日本人と漢詩(112)

◎三上於菟吉とチェーホフと李群玉

 またもや、脱線!三上於菟吉は、「雪之丞変化」が代表作の大正から昭和にかけての大衆小説作家。彼に、こんな「チェーホフ論」があったのは、意外である。その中で、一首、晩唐・李群玉の詩を引く。

水蝶嚴峰倶不知 水蝶《すいちょう》 厳峰《げんぽう》 倶《とも》に知らず
露紅凝艷散千枝 露紅《ろこう》 艶《つや》を凝《こら》し 千枝《せんし》に散ず
山深春晚無人賞 山深く春晩《しゅんばん》人 賞《め》ずるなし
卽是杜鵑催落時 即ち是れ 杜鵑《とけん》催落《さいらく》の時

 水面をとぶ蝶々と険しい山は互いに気づいていない。露のような赤い花は艶っぽく美しく、千の枝に散りばめられている。山奥の春の美しさを理解する者は誰もいない。ホトトギスでさえ、それを終わらせるよう促しさえずっている。

くらいの意味か?起句の、「水蝶嚴峰倶不知」が、なんとも言えずよい。

 比較的マイナーな詩人を引用するところから、三上於菟吉は結構な素養があったのだろう。険しい山を平原の向こうに見える丘陵に変え、鳥の種類を違ったものにするという条件つきで、チェーホフの小説に出てきそうなシチュエーションではある。
 「小論」全体も、チェーホフの深読みになっており、昨今の評論家を抜きん出てなかなか秀逸である。たとえば、当方の好きな小説「いいなずけ」を論じて、

彼女の智慧を啓くものが首都の大学に、彼女を待つことを囁やく。生活の暁に立つて未知に戦のくナーヂヤは、智慧にあこがれて、病青年の啓示のままに許婚者を捨てて――一切の田舎町の平和と愛を、古いしつとりとした邸宅や、教会堂や、祖母や、母親をも捨てて大都会の渦の中へ飛び込むために家出をする。やがて病める者は死に、彼女の智慧は大学でも、さう急には啓いてくれないのがわかる。けれどもチエホフは、それを青年やうら若い処女の軽はずみとして責めはしない。チエホフは彼女の未来を見捨てない。これが若し他の作家でもあれば、青春者の「都会病」や「智識熱」の方を責めて、彼等に捨て去られるために荒廃する田舎町や、田舎人の生活を歎くだらう。さうした感傷性に堕ちないところにチエホフの面目がある。

が一例だろう。

 ライセンス的には、フリーなので、その全文を掲げる。

三上於菟吉・チエホフ小論

自叙伝――気禀の高かさ――アンドレーフとの比較――ゾラのナチユラリズム挽歌――真人――ビヨルネや及びドストエフスキーの憎悪心――チエホフの強さ――彼のニイチエ観――未来への信仰――トルストイの堂々ぶりと彼――インテリゲンチヤの克服――智慧――憎みは愛に死は生に――真理への先導――基督者チエホフ――チエホフの世界征服

 私の手許にあるチヤツトオ・ウインダス版「チエホフ書簡集」は千八百九拾余通といふ豊富な量をおさめてゐる露西亜原本から、百六十余通を摘訳したものに過ぎないが、しかし英訳者コンスタンズ・ガーネツトの巧妙な按排は分量の貧しさを優に補つて、チエホフ研究者のために少なからぬ便宜を与へてゐる。その書簡編の二九五頁、チホノフ氏に寄せた一節にかうある。
 ――僕はタガンログに一八六〇年に生れた。一八七九乍タガンログ高等学校を卒へ、一八八四年モスクワ大学医科を得業した。プウシユキン賞を受けたのは一八八八年だつた。一八九〇年に樺太へ旅行した。往きはシベリヤ通過、帰りは海路。一八九一年ヨーロツパ巡歴を試みて素ばらしい葡萄酒を飲み蠣を食つた。一八九二年にはV・A・チホノフの名付日の集りで鯨飲した。(これはこの書簡がチホノフ家の集りのすぐあとで、チホノフその人に宛てたものなので、チエホフ一流の気軽なユーモアを弄したのだ)――物を書きはじめたのは一八七九年、作品の集は「いろいろな話」「暮明の中に」「物語集」「気六かしき人々」それから長篇「決闘」だ。僕は又穏当なやり口でではあるが戯曲方面へも罪を作つた。独逸語には随分以前翻訳されたけれども、西欧には幾分除外例もある。チエツクやセルビアも亦僕を閑却せなんだ。フランスも無頓着ではない。恋の不可思議さをば十三歳で会得した。学校でも、医者どもの中でも、文学者の中でもみんなと親密につき合つた。僕は独身ものだ。(まだ此の時は有名なクニツペル夫人と結婚してはゐなかつた。――於菟吉)僕は恩給がほしい。僕は医業に自ら当つた。夏分にはときどき死体解剖もしたが此の二三年はしない。文学者ではトルストイ、医者ではザハアリンが好きだ。だが、みんなノンセンスだ。君のいいやうに書いて置いてくれ給へ。抒情詩的に事実を捏ち上げない限りは。――

