読書ざんまいよせい(081)

◎巌窟王(巖窟王)(上 006) アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香譯

巖窟王 : 五一 チブレン島

死人に代つて獄を出ると云ふ如き大膽な思案を友太郎に起させたのは、是れが法師の能く云ふた天意では有るまいか。或は法師の靈が此の思案を授けたのでは有るまいか。

山の樣な怒濤に揉まれながらも友太郎の心は、弛まずに神の助けを信じてゐる、我身を水底に沈まぬだけに支へてゐれば必ず何處かへ流れ着いて助かる事になるだらう、唯此の樣に思ふて風雨とも浪とも鬪つてゐた。

其の見込は間違はなかつた、彼の力が殆ど盡きて、最早如何とも仕難い頃、彼はある岩の上に打上げられた、此の岩が、即ち彼の目指してゐたチブレン島である。

身體の疲れは一方ひとかたで無いけれど、氣が立つてゐるから中々挫けはせぬ、たゞちに岩の高い所まで攀ぢ上り、やみの中に四方を眺めて方角を案ずるとブラニエルの燈臺の光りに依り茲がチブレン島だと分かる、目指す島へと着いたけれど、て此上は何しやう、四方の暗黒よりも、我身の上の寸前が猶更暗黒である。

雨はほどでも無いけれど風と波とは益々激しい、殊に雷鳴さへも加はつた、兎に角夜の明ける迄と、岩の被さつて蔭と爲つてゐる樣な所を探し茲に身を潛めたが、間も無く海のおもてより、人の悲鳴する聲が聞える樣に感じた。

もとより怒濤の間からくは聞き分られぬけれど、若しやと思つて再び岩の高い所へ上り、此方彼方と透かして見てゐる間に、パツと閃く電光いなづまが海のおもてを隈なく照した、此光りに分かつたのは茲より五六丁の沖合に一艘の漁船が波に捲かれてくつがへり、今やあたかも二人三人の乘組員が海底へさらへ込まれる所である、先に聞えた悲鳴の聲は此人々の叫びで有つたのだ。

船をさへ碎く程の浪だから其中へ落ちた人の助かると云ふ事はとても出來ぬ、再び閃くいなづまの光に見れば、海は唯だ山の樣な浪の重り合つて狂ふばかりで舟も無ければ人も無い、全く沈溺して了つたのである、殊に友太郎が此岩へ打上げられた時から見ると波の荒れ方が幾倍も強くなつてゐる、沈んだ人逹は最う此世の人では無いに違ひ無い。

舟に乘つてゐた人々は沈溺して、却て袋に入れておもりまで附けられて、爾して海底に沈められた人は助かる、實に不思議なものである、助かるのも人間の力では無く、死ぬるも人間の力で無い之が神技かみわざで無くて何であらうか。

再び岩の蔭に歸つて友太郎は神に謝した、爾して暫らく身を落ち着けてゐる間に、雨も風も次第に鎭まつて、夜もやうやくに明け放れた。

天は昨夜の荒れに似ず青々と晴渡つてゐる、あれ丈の雲、あれ丈の風がわづか數時間の中に何處へ收まつたゞらうかと怪しまれるけれど、友太郎に取つては却つて不安心である、日が出て後に若し泥阜でいふの要塞から望遠鏡を以て此島を見れば此身の茲にゐる事まで分るに極つてゐる、何うか其樣な事の無い中に、通り合す舟でも有れば好い。

けれど浪だけは、昨夜の餘波でだ荒れてゐた、三たび岩の上へ登つて四方を見渡しても舟らしき物は見えぬ、如何とも仕方が無い、早や東の水平線が、日の出る樣に紅くなつた、最う泥阜でいふの要塞で一切の役人が起きるのに間も有るまい、起きて若牢番が此身のゐた土牢へ朝飯を運んで行けば直ぐに此の身の逃げた事が分る、昨夜此の身が崖の上から落とされた時、途中、我知らず驚き叫んだから、牢番等は其聲を聞て怪しみ今朝は殊更早く法師の部屋から此身のへやを見廻るかも知れぬ。

囚人の逃げた場合には、据附けの大砲を放つて塞のうち總體へ警報を傳へると聞いてゐるが、今に其の警報が聞えはせぬか、今に幾艘の小舟が追人おつての乘せて此島へ漕寄せはせぬかと、樣々に氣遣ふ中彼方に見ゆつ馬耳まるせーゆの港口から一艘の帆船が出た、未だ波の荒いのに出て來る所を見れば、禁制品を取り扱ふ密輸入者の舟でも有らうか、何にしても有難い、何うか早く聲の屆く邊まで來て呉れゝばと、只ひたすら其の方を注意するに、幼い頃から水夫で育つた友太郎の目には直に分る、確にレグホーン港の方へ行く航路を取つてゐるらしい、爾すれば此島からは聲の屆かぬほど遠い所を通るのだ、何とか此舟を呼び寄せる工風は有るまいかと、空しく四あたりを見廻したが是れも天の惠みだらうか此島の一方の水際に何だか赤い物が有る、是れを取つて目印に、高く差上げて打振ればと思ひ、直樣水際へ行きて拾ひ上ぐるに水夫の冠る帽子である、多分は昨夜沈沒した漁船の漕手が被つてゐたものであらう。

之れを取つて岩の上に立ち、船の成るたけ近附いた時、打振り、打振り、救を求むる合圖をすると船はやうやくにして見認たらしい、針路を此こなたに振向けて、次第々々に近づいた、けれど浪は高し足場も惡し、船が直接に此島へ着く事の出來ぬのは分つてゐる。

間近くなつた頃を計り、友太郎は今拾つた赤い帽子を冠つたまゝ、其船の所まで泳いで行つた、高い浪を掻分けて進む手際が一ひとかどの水夫とは分つてゐる、爾して船の傍まで行くと船の方から「えらい、えらい」と聲を掛けて勵まして呉れ、綱を投げて之れにすがらせ、苦も無く救ひ上げて呉れた。

船長らしき一人は、友太郎の姿を見て「ヤ何と云ふ水夫だ、髮ならば十年に手入れした事の無い樣に伸びて髯の長さが六寸も有るとは」友太郎は尤もらしく「昨夜のあれで、丁度此處へ沈んだ漁船の船手です、使ふて下されば充分役には立ちますから、レグホーンまで載せて下さい」船長「丁度水夫を雇ひたい所だから、腕次第では期限を定めて雇ふても好いが、何だか氣味の惡い容貌だなア、第一此の髮の毛は何うしたのだ」友太郎「是れは何です、アノ、少し心願が有つて頭へ櫛や剪はさみを觸れぬ事にしてゐましたが、其れがやうやく屆いたから最う何なんどきでも刈込ます」云ふ折しも泥でいふ要塞の方に當り、大砲の音が聞こえた、見れば監獄の屋根の邊に白い煙が一團となつて立上つてゐる、確に友太郎の逃亡が分かつたのだ、船長は鋭いまなこで友太郎をジツと視詰め「エゝ泥でいふ要塞で大切な囚人が逃げたと云ふ警報だぜ、彼あそこから逃げる奴は大抵海へ來るに極ツてゐるぜ」疑ふ語調である。
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読書ざんまいよせい(080)

◎巌窟王(巖窟王)(上 005) アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香譯


画像は、Pierre-Gustave-Eugene-Staal-Edmond-Dantes より

巖窟王 : 四一 恩を返す道

實に法師の病は恐ろしいほど劇しい發作であつた、其の叫び聲は、友太郎が壓迫して牢の外へ聞えぬ樣にしたけれど、引續いて起つた總身の痙攣は友太郎の力では如何ともする事は出來なかつた。

