として駭絕驚倒すべきや必せり。況んや之に次ぐに定氣發明の奇と其應用の妙、刻々に新なるを以てするに至って、人智の窮極する所、眞に測る可らざる者有り、予は萬物の靈長の語、於是て始めて驗有るを覺ふ。
〇然れども此等機器の發明及び共改善に由て打成せる、所綱殖焼的革命の貴尙すべき所以の功果は、獨り英技の巧且つ妙なるに在らずして、實に共殖產の饒多に、其交換の利便なるに在らざる可かず。
〇蓋し近時生產カ發達の程度及比率は、其產業の種類の異なるに從って差あるが故に詳密精確の統計を得難しと雖も、而も機械が人力に代れるが爲めに、槪して著大の增加を來せるや論なし。敎授イリーは日く、或種の產業は爲めに十倍せり、或種の產業は爲めに二十倍せり、更紗の生産の如きは、優に百倍し、書籍版行の如きは優に千倍せりと。ロバート・オーエンは早く前世紀の初に於て公言して日く、五十年前六十萬人の勞働を要せるの財富は、今や僅に二千五百人の力を以て生產し得べしと。而して爾後今日に至る迄百年間、更に幾層の進步ありしや、疑ふ可らず。某學士は亦日く、近時の器械は一家五口の戶々に供するに、各々昔時六十人の奴隸の生產せしと同額の資財を以てするを得べしと。由处觀之《これによつてこれをみるに》、最近百餘年間に於て、世界の生産力が少くも平均十數倍の增加を為せるは、何人も之を斷言するに躊躇せじ。
〇而して是等僥多の財富が、世界各地に運輸され交換さるゝや、亦其自在と敏活とを極む。蜘網の如き鐵道航路は、以て坤輿《こんよ》を縮小すること幾千里、神經系統の如き電線は、以て萬邦を束ねてー體と為す。濠洲に屠れる羊肉は直に英人の食膳に上る可く、米國にて作れる棉花は遍く亜細亜人の體軀を纏ふ。緩急の相依り、有無の相通ずる、有史以來實に今日より盛なるは莫し。
〇嗚呼是れ實に所謂近世文明の特質也、美華也、光蟬也。吾人生れて這個《しゃこ》文明の民たるを得て、是等空前の偉觀壯觀を仰ぐ者、竊かに自ら慶し、且つ誇るに足る有るに似たり。
〇然れども、吾人は近世文明の民たるに於て、眞に自ら慶す可き乎、眞に自ら誇る可き乎。否、是れ疑問也、然り大疑問也。
〇試みに一考せよ、近時機器の助けあるが爲めに、吾人生産の力が十借、百倍、時としては千借せることは、卽ち之れ有り。然らぱ則ち世界多數の勞働者は、殖産的革命の以前に比して、大に其勞働の時と量とを減じ得可きの理也。而も事實は之に反す、彼等は依然として永く十二一時間乃至十四五時間苛酷の勞働に服せざる可らざるは何ぞや。奇なる哉。
〇又一考せよ、近時千百借せる饒多の財富は、運輸交通の機關の助けあるが爲めに、世界の一隅より一隅に至る迄、自在敏活に分配貿易せらるゝことは、亦眞に之れ有り。然らば則ち世界多數の人類は、衣食大に餘り有りて、洋々太平を謳歌し得可きの理也。而も事實は之に反す、彼のロ糟糠だにも飽かずして、父母は飢凍し、兄弟妻子離散する者、日に益々多きを加ふるは何ぞや、奇なる哉。
〇人力の必要は省減せり、而も勞働の必要は減少せざる也。財富の生産は堪加せり、而も人類の衣食は増加せざる也。旣に勞働の苛酷に堪へず、更に衣食の匱乏に苦しむ。故を以て學校の設くる多くして、人は敎育を受くるの自由を有せざる也、交通の機關便にして、人は旅行の自由を有せざる也、醫治の術進步して、人は療養の自由を有せざる也、多數政治の制ありて、人は参政の自由を有せざる也、文藝美術發達して人は娛樂の自由を有せざる也。而して所謂近世文明の特質や、美華や、光輝や、如此にして多數人類の幸福、平和、進步に於て、果して幾何の價値有りとする乎。