 一八九二年二月廿二日モスクワで書かれたこの書簡の一節は、何といふ明るさと、正直さで彼自身の過去を語つてゐることだらう。この明るさと正直さとこそは、チエホフの最大特徴で、そして同時に彼を他の多くの文学者から隔絶させ、何の見せかけや、気取りや、声高くひびくひろめ屋の喇叭をも用ひずに、しかも小さいぺン先から流れた文字で、世界億兆に彼の魂を伝へた原動力だ。世にいくばくの良いもの、すぐれたもの、すばらしいものがあらうとも、最も良い、最もすぐれた、最もすばらしいものは「純」だ。みがきのかゝつた「素直さ」だ。智慧のプリズムを通した温い「明るさ」だ。これを同時代の作家アンドレーフ氏に比較して見給へ。同じ短かい自伝を書くにしても、アンドレーフはいつもの業々しい気取方や、見せかけや、ひろめ屋の喇叭を忘れはせぬ。(十数年前早稲田文学に昇曙夢氏が訳された「露西亜文学者自伝」を思ひ出されたし)こんな傾向の作家が常用する――大作家すらも折々慣用する思念、表現両方面のコケ嚇的手段は、なる程一時公衆を驚倒させ、魅惑させるに充分だ。彼等をして静かで、素直で、愛しはするが媚びはせぬ作家を忘れさせるに充分だ。けれども公衆が酣酔と、眩惑とから恢復した時、それは二日酔の青年が、ゆふべの悪酒の盃を思ひ出した刹那に感じるやうないまはしい後味を覚えさせるに過ぎぬ――此の場合もしいつまでも悪い陶酔が忘れられずに、もつともつと囚はれたがり、溺れたがつてゐるものがあるとすれば、それは救はれないヂレツタンチズムに堕した、憐れむべく古めかしい世紀末児の亜流に過ぎないと言はれても仕方がない、だが、正しい鑑賞力の持主たちや、芸術品から生活の尽きざる源を汲むことをよろこぶ人たちは、たとひ一度は腐つた美や、怪奇な幻影に惑はされたとしてもすぐに自分に帰つて、自分が真に求めてゐるものは、鬼面し、粉飾した作品からは到底与へられないことに気がつき、純粋で気高い――しかし、温かく素直な魂から生れたほんものの芸術を探さうとする。同時に芸術といふものが、傾向や趣味に生命点をおかず、永遠な人間性の発露に於いて「不朽」を主張する理由があるのを理解する。そしてかくの如き人々が、つまり人間らしい心で、不朽な芸術品を絶えず求める人達が、ごく手近なところにアントン・P・チエホフを持つことのいかに幸福であることよ!
 事実われわれの知る限りに於いて、チエホフ程はつきりした目で、人生を直観し得た人間は見当らぬ。されど彼自身「自分は製作に当つて殆んど無意識に筆を進めるが」しかし「文学は能ふだけ実在そのまゝに描く術である。何よりも肝心なのは絶対の真実と正直とだ」と公言して、此手段によつてのみ隠された「真珠」を此の世界に掘り出して見せることが出来ると語つてゐる。この言葉は時代はづれのナチユラリストの慣用句に似てゐると思ふものもあるかも知れない。だが、ナチユラリズムは、チエホフ以前にすでにあのゾラにさへ――ルゴン・マツカールの大作家にさへ見捨られてゐた。一八八八年彼は宣言した――「疑ひなく新らしい哲学が新らしい文学を生むのだ。ナチユラリズムはもう古い月界に居を占めた」そして三四年して、「未来は……諸理論から脱却してもつと打ち解けて人生を受け容れることを承認する者、又は者達に属するであらう。私はより広い、より複雑な描写を、人道へのより大きな門戸を信じるものである――そして私に仮すに時を持つてすれば、私自身がそれをする。彼等が叙するところを私がしてのけて見せる」と付け足した。この言葉の中には豪雄無双ないつものゾラがのぞいてゐて私達を微笑せしめるが、兎に角ゾラをしてさへもう前期のものだと叫ばせたナチユラリズムは、チエホフの胸からは過ぎ去つてゐた。チエホフこそは「諸理論から脱却してもつと打ち解けて人生を受け容れた」人間だつた。そして、そのやうに自由に、しかし正しく人生を受け容れることの可能力を持つた人間が此の世界に幾人あり得たか? 