噛〆めた齒の間から泡を吹き、眼は張裂くかと思はれる程廣がつて、兩の目の球も脱け出さうに見えたが、顏は一旦紫色になり又青くなり、手も足もイヤ身體からだ中がこと〴〵く引絞らるゝ樣に顫へて居たが、長久しくして鎭まつた。鎭まると共に死人の樣に成つて了つた。

脈もない、呼吸もない、其上に身體からだも冷えて、何うやら硬化かたまり掛けて居る容子である、友太郎は恐ろしさに堪へぬけれど、今が法師の差圖を實行する時と思ひ、まづのみを取つて、噛切て居る齒と齒との間を捻開け、瓶の藥を差圖の通りに十滴だけ埀らし込んだ。

是で生返るか知らん、返らぬか知らん、或は藥の呑ませ方が遲過はしなかつたか、早過ぎはしなかつたかと、樣々の懸念に胸を苦しめ只管ひたすら法師の顏をのみ見詰めて居るうち、大方夜の明け放れる頃となつて、極少しだけれど、青い顏に血色の還つて來る樣に見えた、引續いて、呼吸いきも眞に蟲の息ほどだけれど通ひ初めた、有難い、藥の效能があつたのだ、此分ならば遠からず全く此世の人に成るのだらうと思ふうち、早 いつも牢番が見廻りに來る刻限となつた。

殘念だけれど暫し茲を外さねば成らぬ、早や土牢の大戸を開く樣な音も聞える、全く去るに忍びぬ心を以て、友太郎は地の下の穴へ潛り込み、中から手を出して蓋の石を引込んで、成丈出入口の分らぬ樣にして置いて我 へやへ歸つた、眞に危い所であつた、歸ると間もなく、牢番が戸口から覗き込み、「ウム、別に異状はないな、では直に食事を持つて來て遣るワ」とて退いた。

食事中の友太郎の心配はたとへるに物もない、早く法師のへやへ行つて容子を見たい。

彼れが再び法師のへやへ忍んで行つたのは、二時間の後である、法師は早全く生氣に返つて居る、痛く疲れた樣子ではあるが、寢臺の上で首だけを上げ「オヽ友太郎か、お前の正直、忠實には唯感服の外はない、我が子、我が子」と打叫んだ、今まで友太郎は此法師を「父よ」「師よ」と呼んだ事は幾度いくたびだか知らぬけれど、法師は愚痴な人情には感動せぬ氣質で、絶えて「我子」といふ樣な親しい言葉は發しなかつた、今度ばかりは餘ほど感動したと見える。

友太郎「意外に早くお直り成さつて此んな嬉しい事はありません」法師「おれう、お前が此牢を出た事とのみ思つて居た」友太郎「エ何で其樣な事を」法師「イヤ昨夜直にも逃出される樣に總ての準備が出來て居るのだから、定めし逃出したゞらうと思つたのさ」友太郎は恨めしげに怒り「貴方は其れほど私を薄情とお認めでしたか」法師「イヤ薄情ではない、おれを捨て逃げ行くのが當り前だよ、多年の苦心で、やうやく脱獄の道を開き、牢の中の支柱を一つはづしさへせば、何も彼も思ふ通りに行く事と爲り、サア愈々いよ〳〵といふ間際におれが病氣に倒れたのだもの、おれに構ふてなど居られるものか、おれは今朝生氣に返り、獨りでさう思つた、アヽ友太郎は夜前の中に逃果にげおほせたな、其れにしてもおれに藥だけは呑ませて呉れたと見える、其れだからおれが此通り生返つたのだ、藥を呑ませる間だけでも踏留まつたとは、實に珍しい親切な男だと實は心で謝して居た」友太郎「師よ、師よ、貴方は情ない事を仰有おつしやる、私は今日牢番の來る時まで此 へやに居たのです」法師「許して呉れ友太郎、お前は實に、此世に二人とない高尚な心を持つて居る、其れを世の中一般の不人情な人と同視したのは惡かつた、惡かつた」法師は目に涙を湛へた。

友「惡いも何もありません、ア其樣な事を仰有おつしやらずに、氣を丈夫に持て早くくお成りなさい、其上で一緒に牢を出ますから」法師は限りなく失望の調子で「其れが出來ぬ事に成つた。おれは此前の發病の時は、生氣にかへつて唯だ總身のだるいのを感じたに止まつたが今度は半身不隨になつた[、] 右の手右の足が少しも利かぬ」友太郎「では其は」法師「イヤ直る事ではない、醫師カバニス氏が豫言した、しや第二の發作の時に命だけは助かるにしても、身體からだは必ず利かなくなると」友太郎「身體からだが利かねば私がおぶつて逃て差上げます」と少しも、躊躇も狐疑もせぬ、法師「おぶふとて、平地とは違ひ、外へ出れば海を泳いで逃げるのだ、半身不隨の人を背負ふて、何うして泳ぐ事が出來やう、イヽヤ其れは理論的にも分り切つて居る、何と云つても出來ぬ事だ、お前は水夫だ、人並外れて泳ぎに上逹して居たとしても、一町と泳がぬ中に溺れるに極つて居る、一番近い島へ迄も五哩はあるのだから、コレ友太郎、おれは自分の爲にお前を引留めては成らぬ、今まで一緒に逃げやうと云つた約束は取消すから、お前は一人で逃て呉れ、イヤ少しもおれを氣の毒とは思ふに及ばぬ、おれ愈々いよ〳〵といふ間際に此樣な事に成つたのも、畢竟は神の御心だ、神が未だおれを救ふて下さらぬのだ、おれは神の御心に逆らふては何事もせぬのだから、コレ何うかお前だけ獨りで逃る事に極めて呉れ」

眞に他事もない頼みである、友太郎は斷乎として「イヤ私は其樣な男ではありません、死んでも約束にしがみ附きます、貴方の生きて居る間は、決して貴方を捨て一人逃る樣な卑劣な事は致しません」何たるけなげな心だらう、法師は全く感極まつて泣いた「我子よ、我子よ、天がお前の樣な人生に又とない正直者をおれに授けて呉れたのだ、お前の正直に乘じて、其れでは一緒に止まつて呉れといふには忍びぬけれど、おれは此恩を返す道がある、ではお前の言葉に甘える、ナニおれは此次の第三囘の發病では死ぬるのだから、其時まで茲に居て呉れ」友太郎「居ますとも、イヤ第三囘の發病には牢の外で逢ふ樣に、貴方が少しでも能く成ればきつと救ひ出して差上げますよ」法師「兎も角も氣遣はしいにアノ陷穽おとしあなを、アノ儘に置いては番人が廊下を歩み下に空洞の樣な響きがする爲め怪しんであらためる事に成るかも知れぬ、お前 愈々いよ〳〵おれと一緒に踏留まるとすれば、一時でも彼の穴を埋潰して置かねば成らぬ」

情ない事をいふ、艱難辛苦でやうやく掘上げた穴を又潰さねば成らぬとは、しかし如何にも尤もな用心である、友太郎「潰しませう、私は一人で行つて、爾です、アノ陷穽おとしあなに成つて居る部分だけは十時間も掛かれば埋切る事が出來ますから」法師「では氣の毒だが爾して呉れ、あれが潰れねば安心して居られぬ、其の代り友太郎、アレを潰し終るまでおれの所へ來るには及ばぬから」友太郎は心得て退いたが、是より全く此日一日と其の夜一夜を穴埋に掛かつて了つた、埋るのは掘るより容易だ、一日一夜に潰し終つて又翌日の朝、其の事を知らせに梁谷のへやに行き「う少しも、足音などで怪しまれる恐れはありません」と云つた、梁谷法師は徹頭徹尾、友太郎の正直な事を見拔得て「オヽ友太郎、定めし殘念でもあらう、失望でもあらう、けれど悔んで呉れるな、おれは其の代り爾うだお前の恩返しに、何百萬と數の知れぬ寶を半分お前に分けて遣る、其の寶のある所を、直に今茲で教へて遣る」アヽ寶、寶、此法師が發狂して寶の事を云ふことは兼て聞及んで居たが發病の響きで又も元の發狂にかへつたかと、友太郎は一方ひとかたならず驚いた。
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読書ざんまいよせい(079)