〇言ふこと勿れ人は麵麴のみにして生きずと。衣食なくして何の自由あることを得る耶、何の進步あることを得る耶、何の道德あることを得る耶、何の學藝あることを得る叫。晋敬仲云へる有リ、倉廩實而知禮節《さうりんみちてしかしてれいせつをしる》と、所詮人生の第一義は卽ち衣食問題也。而も近世文明の民たる多數人類は、實に衣食の匱泛の爲めに遑々たるに非ずや。
〇言ふこと勿れ、勞働は衣食を生ずと。見よ彼の勞働せる人の子を、彼や生れて八九歲の幼時より共老衰病死に至る迄、營々として牛馬の如く驅られ、兀々《ごつ/\》として蟻蜂の如く勞す、節儉にして勤勉なる、凡そ彼等に過ぐるは莫し。而して租稅滯納の爲めに公賣の處分に遭ふ者、年々數萬を以て算せらるゝ也。而して彼の衣食常に餘りある者は、常に勞働するの人に非ずして、却て徒手逸樂遊悟の人に非ずや。
〇然れども其勞働の痛苦や、猶ほ可也、若し夫れ勞働す可き地位職業すら之を求めて寛に得ること能はざるに至ては、人生の慘事實に之より甚しきは莫し。彼や壯健の體軀を有す、彼や明敏の頭腦を有す、彼や有爲の技能を有す、而して其カ能く衣食の生產に任じて餘り有る者にして、唯だ其職業を得ざるが爲めに、終生窮途に泣き溝壑《こうがく》に滾轉《こんてん》する者、 世間果して幾萬人ぞ。
〇好し高利に衣食せよ、株券に衣食せよ、地代に衣笈せよ、租稅に衣食せよ、今の所謂文明社會に處して然る能はざる者は、則ち長時間の勞働也、苦痛也、窮乏也、無職業也、俄死也。觥死に甘んぜずんば、則ち男子は强窃盜たり、女子は醜業婦たらんのみ、墮落あるのみ、罪悪あるのみ。
〇然り今の文明や、一面に於て燦爛たる美華と光輝とを發すると同時に、一面に於て暗黑なる窮乏と罪惡とを有す。燦爛の天に〓[皇+羽]翔《こうしゅう》する者は千萬人中僅に一人のみ、暗黒の域に滾轉する者は世界人類の大多數也。是れ豈に吾人人類の自ら誇るに足る者ならん哉。
〇烏呼世界人類の苦痛や飢凍や、日は一日より急に、月は一月より激也、人類の多數は唯だ其生活の自由と衣食の平等とを求むるが爲めに、一切の平和、幸福、進步を犧牲に供せずんば已まざらんとす。人生なる者は竟に如此き者耶、 如此くならざる可らざる耶、 耶蘇の所謂祖先の罪耶、浮屠《ふと》の所謂娑婆の常耶。咄々豈に是れ眞理《トルース》ならんや、正義《ヂヤスチース》ならんや、人道《匕ユーマニチー》ならんや。
〇嗚呼彼の偉大なる殖產的革命の功果は、竟に人道、正義、眞理に合す可らざる乎。所謂近世文明の世界は、遂に人道、正義、眞理を現す可らざる乎。是れ個の問題や二十世紀の陌頭《はくとう》に立てるスヒンクスの謎語也。之を解決する者は生きん、否らずんば死せん、世界人類の運命は懸けて此一謎語に在り。
〇誰か能く之を解決する者ぞ、宗敎乎、否、敎育乎、否、法律乎、重備乎、否、否、否。
〇夫れ宗敎や以て未來の樂園を想像せしむ、未だ吾人の爲めに現在の苦痛を除き去らざる也。敎育や以て多大の智識を與ふ、未だ吾人の爲めに一日の衣食を産出せざる也。法律や能く人を責罰す、人を樂ましむるの具に非ざる也。応備や能く人を屠殺す、人を活かしむるの器に非ざる也。嗚呼、噫、誰か能く之を解決する者ぞ。
以貨財害子孫。不必操戈入室。
以學術殺後世。有如按劎伏兵。
【編者注】漢文の典拠不明、「貨財を以って子孫を害す。必らずしも戈を操り室に入る要なし。學術を以って後世を殺す、剣を按ずるの伏兵あるがごとし。」と読み下しできるだろう。『金銭の力で孫子まで害をすのに、部屋に入る必要はない、弁論で後世まで抹殺するのは剣をもった伏兵がいるようだ。』くらいの意味だろう。ご教示を待つ。)