此の複雑な人生の、神を信ずる者を、不信者を、耶蘇を、悪魔を、醜くき実在を、華大なる夢想を、恋を、貪欲を「都の生活を、百姓の一生を――さうしたすべての現象を真正面から直視して、何物にも捉へられずにその現象全体を認識し、しかも弱々しい悲哀にも、荒々しい憤怒にも我々を忘れずに、新らしい生の信仰――より誠実で、より自由で、あらゆる点でより精神的な世界の到来に対する信仰を抱きつづける可能力を持つ魂がさうザラにあるものではない。この魂を抱き得る人間こそ自由主義者《リベラリズム》と呼ばれる事をすら厭ふほんものの人間――古来の宗教家や、神学者が夢想したやうな「神の創り給うた」人と呼ばれるに値する第一級の人物だ。玲瓏として曇りのない、そして絶えず一脈の温味を湛へてゐる胸は、人生の欺きや、偽りと憎みとを静かに乗り超えて、憤るべきもの憎むべきものの依つて生ずる人間生活の汚濁を、彼はみづからの手で澄まさせてやり拭ひ取つてやらうとする――チエホフの「真珠を掘り出す」といふ言葉には、此の意味が含まれてゐはすまいか? この博くやさしい気持こそ、チエホフをして徐々としかも確実に――この英吉利人の言ひふるした言葉を私はあまり好まぬ。随分プホザイクで金儲専門の商業に似てゐるが――文学世界を征服させつつある魅力の源泉だ。一切の荒々しさや、悪どさや、猛々しさは畢竟するにその持主の叡智の不足か、もしくは気禀の狭浅を示してゐる。私は折々憤怒し易く、憎悪し易い性質の天才をも尊敬する。たとへばゲーテを一生憎み通した同じフランクフオルト生れのビヨルネの「巴里からの書簡」またはその中で、ツルゲーネフを小酷くやつつけてあるドストエフスキーの「悪霊」をも、どうして重んぜずにゐられるだらう。だが、怒りに燃えた場合のビヨルネや、猜疑に昂奮した場合のドストエフスキーは、われわれを――小さく、貧しく、恒に此の人生に面していぢけてゐるわれわれを抱いてもくれず、富ましてもくれず、また希望に充たさせてもくれない。寧ろ偉大な人格の憤怒の姿は、却つてわわわれをいぢけさせ、貧しくさせ、せせこましい排他的気分にさへ誘つてしまふことがある。私はドストエフスキーを、偉いなる人間であるとは信じてゐるが、しかもその作品が全部人間の未来に約束されてゐると感じることが出来ないのを悲しむ。それに引かへて、チエホフの全製作は、十が十まで、五が五まで、それがいかに小さい分量のものでも、五枚しかないものでも、測るべからざる人間の深さと、美しさとを、われわれに暗示せぬものはない。ある人達はチエホフの静かさを弱さと誤解し、量の少なさを質の貧しさと誤認し、正確な、たぐひない美しさを、デコデコでないから、悪どくないからの故を以つて無魅惑なりとしてゐる。禍ひなる哉! 強い弱いで言へば彼なぞこそ無比の強人である。無比の強人であればこそ、彼はひとりであることすら歎きもせず、怖れもしなかつた。彼は次兄ニコラーイ――絵描きになりつつあつたニコラーイに若き時語つてゐる。「あなたは始終公衆が自分を理解しないと言つて私に訴へる。ゲーテやニユートンは訴へなかつたではないか。キリストだけは訴へたが、しかし自分を理解しないからと言つてではなく、信条を理解しないのを歎いたのだ。公衆はあなたを十分理解しますよ。もしあなたが、あなた自身を理解しないのなら、それは彼等のあやまりではない」この毅然としてしかも物静かな覚悟は、寧ろ東洋的なものを含んでゐる。私はよく曠野に旅して、雑木の中に朗らかな花を見せた花木を眺めると晩唐李群玉の詩を思ひ出す――それは、水蝶厳峰倶不知、露紅凝艶散千枝、山深春晩無人賞、即是杜鵑催落時といふのであつたが、この詩から東洋風高人の姿を充分に彷彿させることが出来、此の種の心意気を真人の至極境として尊敬するのである。