南總里見八犬伝 第四 荒芽山の巻
滝澤(曲亭)馬琴・内田魯庵抄訳(004)
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図は、里見八犬伝の内 義僕額蔵(「文化遺産オンライン」サイトから)

一 庚申塚の亂闘

 犬塚犬飼犬田の三犬士が市川から六里の舟路を宮戸川へ遡つて神宮かには河原へ着き、この川中で寶刀を摺換へられた徃時を語り合ひながら行くと、

『大塚の荘官許しやうくわんとこの若檀那!』

 と呼留められた。見ると河原で綱舟貸しを渡世とする矠平やすへいといふ老人で、

荘官許しやうくわんとこでも飛んだ事でござつた。この騷動の最中。ドコへござらしやつた?』

『市川へ五六日遊びに行つて今戻つたところだが、變つた大事でも有つたかい?』

『そんなら何にも知んなさらねエか。變つた事にも何も大變な大騷動が持ち上りやした。まアわしの小屋へござらつしやい!』

 と、それから三人を自分の家へ連れて行き、信乃が旅立ちした翌る晩、蟇六夫婦が陣代簸上宮六ひがみきゆうろく属役軍木ぬるで五倍二に斬殺された事、濱路が左母二郎に誘拐されて圓塚山で殺され、追跡者の破落戸ならずものの三太郎も左母二郎も亦何者かに殺された事、大塚では宮六五倍二が蟇六夫婦を殺して立退たちのかうとしたところへ丁度額藏が歸つて来て、即時に宮六を一刀に斬棄てゝ仇を報じて自訴して出たのを、逃出した卑怯者の五倍二や宮六の弟の社平は鷺を烏と言瞞いいくるめた抗告をして額藏を主殺しとしゐひ、己れらは殺害の最中偶然行合はした側杖の災難だと偽證してマンマと額藏に殺人を塗りつけ、新陣代と腹を合はして忠義の額藏を近々處刑するといふ顛末を逐一物語つた。

 且陣代屋敷は圓塚山の殺傷をも額藏に背負はして餘類が有らうといふ見込で、こゝらあたりまでも捕吏を廻らしてあるから各〻方、別して犬塚氏は用心して大塚近くには立寄り給ふと、矠平やすへいは更に言足いひたして、幸ひ上州に由縁ゆかりの老婆があれば、と遠方ではあるが手紙を附けるから暫らく山家に忍ばれては如何にとねんご慫慂すゝめた。

 信乃を初め三人は他事無き矠平の親切を身にみて深く喜び、追ては好意に縋ることもあらうが、兎も角も大塚の容子を探り旁〻、先祖の墓参もしたいからと、矠平が頻りに危ぶんで留めるを數度あまたたび謝しつゝ暇乞ひして別れた。暫らくは三人とも思ひも掛けない意外の凶變に人事の測るべからざるを痛感し、有餘る愛を胸に湛へて無言であつた、取別けて信乃は平生快からざる間とは云へ肉親の伯母ではあり、濱路は兎角に伯母夫婦に距てられたとは云へ互に心で許し合つた言號いひなづけである、十數年来同じ屋根の下に起臥おきふししたものゝ非業の横死を耳にしてつぶつて聞かざるまねしてはゐられなかつた。伯母夫婦は多年積悪の報つた自業自得で是非もなく、濱路の薄命は不便ふびんの極みであるが前世の宿業として斷念あきらめられない事も無い。たゞ額藏の不慮の災殃わざはひ總角あげまきからの友達ではあり、前世の宿縁ある義兄弟ではあるし、強慾無慈悲の伯父伯母をも一飯の恩を徳として即時に仇を報じてくれた義理もある。義に勇んで暴言汚吏をらしたのが賊名をせられて刑架に上せられようとするを何でふ袖手傍觀しつしゆばうくわんしてゐられよう。

『犬飼氏、犬田氏』と信乃は声を潛めて二人に向ひ、

『それがしは踏ふみとゞまつて額藏をすくはうと思ふ。貴公きこうらは一先づ行徳へ歸り給へ。』

『犬塚氏、足下そこは妙な分け距てをし給ふナ。』とニ人は満然むつとして声を揃へ、

『マダ對面こそしないが、額藏は足下そこの為めにも義兄弟なら我々にも亦義兄弟。足下そこにんの手で拯はずとも我々兩人もちからさう。』と云つた。

 こゝで三人心を合はせて額藏を拯ひ出さうと相談したが、萬事の支度をする為めドコかに足溜あしだまりめねばならなかつた。犬塚は市川を立つ時から歸るツモリは無かつたので、陣代屋敷のお尋ね者となつてるを聞いては猶更大塚へは踏込めなかつた。かねてから目星を附けて置いたは、信乃が生れてからの守本尊まもりほんぞんと仰いだ瀧の川の辨才天のほこらで、先づ寺へ行って住持に會ひ、首尾よく祈願を名として岩窟いはやのほこらの参籠の許諾ゆるしを得たので、こゝを根城ねじろとして三人代る〳〵に――信乃はおもて看識みしられてるから夜陰に――大塚の里に行つては其處此處そここゝで風聞を探つた。正しく矠平やすへいの話の通りで、里人さとびと平生ひごろこゝろよからざる蟇六夫婦の非命を小氣味よく思つてゐるが、五倍ニ社平らの卑劣をも憎んで額藏の不連を氣の毒がつてゐた。が、新陣代の丁田よぼろた町之進まちのしんも宮六に劣らぬ佞奸邪智の小人で、同氣相求める五倍二社平らと心をはしてるから迂闊うつかり額藏を辯護かばひ立てする蔭言かげごとでも耳に入つたら、んだ連累まきぞへ喰はないものでも無いと里人は皆恐れてゐた。傷ましいのは、毎日身の毛の戰立よだつ拷問に掛けられてるさうで、服罪してもしなくても遠からぬうち處刑しおきになるといふ風説であつた。

 愈〻七月二日には磔刑はりつけになると聞込んだのはそれから間もなくで、三士は刑場へ亂入して額藏を救ひ出す用意に掛つた。其の前夜、三人打連れて住持を庫裡に尋ね、愈〻今晩は満願成就であるから明日あすは早朝出發すると暇乞ひして参籠中の食料と布施物を寄進した。其晩はユツクリ熟睡して、朝になると草鞋脚半わらぢきやはんの身軽な扮装いでたちで、豫て準備よういした王子權現へ奉納の弓矢と竹槍を各自めい〳〵脇狭んで白々しら〳〵けに庚申塚の刑場を指して出發した。
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読書ざんまいよせい(078)

◎巌窟王(巖窟王)(上 004)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯

巖窟王 : 三一 例の物音

一椀の肉汁すうぷも幾分か友太郎の身に生氣を附けた、イヤ死んでは成らぬ、死んでは成らぬ、兎に角も壁に響くかすかな物音が誰の仕業しわざであるか其れを見定める迄は此命を保存して置かねばならぬ。

若しや此の物音が、我身の此牢から出られる發端では有るまいかと、此樣に疑ふと何と無く氣が騷いで、疲れた身體からだも動悸が打つ、ア身を大事にして分る時まで氣永く待つてゐねば成らぬ。

