日本人と漢詩(021)

◎毛有慶(亀川盛棟)


日本人であるかどうかは微妙ですが、「琉球処分」により琉球王朝が消滅しようとしていた時代、彼は、清国に救援を求めに渡ったが、琉球に帰ったところ、投獄されたとあります。
「日日王城を瞻望《せんぼう》し、悲歎《ひたん》に勝《た》えず、偶《たま》たま書す」 毛有慶(亀川盛棟)(1861-1893)
城古《ふ》りて転《うた》た蒼茫たり
城荒れて草木長ず
龍楼《りゅうろう》龍《たつ》既に脱し
鳳闕《ほうけつ》鳳《おおとり》猶お翔《と》ぶ
本《もと》簫笙《しょうしょう》の殿《でん》を以て
変じて剣戟《けんげき》の倉《くら》と成す
一朝《いっちょう》一《ひと》たび首を翹《あ》げ
愁断《しゅうだん》す 九廻《きゅうかい》の腸
首里城での詩歌管弦の御殿も、今や武器庫となっていると嘆くところは、現在の沖縄基地の重圧につながるように感じます。
最近、Youtube のじゅんちゃんの哲学チャンネルで、関西学院大学の冨田先生との対談を聴きました。富田先生は、丸山真男を援用しながら、日本の近代から現代にかけては、「他者」をきちんと対象化しながら、対峙してこなかった弊害について述べられていました。それは、実際の対話も欠落していたし、自己の内側でも、なおさらそうであったとしています。琉球に根付いた文化は、狭い意味での「日本」にとって他者であることを、彼の漢詩は示してくれます。(本場中国の漢詩では、いくたびの亡国の際に、その感情表現が昂ぶることが多いように思われます。)
彼の漢詩は、以下の琉球大学アーカイブで読むことはできますので、ゆっくり読んでみたいと思っています。
https://core.ac.uk/download/pdf/59152852.pdf
写真は、焼失前の首里城です。
参考】
・石川忠久「日本人の漢詩」琉球の詩人たちより

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