日本人と漢詩(096)

「日本人と漢詩」は番外編が2投稿あるので、連番号を修正した。
◎石川啄木と白居易(白楽天)

啄木には、漢詩の実作はないが、短歌には意外と漢詩的な側面もある。白楽天は、李杜のやや下に置く傾向はあるが、彼の白楽天の詩集は、あまり人口に膾炙する詩以上に、熱心に読んでおり、自らの短歌にも影響を与えたと考えられる。

浪淘沙《ろうとうさ》
       ながくも声をふるはせて
       うたうがごとき旅なりしかな
これは、啄木が、1908年、一年間にわたる北海道各地の旅から離れ、文学一本で身を立てるため、単身で東京生活を始めた、日付は、10月23日の作品である。

浪淘沙 白楽天
隨波逐浪到天涯 波に随《したが》い浪を逐《お》いて天涯《てんがい》に到る
遷客生還有幾家 遷客《せんかく》生きて還《かえ》るは幾家《いくか》か有る
却到帝鄕重富貴 却って帝郷《ていきょう》に到りて重ねて富貴ならば
請君莫忘浪淘沙 請《こ》う君忘るる莫《なか》れ浪の沙《いさご》を淘《とう》するを

浪のまにまに天涯に貶詫《へんたく》(遠く追いやられること)された人は、生きて還ることは稀である。もし幸いに都へ帰って、さらに富貴になりえたならば、全く浪に淘《あら》われた沙のようだと思うがよい。(佐久間節訳解「白楽天詩集」第四巻)

以前、啄木は、白楽天のことを、李白・杜甫の下位に置く傾向があると指摘したが(日本人と漢詩(060))、、決して軽視したわけではなく、ややマイナーな詩作も含めて、こまめに読んでいたらしい。白楽天には珍しい、ややメランコリックな詩情を自作の短歌にうまく取り入れている。

浪淘沙六首白文は、以下のサイトにある。

啄木の本領は、拠点を東京に移した時から始まったと言ってよい。ただし、彼の人生は、あと4年しか残されていなかったが…
「大逆事件」関係では、古い蔵書から、歌人の碓田のぼる氏の新書を読み返した。戦後になりようやく資料が出揃ってきた「大逆事件」の全容を書く端緒で夭折したのが返す返すも残念である。そもそも、秋水が「暴力革命」論者であったかは、かなり難しい問題だろう。「大逆事件」供述書にそのような記載があったとしても、権力側から「嵌められた」側面が強いかな?その供述書を読むことができた啄木は、秋水の意志を受け継ぎ次の時代へ進もうとしたし、厳しい現状に対しても、何とか「人民的議会主義」への模索があったと指摘する。繰り返しになるが、その意志、意欲は、明治の終焉と時を同じくし、そして象徴的だが、啄木の夭折とともに、一旦、断絶と終焉を迎え、継承されることはなかった。碓田のぼる氏は、やがて大正から昭和にかけてのプロレタリア文学に引き継がれたとするが、議会への態度を含め、かなり強引な説明であることは否めないし、今日的な検討が必要であろう。

参考】
啄木と中國一唐詩選をめぐって一
北の風に吹かれて~独り漫遊記~啄木歌碑巡り~1~
・「石川啄木と『大逆事件』」(碓田のぼる 新日本新書)(写真も本書から)