此時が夜の九時頃である、再び彼れは寢臺に歸つた、爾して夜の明けるまで、夢だかうつゝだか同じ物音の絶えず聞える樣な氣がした。

夜が明けて見ると物音はんでゐる、昨夜少しばかり胃に食物を入れた爲めか今までに覺えぬ程の餓を感じ、かすかに胃の底に痛みを覺えるけれど、氣持は、昨日より幾分か力が附いた樣でも有る、今若しも此望みが、今までの總ての望みと同じく又消えて了つたなら何うであらう。

其の中に牢番が朝飯を持つて來た、何しろ幾日も絶食した身が急に平生ほど喰べては病氣に成らうも知れぬからと、早自分で用心する氣の出たのは、死を祈つてゐた身の餘り得手勝手であると我身ながら極りも惡い、けれど兎も角も身は大事だ、又も肉汁すうぷだけを飮み、外に三日に一度與へて呉れる魚の肉の、骨の無い所を少しむしつて喰べた、勿論 身體からだに病氣が有ると云ふのでは無く、健康なものを無理に自分で攻め付けてゐたのだから、少し攻め方を弛めさへすれば直に力が囘復するのだ、僅ばかりの食物で、甚く不足は感ずるけれど早氣分だけ殆ど常にかへつた。

爾して又も壁に耳を當て聞いてゐると、朝の十時とも思はれる頃又彼の音が聞え初め中食ちうじきの頃に成つてんだ、けれど午後に又初まつた、何だか最初よりは其の音が荒々しい、其れとも幾分か近く成つた爲に、能く聞えるに至つたのかも知れん。

此翌日に及んで、或は典獄が職人を入れて隣の室をでも修繕してゐるのでは無からうかとの疑ひが起きた、若し爾ならば此身の助かる發端では無くて此土牢の益々堅固になる知らせと同じ事だ、仲々喜んでなどはゐられぬ。

若し是れが囚人の仕業しわざで、牢破りの企てならば、此方こつちから物音を送れば、必ず驚き恐れて止めるで有らう、大工か職人ならば其の樣な事に頓着せぬ、好し、之を先づ試して見やうと思ひ、唯だ一脚充てがはれてある腰掛臺を持つて來て、音が此の邊から聞こゑると思ふ壁の局部を、其の脚で強く叩いた、只一叩きであるけれど、向ふの音はピタと止んだ。

さては確に囚人である、此牢を破つて居るのだ、斯う思ふと無益に驚かせて止めさせたのが遺憾に堪へぬ、今に再び初まるか知らんと、耳を澄して待つてゐると、日が暮れても初まらぬ。

全く誰かに勘附かれたと悟り其の企てを中止したのだ、誠に濟まぬ事をした、何れ程か向ふは失望したであらう、イヤ向ふが中止すれば今度は此方こつちで企てゝ遣らう、向ふが何んでも此方こつちへ向つて掘つて來る所で有つたに違ひ無いから、此方こつちから向ふへ掘つて行けば好いのだらう。

斯うなると少年だけに氣み輕い、直にも着手したい樣に思つて牢の中を見廻したが牢を破る樣な道具の此中に在る筈は無い、爾して而も牢の壁はセメントで固めたもので巖の樣に成つてゐる、思ふは易いが行ふは實に難い。

けれど難い事は今初めて知る譯で無いのだからあらためて驚きはせぬ、見廻す目先に留まつたのは自分が食噐に用ふる皿で有る、之れでも道具に使へるだらうと直に取上げて床の上に落して碎き其のかけらの中で、最も鋭く見えるのを二片ふたひら取つて隱した。

若し陶噐せとものかけら泥阜でいふの要塞が破れたなら其れこそ天下の竒觀であるけれど、彼れ自身は爾は思はぬ、先づ着手は夜に入つてからと待つて居る中に、牢番が夕飯を送つて來たが、噐のこはされて居るのを見て多少機嫌を損じたけれど「噐物をこはすと減食の罰に遭ふぞ」と叱つた儘、皿のかけらは拾ひもせずに立去つて又暫くして外の皿を持つて來た。

かけらを其まゝ殘して呉れる有難さは譬へ樣が無い、食事の後で友太郎は、之を拾ひ集め、へやの隅へ隱して置いて、其上で自分の寢臺を 取退け、晝間は其影に隱れて了ふ所へ先づ傷を附け初めた。

丁度此邊が、向ふから物音の聞えた見當に當るらしい、壁のセメントを、皿のかけらで引掻いて又引掻き、かけらの角が丸くなれば又碎いて角を付けては引掻き夜の二時に及ぶまで魂氣こんき能く續けたが、熱心と云ふはえらいものだ、疲れて寢る頃には粉になつて落ちたセメントが手のひらに滿ちる程で有つた。

翌朝、食事の後に又も寢臺を動かして着手したが、昨夜着けた傷の大きさで計算して見るに、毎日十時間づつ二年の間續けたなら、人間の脱けられる大きさの穴を、凡そ三間位掘り込む事が出來さうだ、今まで幾年經つたのか、壁に附けた筋のこよみも三年ほどで止めたけれどう六年は經つて居やう、入獄の初めから若し遣つて居たなら既に牢の外まで突拔けて居るかも知れぬのにと今更殘念な感じもする。

段々と掘るに從ひ、又割合に潰れ易い所も有り、此日の中に壁に塗込んである石にまで屆いた。石の周圍まはりを掘り減らして、一度に石一個を拔き取る事が出來れば其の跡は一日掘つたよりも大きな穴と爲り、石から石へと意外に進歩が早いかも知れぬ。

掘る事三日に及んで、石一つを外し得たが、無論牢番の來る頃には其の石を元へ差込み寢臺も元の通りにして置くのだ、けれど若し是よりもでかい石に出會でつくはせば、てこで無くとも幾分か長い力の有る鐡噐で無くては可けぬ譯だが、せめては火箸でも好いから手に入らぬか知らんと、只管ひたすら肝膽たんかんを碎きつゝ今度は又 やゝ大きな石を拔き得た。

丁度此時である。數日來 んで居た例の物音が又も壁の向ふから聞えて來た、今度は石を拔いた跡の穴へ首だけ突つ込んで聞くのだから能く聞える、確に壁を引掻いて崩して居るのだ、是れで見ると一度は物音に驚いて止めたけれど、其の後別に危險らしい事が無いので又安心して取掛ッたものと見える。

何の道具で遣つて居るのか兎に角餘程進歩して居ると見え時々槌で叩く樣な音もする、此方こつちの仕事はまる兒戲まゝごとの樣なものだから向ふへ聞える筈が無いが、其れにしても早晩は穴と穴との出會でつくはす時が有らう、之を思ふと自分でも怪しい程氣が勇んで、殆ど疲れると云ふ事を知らぬ。

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読書ざんまいよせい(077)

◎巌窟王(巖窟王)(上 003)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯

巖窟王 : 二一 其顏を此窓から

戸を叩く其人が確に我父野々内に違ひないと蛭峰は感じた。若し之が世間普通の息子で有つて世間普通の場合ならば必ず喜んで戸口まで立つて行き兩手を擴げて迎へ入れる所だらう、所が蛭峰はうでない、我父と感ずると共に全く顏の色を變へた。

尤も彼の氣質としては無理もあるまい、今父は恐ろしい嫌疑を受けて警察から獵立かりたてられて居る人である、うして自分は此樣な父を持つたと世間に知られてさへ出世の妨げとなる場合である、してや只た今、國王から非常な忠勤をめられて、暗に遠からず恩賞に與る如き約束まで得て御前を退いたばかりだもの、若しも我父の樣な國王の朝廷を轉覆しやうといふ黨派の巨魁が、我が宿を尋ねて來たと分つては、我が後に何れほどの損害となるかも分らぬ。