さればこそ、チエホフは一切の強調された主張に対しては静かに微笑した。「私は汽車や汽船の中で、ニイチエのやうな哲学者と出逢ひ、そして一夜を語り明かしたいものだと思ふ。だが、あの人の哲学は永持ちのしないものらしいです。あれは納得の行くものといふより、華やかな見ものだ」といふ意味の言葉を、アヴイロフ夫人に対して語つてゐる。チエホフの穏かな唇は決して嘲笑は浮べない――しかし、やさしく微笑む。恐らく彼が若し昂奮した天才と――ニイチエに限らず――出逢つたなら、とつくりと相手の熱烈な言葉に耳を傾けたあとで、「お疲れにならぬやうに――その立派なお考へが御自分の胸の劫火の火炉の中で、おのづと焼け亡びてしまはないやうに――」と心の中に無限のいたはしみを以つて撫でさすつたであらう! そして天才ならぬ凡人の労役と、生苦とに悩やむものに対しては――「ああ、さぞ辛いでせうね、人生は苦しいものです――だが、私達の此の苦しみ、それは決して無効なものではない。私達が汗水を流して植えた一本の木は――椎木の林はあの禿山を豊かに飾るでせう」とやはり無限のいたはしみを以つて慰さめ励ましたであらう! この慰さめや励ましは、出鱈目の世辞ではない――成程チエホフの人生観は、悲しむべく苦しむべき此の現実世界に生きた彼である故に、いたずらに明るいものではなかつた。多くの批評家が言ふやうに、憂鬱暗憺たる一面を持つてゐた。しかし絶望の深淵に自らを陥れて、浮む瀬もない暗黒にのみ生きるには彼の智恵はあまりに澄み切つてゐた――チエホフをかなり早く日本に紹介した、前田晁氏も引用してゐるが、彼は晩年ヤルタで、クープリンに逢つた時、「此処は以前石と薊とで蔽はれた荒地であつたのですが、僕が来てから開墾して、こんな美しくしました。もう二三百年も経ちましたら、世界中がみんな花の咲き乱れた花ぞのになりませう」と語つたといふ、前田氏は、これは字義通りに取るべきではなく、絶望的な人生に対する一種のアイロニイであると言つてゐるが、私はさうとは考へぬ。その期間が二百年であるか二千年であるかは知らぬ――しかし、早晩人間生活が改善せらるべきものであり、自分達の労苦はその未来に対する捨石であるといふ観念は、新芸術の天才達の胸の祭壇を照らす光明であらねばならなかつた。――チエホフは決して絶望の極、血を吐いて死んだ人間ではない。彼は日本では多少ナチユラリストに謬まられてゐる形である。日本ナチユラリストは、殊更人生は暗黒であるといふ例証を芸術に求めて、絶望に昂奮してみたいといふロマンチシズムに囚はれてゐた――で、チエホフも一種の絶望家の如く謬り伝へられた場合もある。これ等の謬見は機会ある毎に打破されねばならぬ。人類の歴史を通じて偉いなる、又は正しき、または良き気禀を抱いた人物は、たとひ自殺者、もしくは不慮の死を遂げたものと雖も、人類の未来に絶望はしなかつた。それは狂熱した信仰家でなくとも、ソクラテスのやうな不幸な被殺者にしろ、牢番のすゝめた毒盃を微笑を以つて傾けた刹那、彼自身――即ち人類の勝利を未来に於いて信じたればこそ、安んじて死を迎へたのであらう。肉は死ぬ――だが魂は死なぬ。これは単なる迷信、または「言葉」ではない。それは精神に於いて人は人へと生き、自分は永久に延長されるからだ。ここに個人が一般人類の福祉に寄与せんとする意志の根がある。ツルゲーネフは「ルウヂン」の中にルウヂンに対して「真理」とは何だ! つまらん妄想だ。口惜しいと思ふなら出して見て貰ひたい――と放言する偏熱狂的《モノマニヤツク》な実際主義者を描いてゐるが、たとへばへーゲリズムなどが流行した後では、こんな人間の存在も多少は諷刺的意義を有するであらう。しかし、人間の精神は近代に於いてもやはりかうした暴言を許さない。神聖性は完全に偶像からは奪ひ去られたけれども、神聖なるものは新しい力で、われわれの内奥に目ざめて来た。