日本人と漢詩(093)

◎幸徳秋水と中江兆民

師弟の関係にあった幸徳秋水が中江兆民の葬儀の時の詩。その敬愛に満ちた評伝「兆民先生」の冒頭に掲げる

寂寞北邙呑涙回 寂寞《せきばく》たる北邙《ほくぼう》
斜陽落木有餘哀 斜陽《しゃよう》 落木《らくぼく》 余哀《よあい》あり
音容明日尋何處 音容《おんよう》 明日《みょうにち》 何處《いづ》くにか尋《たづ》ねん
半是成煙半是灰 半《なか》ばは、是れ煙と成り、半は是れ灰

語釈、訳文は詩詞世界を参照のこと。

続く文章も、思慕の念が溢れるものになっている。

「想起す去年我兆民先生の遺骸を城北落合の村 に送りて荼毘に附するや、時正に初冬、一望曠野、風勁く草枯れ、満目惨凄として万感胸に湛へ、去らんと欲して去らず、悄然車に信せて還へる。這の一首の悪詩、即ち当時車上の口占に係る。嗚呼、逝く者は如斯きか、匆々茲に五閲月、落木蕭々の景は変じて緑陰杜の天となる。今や能く幾人の復た兆民先生を記する者ぞ。」

一方、師の兆民も、漢詩の詩作が数百首あったようだが、まとまって紹介されることは少ない。そのなかで、「兆民先生」で引用される詩がある。

病中得二首之二 病中二首を得の二 中江兆民
西風終夜壓庭區 西風《せいふう》 終夜《しゅうや》 庭区《ていく》を圧《あ》っし
落葉撲窗似客呼 落葉《らくよう》 窓《まど》を撲《う》ちて 客の呼ぶに似たり。
夢覺尋思時一笑 夢覚め 尋思《じんし》の時一笑《いっしょう》
病魔雖有兆民無 病魔《びょうま》ありと雖《いえど》も兆民《ちょうみん》なし

語釈、訳文は同じく詩詞世界を参照のこと。

これ以上、余分な解釈は必要あるまい。兆民は、大坂堺市でその療養生活を送った。堺市市之町にはその居住先があるという。今度、機会があれば訪れてみよう。

参考】
・幸徳秋水「兆民先生」(岩波文庫)
・中江兆民「一年有半・続一年有半」(岩波文庫)

日本人と漢詩(067)

◎幸徳秋水と安重根
以前は、診療時間と重ならなかったため、「管野須賀子を顕彰し名誉回復を求める会」の例会に何度か顔を出していたが、今は定期的に送ってくる機関紙に目を通すだけの付き合いである。昨今のコロナ禍では、なかなか例会もままならぬとのこと、残念な事だ。
2022年3月号の機関紙に、「大逆事件と朝鮮ー幸徳秋水と安重根」との題で、神戸学生青年センター理事長飛田雄一氏の一文が掲載され、安重根に触れた秋水の四言詩が載っていた。1910年3月26日に、伊藤博文を暗殺した安重根は処刑されたが、秋水の詩は、彼の死を心から悼んのだろう。(図は、その投稿の一部)

 

舎生取義 生を舎て義を取り
殺身成仁 身を殺して仁をなす
安君一挙 安君の一挙
天地皆振 天地みな震う
秋水題

ちなみに以下はその年、1910年6月、大逆事件発覚後、獄中での漢詩である
辭世
區區成敗且休論 区区たる 成敗 且《しばら》く論ずるを休《や》めよ
千古唯應意氣存 千古 唯《ただ》応《まさ》に 意気に存すべし
如是而生如是死 是《か》くの如《ごと》くして 生き 是《か》くの如《ごと》く死す
罪人又覺布衣尊 罪人 又た覚ゆ 布衣《ふい》の尊きを
語釈は以下を参照
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/jpn211.htm
以上の経緯は、一松書院のブログ-金虎門事件(3)宋学先と安重根の絵葉書に詳しく述べられており、興味深い。