けれど戸を叩く人の方は少しも此樣な頓着はない 父「何時まで父を戸の外に待たせて置くのだ」となかば笑談ぜうだんの樣にいひつゝ自分で戸を推して入つて來た、如何にも警視長官が先刻國王に上奏した通りの人相である、顏中髭と云ひ度いが、實は髭髯ひげの中から目と鼻ばかり出して居るのだ、爾うして外套から杖に至るまで諜者てふじやが認めたといふ時の儘である、蛭峰は身震ひせぬ譯に行かぬ。

野々内は笑つた 父「オヽ今に初めぬ其方そなたの孝行には感心した」蛭峰は返辭もせぬうち給使に向ひ 蛭「う好いから、呼鈴よびりんを鳴らすまで彼方あつちへ行つて居よ」と命じた、成程亂暴な父の言葉を他人に聞かれるのは辛いだらう、爾うして自分で立つて給使を送り出す樣に廊下の所まで行き、給使が全く階段を下り去るさまを見屆け、其上で内から錠を卸して、初めて父の前に戻り蛭「阿父おとうさん何か御用事ですか」と問ふた、仲々堅固な用心である。

父「ホゝ、爾うまで用心せずとも、ナニ父は聞く事さへ聞けば直に歸るのだよ」と云ひつゝ席に着いたが、其容子の何となく大膽で且つ鷹揚な所は流石に一黨の名士である、過激かは知らぬけれど、兎に角物に動ぜぬ大人物の風采が見える、之を目から鼻へ拔ける樣な蛭峰に比べて見ると先獅子と狐程の相違と云つて好い、何うして此樣な子が出來たゞらう。

蛭峰「聞く事は何ですか」父「ナニ馬港まるせーゆへ着いた商船の消息だよ、若し其方が彼地かのちを出發する前に、巴丸といふ船が入港した樣には聞かなんだか」聞いたも聞いたも生涯忘れぬ程に聞いて居るのだ、蛭峰「分りました、阿父おとうさんは其船の船長呉氏といふ人が、エルバ島から密書でも持て來はせぬかと心待に待つて居るのでせう」父「爾うよ、待兼たから聞きに來たのだ」蛭峰「可けません、阿父おとうさんはう其樣な陰謀はおしなさい、何うしても露見せずには濟みませんから」父「露見すれば何が惡い」蛭「貴方の身が危險です、實は阿父おとうさん其の呉船長は船中で病死して、死際に自分の手下へ其密書を托しました、所が其手下が上陸するが否や拘引せられ、私の調べを受て、密書を私へ渡しました、其れを私が燒捨てたのです、貴方を助け度い爲に」自分を助け度い爲にとはいはぬ、父「フム其親切は有難い樣なものだが、其方のする事は何うもおれには合點が行かぬ、けれど燒いたものなら今更仕方がない、成るほど、爾して其方は、其事を上官へ旨く上申する爲に上京すたのだな」蛭「ハイ、少しも貴方の名を出さずに、横領者の歸國だけを陛下の耳に入れねばならぬと思ひ、急いで上京したのです」

野々内は驚きも喜びもせぬ、只相變らず泰然自若と構へた儘で父「其方の仕さうな事だ、シタガ國王は其方から知らされて初めて皇帝の上陸を知つたのか」蛭峰「爾です」父「其樣な迂闊な事で國民に對し政治の責任が盡せると思ふかなア、警視廳へは年百五十萬圓の機密費を使はせてさ、早く我黨の世にならねば蒼生さうせいの不幸此上なしだ」蛭「其樣に仰有おつしやるけれど國王の警察は貴方の思ふよりも機敏ですよ、既に毛脛けすね中將の暗殺された事件なども餘ほど詳しく探つて居ます」と、父の荒肝あらぎもを奪ふ積りで口を切つた。

けれど爾ほどには驚かぬ 父「何だ毛脛けすね中將の暗殺、ナニ彼れは暗殺ではなく自殺だらう、セイヌ河に死骸が浮いて居たといふぢやないか、おれは聞いたけれど身を投げた事かと思つて居た」蛭「アノ氣の確な將軍が何で身投げなどをするものですか、殺された上で投込まれたと誰も鑑定して居るのです、其れのみか中將が其前夜に、サンヂャック街の或家で開いた拿翁なぽれおん黨の祕密會合へ招かれて出席した事も警察は知つて居ます、其れ切り宅へ歸らなかつた相ですから、後は誰にでも推量することが出來ます」

父「爾かなア、彼の祕密會の事まで分つて居ては、なるほど、幾等愚な警察でも推量が屆くだらう、けれど暗殺ではないのでよ、實はおれも其の席に列したが、中將は吾々の魂膽から今度の計畫まで默つて聞いて了つた上で、愈々いよ〳〵一同の血判と爲つた時、おれは王黨で、拿翁なぽれおん黨ではない、決して血判には加えはらぬと斷言した、勿論會員の立腹は一方ひとかたでなく、直ぐに其場で中將を刺殺すと云つたけれど、中將を其會へ誘ふて來た會長が — 」蛭峰は驚いて父の言葉の終るのを待つて居られぬ 蛭「エ阿父おとうさん、中將を其會へ招いた人が其祕密黨の長ですか」野々内は少し笑つて、父「爾と見える、ア聞け、其會長が會員一同を推宥そいなだめ、中將をして、生涯今夜の事を他言せぬといふ堅い神聖な誓ひを立てさせ、爾して無事に歸して了つた、是までの事はおれが能く知つて居る、其の歸り路で死んだのだからおれは自分で河へ落ちたのだらうと思つて居た」蛭峰「其樣な事情なら愈々いよ〳〵以て暗殺です、黨員が待伏して居て殺したのです」父「しや爾とした所で、暗殺などゝ其樣な聞苦しい言葉を加へて呉れるな、政治の上には決して暗殺といふ事はないよ、唯妨害物を取除くに止まるのだ、譬へば其の方がおれの黨の者を捕へ之を死刑に處したとておれの方では蛭峰が我黨の者を暗殺したとは決していはぬ、若中將が我黨に殺されたなら其は必ず我黨の法律に從ひ我黨の裁判を受て死刑を行はれたのだらう、ア道理は爾ではないか」

祕密の黨派が、黨の法律とか裁判とかいふのは蛭峰に取つては非常な耳障りである、けれど其處は父子おやこといふ間柄だけに深く爭ひはせぬ蛭「シタが阿父おとうさん、警察では既に其の中將を案内した人の人相まで詳しく知つて居ますよ」是には野々内も幾分か驚かぬ譯には行かぬ、父「何だ其の案内した人の人相を、ドレ何の樣な人相だと其の方は聞いた」蛭峰は父の顏をジツと見詰て蛭「ハイ私の聞きまんしたには、頬髯が黒くて澤山あつて」野々内は自分の頬髯を撫つつ、父「フム、頬髯が黒くて澤山あつて、其れから」蛭「其れから背が高くて」父「背が高くて」蛭「紺色の外套を襟まで〆めて」父は又自分の色紺[紺色の誤りか?]の外套を見廻しつゝ、父「感心に知つて居る、其れなら早く捕まへ相なものではないか」蛭「う遠からず捕まへませう、昨日既に其の人をヘロン街の入口までけて行つて見失ひ、今日も充分手配りが行渡つて居ると云ひますから」

父「では今も網を張つて居るかも知れん」と野々内は云ひ乍ら、と窓の所へ行き、外の樣子を窺つて見やうとした、蛭峰は背後うしろから飛び附く樣にして引戻した、其の顏を此 へやの窓から出されてたまるものか、けれど野々内は早外の容子を見て取つた父「成程 其方そちの云ふ通りだ、向ふの角に三人ほど此家の入口を見張つて居るわい、其の中の一人は確に去年 おれの兄弟分を捕縛に來た捕吏だよ」蛭峰は全く顏色を失ふた、蛭「エ、捕吏が此家の入口を見張つて居ますか」若し父野々内が 此室へやで捕縛されては、父の捕縛される事は構はぬけれど自分の身が大變である、蛭「阿父おとうさん貴方は息子の身を亡ぼすのですか」と恨めしく打叫んだ、野々内は猶ほ顏中の髯の動きに微笑を浮べて 父「驚くな、驚くな、王黨の警吏に捕縛されるほど未だ此父は耄碌は仕て居ないから」
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読書ざんまいよせい(076)

◎巌窟王(巖窟王)(上 002)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯

巖窟王 : 一一 宛名は誰れ

呼出された友太郎の入つて來る迄に、蛭峰檢事補は自分の事を考へた、イヤ考へるともなく自分の身の上が胸に浮んだ。

尤も胸に浮ばずには居られぬ際である、米良田めらだ家といふ樣な勢力ある貴族の婿になれば追々出世の道も開けるに極つて居る、其れに妻たるべき姫君禮子は顏も心も美しい上に六萬圓の婚資を持つて居る、六萬圓といへば檢事補の月給の幾十年分にも當るだらう。

此樣なことまで急がしく腹の中で計算するは嬉しさの滿々て居る爲である、婚資の外に、禮子の父が死ねば、其財産が廿萬圓、之も禮子の物になる、母が死んでも凡そ其れに近い財産が矢張り禮子に轉がり込む、禮子の物は我物である、唯一つ氣に掛るのは自分の父の野々内が今以て革命家か謀反人かの樣に世間から疑はれて、其れがやゝもすれば自分の出世の邪魔になる一事である、此の一事を除けば自分の前途は晴々と晴れて居る。

此樣な考へが未だ充分には了らぬ所へ友太郎が這入つて來た、蛭峰はあわてゝ自分の顏から嬉しさの色を取退け、職務相當の眞面目な面持を現はした。

友太郎を連れて來た捕吏の長は先づ蛭峰の傍に來て小聲で以て捕縛の次第を報告し、さうして蛭峰から、其掛引の宜しきを得た事を賞讚せられて立去つた、後には蛭峰と團友太郎と唯二人の差向ひである。

蛭峰は先づ友太郎の顏を見るに全くの美少年で、少年の正直と、少年の熱心とがおもてに現はれて居る、仲々恐ろしい國事犯とは思はれぬ、其れに先刻禮子から云はれた優しい慈悲深い言葉も耳の底にだ殘つて居るから、此人の今までに殆ど例のないほど柔和な聲を出して「貴方が團友太郎ですか」

友「ハイ」蛭「年は」友「十九歳」蛭「何の樣な所から拘引されました」友太郎はいさゝか力を込めて「オヽ私は、婚禮の席から拘引せられたのです、三年まへから許婚に成つて居る女と、今日 愈々いよ〳〵婚禮することになり、式場へ臨む前に、知人しりびとを饗應して居ますと其席へ捕吏が踏込んで參りました」何と自分の境遇に能く似た事ではあると蛭峰は又 いさゝか同情を深くした。

同情は好いけれど只此同情が何時まで續くかゞ疑問である、蛭「其れから、サアもつと言葉を續けなさい」友「此外に何も續けていふ事がありません、お聞下されば何事でも」尤も千萬な答へではあるが、何の意見も何の罪もないのに捕へられたのだから言立てることは一つもないのだ。蛭「貴方は横領者に使はれた事はありますか」

横領者とは拿翁なぽれおんの事である、王の位を横領したと云ふ所で王權黨は皆斯ういふのだ、友太郎が若し拿翁なぽれおん黨の者なら此言葉に幾分不快を感ずる所だけれど、彼れは何とも感ぜぬ「ハイ水兵になる願書を出したことはあります」蛭「貴方の政治上の意見は」友太郎は呆れた顏で「何で私に政治上の意見などがありませう、年が若くて未だ政治のことなど少しも分りません」蛭「政治上でなくとも、平生何か意見を持つて居ませう」友太郎は少し考へ「ハイ、父を大切に思ひます、雇主森江氏を敬ひます、さうそて許婚のお露を可愛いと思ひます、是れが若し意見ならば、平生の意見は唯だ是丈これだけです」

殆ど婀娜あどけない程の返事である、蛭峰は益々感心して決して此男は罪人で無いと思ひ、此樣なのは放免する方が却つて上長に贊成せられて自然自分の出世の端にもなり禮子にも喜ばれると思つた、おほやけには長官のお襃めを得、わたしには美人に嬉しい顏をされるは決して蛭峰の喜ばぬ所ではない、蛭「貴方は誰かに怨まれてゞも居るのですか」友「少しも怨まれる心當りは有りません」蛭「しか廿歳はたち未滿で船長にも成るといふのは異數の出世ですから、怨まぬ迄も羨む人はあるに違ひない、常に能く其邊氣を注けて居ねば何の樣な害に逢ふかも知れません」

尋問ではない寧ろ相談が忠告の樣である。

友「ハイ氣を注けましても、別に私を怨む人は決してないと思ひます」蛭峰は全く友太郎の清淨な事を信じた。「フム、貴方は全く正直な少年らしい、私も極寛大に、常の規則からは外れますけれど、ソレ是れを見せて上げます、此手紙を誰が書いたか心當りはありませんか」斯う云つて差出したのは彼の段倉が左の手でしたゝめた例の密告状である、友太郎は受取つて讀んだけれど、勿論わざと筆蹟を變へて書いて有るのだから心當りのある筈がない、友「誰が書いたか少しも分りません」蛭「しかし此手紙に書いてある事柄は事實ですか」友太郎はいさゝか眉根をひそめつつ「ハイ何うして此樣なことを知つた人がありますか、全く、餘ほど事實に近いのです」何たる有體ありていな返事だらう。蛭「では事實を有の儘に言つて御覽なさい」友太郎は森江氏に語つた通り、船長呉氏の死際に拿翁なぽれおんの居るエルバの島へ立寄つて、是をベルトラン將軍に渡せと小包を托せられた事を語り、「船長の言葉は總て命令と聞かねばなりませんから、私は其通りに致しました、さうしてエルバの島へ上陸し將軍に面會を求めますと容易に許される容子はなかツたのですが、若し面會が六かしい時は是を示せとて、一個ひとつの指環を渡されて居ましたから、其れを出して示しますと直に一室ひとまへ通されました」とて、面會の一部始終を述べ、最後に至り森江氏にさへ明かに言はなかつた祕密まで話し「船長の言葉には此小包さへ渡せば多分將軍から巴里へ送る手紙を托されるで有らうから、直に其手紙を持つて巴里へ行き、直々に宛名の人へ手渡しせよ、決して何人にも見せ、又は聞かせてならぬと言はれました、果して其言葉通り、面會の終る時に將軍から手紙を托されました故私は今日こんにち婚禮が濟めば明日直に其手紙を以て巴里へ立つ積でした、イヤ今も其積りです」

蛭峰は呟いた「アヽ貴方は無意識に國事犯の道具に使はれ掛けたのです、勿論貴方には罪はないのです、直に放免の手續きを運んで上げます」もとより直に放免せられるものとは期して居たけれど友太郎は眞實に感謝した「貴方の御親切はきもに銘じます」蛭「將軍の渡した其手紙といふは巴里の黨員と何事をか打合すものだらう、其手紙を私へお渡しなさい」友「う捕吏に取上げられました、其の貴方の卓子てーぶるの上に在るのが其の手紙です」蛭「オヤさうですか、巴里の誰れあに當たものか知らん」と蛭峰は呟いて卓子てーぶるから其手紙を取上て上封の宛名を見た。

若し雷が頭上に落ちても蛭峰は斯う迄は驚かぬであらう、彼は宛名を見て全く震へ上つた、何うだらう「ヘロン街十三番地にて野々内殿」とある、野々内とは自分の父なのだ。
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人生は台詞、全てこの世は舞台(005)

◎ イプセン 原千代海訳「ヘッダ・ガーブレル」

 劇作家だった宮本研氏(1926-1988)は、概ね次のようなことを言っている。
「芝居の幕は、いわば舞台装置(主に室内)の「第四の幕」である。特にイプセン以降の近代リアリズム演劇において成立した。いわば、「のぞき見」できる芸術である、そこには、おのずから前提ができあがる。観客は、のぞき見していることがばれないように、客席を暗くして、俳優ものぞき見られないが如く、独白など観客との接点を断つ。こうした約束事が近代劇にはあるのだ。」
 この芝居も、定石とおりに、書き割り内部の長い描写から始まる。
 ヒロインのヘッダ・ガーブレルは、一言で言えば、実に嫌な女性である。ヘッダとその夫と、その学問上および大学の地位を巡ってのライバル、かってはヘッダとまんざらでもなかった男性の三人を巡って劇は展開してゆく。ライバルが泥酔のあげく、夫を凌ぐほどの著書の原稿を紛失してしまう。その原稿を手に入れたヘッダは、ライバルの想い人への嫉妬からか、暖炉で原稿を償却してしまう。失意のあまり、ライバルは自殺してしまうが、使った拳銃は、ヘッダの所有物だった。それを知悉する判事は、ヘッダに脅迫まがいに言い寄ってゆく。万事休すのヘッダが取った行動は?
 先に「嫌な女性」と記したが、尊敬する父親も含めて、夫、そのライバル、判事など、世間の男性の俗物性の「生贄」とされたのだろう。
 チェーホフの「かもめ」のテーマとも重なるような気がふとした。
 セリフの引用は、第三幕の最後、ヘッダが、原稿を焼くシーン。

ヘッダ  あっ、ちょっと、形見の品を持っていっていただかなくちゃ!

ヘッダは書き物机へ行き、引き出しを開けて,ビストルのケ—スを取り出す。それから、このうちの一丁を手に、レェ—ヴボルクのほうへ戻ってくる。

レェ—ヴボルク  (ヘッダを見て)それは!そいつを持っていけ、っていうんですか?
ヘッダ  (ゆっくりうなずいて)覚えていらっしゃるでしょう? 一度はあなたを狙ったことがあるのよ。
レェ—ヴボルク あのとき、いっそ、やってくれたらよかったんだ。
ヘッダ  はい !今度は、自分て使うのね。
レェーヴボルク (胸のポケットにビストルを突っ込み)ありがとう!
ヘッダ 立派によ、エイレルト・レェ—ヴ・ボルク! 約束してちょうだい!
レェーヴボルク じゃ、さようなら、ヘッダ・ガ—ブレル。

工イレルト、ホールのドアから去る。
ヘッダはし,はらくの間、ドアのところで耳をすます。それから、書き物机のほうへ行き、原稿の包みを取り出す。包みの中をちょっとのぞき、はみ出している紙片を二、三引き出して、それに見入る。それから、包みを全部かかえ、ストーブのそばの肱掛け椅子に行き、腰をおろす。しばらくして、スト—ブのロを開け、包みを開く。

ヘッダ (一折りの原稿を火に投げ込み、自分に言い聞かせるように、ささやく)さあ、あんたの子供を焼いてやる、テア!あんたの縮れっ毛も一緒にね!(さらに二、三帖の原稿を投げ込み)あんたの子供で、エイレルトの子供をね。(残りを投げ込み)焼いてやる、――焼いてやる、あんたの子供を。

南総里見八犬伝(018)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十七回
東都 曲亭主人 編次
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「思ひくまの人はなか〳〵なきものをあはれに犬のぬしをしりぬる」「犬塚しの」「龜笹」「はま路」

妬忌ときたくましうして蟇六螟蛉ひきろくひとのこをやしなふ
孝心こうしんかたうして信乃曝布しのたきはらひ

 卻說犬塚番作かくていぬつかばんさくは、年來としごろの志願稍遂やゝとげて、男子既をのこゞすで出生しゆつせうし、母も子もいとすくよかに、產室撤うぶやおさむるころにぞなりぬ。「さてちごの名をなにとかよばん」、と女房手束にようばうたつかかたらへば、手束はしばら沈吟うちあんじ、「よに子育こそだてのなきものは、男兒をのこゞなればとし、の子には男名をとこなつけて、やしなひたつればつゝがなしとて、如此しかする人もまれにははべり。我夫婦わがふうふさちなくて、男兒三人擧をのこゞみたりまうけしかど、みな殤子みづこにてなくなりたるに、このたびも又男兒をのこゞなれば、一しほ心よはくなりて、想像おもひやりのみせられはべり。この子が十五にならんころまで、女子をなごにしてはぐゝまば、つゝがあらじと思ひ侍り。その心してなつけ給へ」、といへば番作うちほゝみ、「死生めいあり、名のとがならんや。ものいみ多き僻事ひがこと、いとうけがたき筋なれども、おん身が心やりにもならば、に從ふもわろきにあらず。古語に長きをしのといふ。和名妙わめうせう長竿ちやうかんを、しのめとよませし、則是すなはちこれなり。今も穗の長きすゝきを、しのすゝきといふぞかし。しげきすゝきとするは非ならん。わが子の命長かれ、とことほぎのこゝろもて、その名を信乃しのよぶべき。昔われ美濃路みのぢにて、不思議におん身と名吿なのりあひ、信濃路しなのぢにして夫婦となりぬ。しのとしなのとその聲近し。越鳥ゑつちやう南枝なんしすくひ、胡馬こば北風ほくふういばふといへり。たれかそのはじめを忘れん。わが子もし發迹なりいでて、受領じゆれふする事さへあらば、信濃の守護しゆごにもなれかし、と亦祝またことほぎのこゝろにかなへり。この名は甚麼いかに」、とまめたちて、とへ手束たつかきゝあへず、「そはいとめでたき名にはべり。富人とむひと五十日百日いかもゝか、と產室うぶややしなひのよろこびに、さけもり遊ぶ日も多かり。せめてこの子が名ひらきに、かまどの神に神酒獻みきたてまつり、手習子てらこ綿わた弟子をしえこに、ものくはせ給はずや」、といふに番作うち點頭うなづき、「われもかくこそ思ふなれ。とく〳〵」といそがせば、手束はちか媼等うばらやとひて、赤小豆飯あづきいひ芝雜魚しばざこしるなますといそがしく、目つらをつかみ料理して、里の總角等あげまきら召聚會よびつどへもりならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳にくわうぜんはしとりあぐる髻鬟等うなゐらが、顏は隱るゝ親碗おやわんに、子の久後ゆくすゑことぶきの饗應もてなしにみなあきたりて、ひざにこぼれし粒飯つぶいひを、ひらひもあへず、身を起し、よろこびをのべかへるもあり、人より先に草屨わらくつを、穿はか穿はかせじ、とかしましく、𥉉あはて〚目+條〛てかへるも多かりけり。
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南総里見八犬伝(017)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十六回
東都 曲亭主人 編次
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山院さんいん宿しゆくして番作ばんさく手束たつかうたがふ」「菴主蚊牛」「たつか」「大塚番作」

白刃はくじんもと鸞鳳良緣らんほうりやうえんむす
天女てんによやしろ夫妻一子ふさいいつしいの

 卻說大塚番作かくておほつかばんさくは、淺痍あさでなれども一晝夜いちちうやあまたみちを來にければ、疲勞つかれとともにそのきず痛みて、通宵よもすがらいもねられず、まくらにかよふ松の聲、溪澗たにかはの音さわがしく、ぬるとはなしに目睡まどろみけん、紙門隔ふすまこしにうちかたらふ、聲するに驚覺おどろきさめ、枕をそばたて熟聽つら〳〵きけば、およつけたる男の聲也。「されば菴主あんしゆはかへりけん。渠何事かれなにことをいふにかあらん」、と耳をすまして聞く程に、忽地女子たちまちをなこ泣聲なきこゑして、「そはきゝわきなし、むじんなり。衆生濟度しゆぜうさいどは佛のをしえ、よしそれまでにおよばずとも、心をけが破戒はかいの罪、法ころもはぢやいばもて、ころさんとはなさけなし」、といふはまさしく宿貸やどかして、われをとゞめし女をなこなり。「原來菴主さてはあんしゆは破戒の惡僧あくそうかはよ少女をとめを妻にして、彼奴かやつゑば旅人りよじんをとゞめ、ひそかに殺して物をとる、山賊さんぞくきわまれり。たま〳〵君父くんふうらみかへし、恥をきよめ、危難をのがれて、こゝまで來つるに阿容々々おめ〳〵と、われ山賊の手にしなんや。さきにすれば人をせいす。こなたよりうついでみなころしにすべけれ」、と思ひさだめてちつとさわがず、ひそかおきて帶引締ひきしめ、刀を腰に、かゝぐりかゝぐり、紙門ふすまのほとりへしのびよりて、開闔たてつけ間準ひずみより、ことやう闕窺かいまみるに、その年四十あまりの惡僧、手に一挺いつてう菜刀なかたなをふりあげて、女子をなこむかひておどしつすかしつ、いふことさだかに聞えね共、われをうたんず面魂つらたましひ女子をなこはこれをとゞめあへず、かみふりみだしてよゝとなく。害心既に顯然げんぜんたる、爲體ていたらくに番作は、いさゝかも疑はず、紙門ふすまちやうひらきて、庖湢くりやのかたへ跳出おどりいで、「山賊われを殺さん。われまづなんぢを殺すべし」、とのゝしりあへずとびかゝれば、惡僧おはきにうち驚き、もつたるやいばひらめかして、きらんとするこぶしの下を、くゞぬけつゝ足をとばして、腰眼ゐのめのあたりをはたる。蹴られて前へひよろ〳〵と、五六步いつあしむあし走りいだして、やうやくに踏駐ふみとゞまり、ふりかへつてつきかくるを、右へ流し、左へ、すべらし、數回あまたゝびかけ、なやまして、疲勞つかるゝ處をつけ入りて、つひやいはをうち落せば、惡僧いよ〳〵こゝろあはてて、にげんとすれば、番作は、莱刀なかたな手ばやくとりあげて、「賊僧天罰思ひしれ」、とのゝしる聲ともろともに、あびせかけたる刃の電光いなつま脊條せすぢをふかくつんざいたり。灸所きうしよ痛痍いたでに、霎時しばし得堪えたへず、惡僧は「あつ」と叫びて、たふるゝ胸膈むなさき、とゞめの刀尖きつさきさしつらぬきて引拔ひきぬく莱刀、血をふりたらして、刃をぬぐひ、𥉉あはて〚目+條〛まどひにげも得ず、伏沈ふししづみたる女子をなこむかひて、まなこいからし聲をふりたて、「なんぢ甲夜よひいひめぐみて、一碗いちわんの恩あるに似たり。又賊僧がかへり來て、われを殺さんとするをとゞめし、こは側隱そくいんの心なれども、この賊僧が妻となりて、これまでいくその人を殺せし、これまたしるべからず。さればのがれぬ天のせめすみやか首伏はくでうして、やいばうけよ。いかにぞや」、ととはれてはつかかうべあげ、「その疑ひは情由わけしらぬ、おん身が心のまよひにこそ。わらははもとよりるものならず」、といはせもあへず冷笑あざわらひ、「淺くもことを左右によせて、時を移して小賊等こぬすびとらが、かへるをまちてをとこのために、うらみかへさんと思ふなんぢ胸中きやうちう、われかばかりの倆伎たくみのらんや。つげずはこれもていはせん」、と打晃うちひらめか菜刀なかたなの光と共にとび退しりぞき、「やよまち給へ、いふことあり」、といへ共ゆるさいかり刀尖きつさき何處いづこまでもと夤緣つけまはす、刃頭はさきたてもなよ竹の、雪にをれなん風情ふぜいにて、右手めてのばし、左手ゆんでつき片膝立かたひざたてて身をらし、うしろざまに迯遶にげめぐるを、番作はなほのがさじ、とうてばひらき、拂へば沈み、たゝんとすればいだゞきの上にひらめく氷のやいばのがれかた手をふところへ、さし入るゝひまもなく、きら*んと進む目前まなさきへ、とりいだす一通つきつけて、「これ見て疑ひはらし給へ。きゝわきなや」、と兩の手に、引延ひきのばしたる命毛いのちげの、ふでに示せしその身の素姓すせう、番作とくすかし見て、思はず刃をとり直し、「こゝろ得かたき書狀しよでう名印ないん梵妻賊婦ぼんさいぞくふ艷書欤ゑんじよか、と思ふには似ず勇士の遺書かきおき。やうこそあらめ、その情由わけ語れ」、と身をひらかし、刃を席薦たゝみ突立つきたてて、膝折敷ひざをりしき目守まもりてをり。
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南総里見八犬伝(016)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十五回
東都 曲亭主人 編次
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うらみむくひて番作ばんさく君父くんふ首級くびをかくす」「大塚番作」「にしごり頓二」「牡蛎崎小二郎」

金蓮寺きんれんじ番作讐ばんさくあた
拈華庵ねんげあん手束客たつかたびゝととゞ

前卷既に說訖ときをはる、伏姬富山ふせひめとやまりにしころは、十六さいのときにして、長祿元年ちやうろくぐわんねんの秋なるべし。又金碗入道かなまりにうどうヽ大坊ちゆだいぼうは、嘉吉元年かきつぐわんねんの秋、父孝吉ちゝたかよしが自殺せしとき、既に五歲になりければ、長祿二年富山にて、伏姬自殺のうれひかゝり、にはか出家入道しゆつけにうどうして、雲水うんすいまかしつゝ、斗藪行脚とそうあんぎや首途かどいでせし、このとき廿二歲になりぬ。伏姬は年はつかに、十七にて身まかりたまへば、ヽ大坊はかの姬より、その年才とし五ッの兄なりけり。かくて長祿は三年にして、寬正くわんせうにあらたまり、又六年にして、文正ぶんせうと改元せらる。さはれ元年のみにして、又應仁おふにんと改めらる。これもはづかに二年にして、文明ぶんめいと改元ありけり。應仁の內亂治りて、戎馬じうばひつめあとはらひ、名のみなりけるはなみやこは、もと春邊はるべたちかへり、稍長閑やゝのどやかになりぬるも、このころの事なれば、(文明五年春三月、宗全病そうぜんやみみまかり。五月に至りて勝元も亦病またやみみまかりにき。こゝにおいてそのの合戰、征せずしてやみにけり。これを應仁の兵亂ひやうらんといふ)この年號のみ長久とこしなへに、十八年まで續きけり。こゝに年序ねんじよかゞなふれば、伏姬の事ありて、ヽ大が行脚あんぎや啓行かしまたちせし、前卷長祿二年より、今文明の季年すゑいたりて、無慮すべて二十餘年に及べり。このあはひ犬塚信乃いめづかしのが、未生みせう已前いぜんの事をのぶ。この卷亦復またまた嘉吉におこりて、文明のころに至れり。

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