この信念を抱き得ずして何が文学であらう! 否、生活であらう! 若しチエホフがトルストイのやうな気禀の人物であつたら、人類の未来への希望と信念とを「叔父ワーニヤ」の中で村医者の口から語らせたりなぞはせずに、堂々たる論文または宣言にして全世界に頒布したであらう。けれども彼は、彼の純朴性からあらゆる誇大な、強迫的なものを嫌つた。彼はトルストイの小説をば好いたが、堂々好みに対しては少なからずおぞ毛を振つてゐた。彼は書いてゐる――「トルストイは人間から不朽性を拒非した。だが神よ! その中にパーソナルなものがどれ程あつたか! をととひ私は彼の「死後」を読んだ。だがそれは、私が軽蔑する「ある知事の妻の手紙」よりももつと馬鹿げた、もつと咽喉の窒るやうなものだつた。世界偉人の哲学なるものに、悪魔よ取憑け! 大聖者たちはみんな将軍のやうに専制的で、将軍のやうに粗野で、無智だ。それといふのも罰を受けないといふ特権があるからだ。ヂオゲネスは民衆の顔へ唾を吐きかけた。それに対して後腹が病めぬといふことを知つてゐればこそだ。トルストイが医者達を悪者同然に誹謗して、大問題に対する無智を表白したのも、ヂオゲネス同様禁錮もされねば新聞で叩かれる憂ひもないのを知りぬいてゐるせいだ……」チエホフは「無智」なもの――従つて「粗野」であるもの専制的であるものをば、トルストイの衷に見出してさへ、眉をひそめないではゐられなかつた。チエホフはたゞ「絶対の真実」と正直さとで、彼の見た人生の現実の姿を描き――現実に潜められた「真珠」を掘り出して見せようとした。人間の痴かしさを叱りつけずに、その痴かしさを民衆ともども自分も乗り超さうと努めた。ツルゲーネフは露西亜インテリゲンチヤの典型を描いては見せたが、その病所が、いかにすれば救はれるかを訓へはしなかつたやうに見える――自分も彼等と共に苦しんでその病所を乗り越へやうとまではしなかつたやうに見える。しかしチエホフはそれをした。彼はたとへば「わが妻」の中で饑饉に悩む百姓達の救済に焦心しながら、しかもインテリゲンチヤの特徴に縛られて、徒らにその救済の方法や、結果の善悪について思ひ煩らつて実行に移ることの出来ない学者を主人公にしてゐるが、主人公にはあまりに無考へに見える美しく若き妻のナターリヤは、衷心良人の不実行で、不尊にのみ溺れてゐる性癖に愛憎をつかして、独逸種の医者リベルを相談相手に、どしどし実際的救済に突進するのである。そしてたうとう妻の人間らしい熱情が、良人を打負かすまでの夫婦の苦悶を物凄いまでに正確な筆致で彫み上げてゐる此の一篇は、人間を去勢し、無力にする智識はほんたうの智慧ではなく、ほんたうの智慧は各個の人間そのもののうちに隠れてゐること――その智慧をめいめい素朴に生かし抜くことに依つて幸福が恵まれ得るであらうことを語るのである。この智慧がひらめき輝く時、憎みは赦しとかはり、死は生と変容する。よく世の中で、誰れそれは「愛の詩人」だとか、「愛の使徒」だとか言ふが、それはいかなる恋愛詩人、もしくは狂熱宗教家《フアナティツク》よりも、本質的にチエホフに当てはまる言葉だ。で、有名な長篇代表作「決闘」の主要人物科学者コオレンは、うぢ虫のやうに憎んだラエフスキーをたうとういたはる――憎悪のあまり決闘までした弱小な軽蔑すべき生ものにも、人間らしい力が潜んでゐることを発見して、ピストルを曽つて握つた手で握手をする。チエホフが作中人物の中に、人間の進歩と進歩ヘの不断の努力を見出す時、その筆に何とも言はれない歓喜の力が宿る。現世の穢れと擾れとに精神的に死滅しつつあつた人物が、ある機縁と冒険とから「人間」に復活する時――その死中に活を求め得た作中人物、たとへばラエフスキーのやうな男と一緒に、作者自身もホーツと深い吐息をする。そして作中人物と一緒にかう呟やく――「それはボートを後へ押し戻す……ボートは二歩進んで一歩戻る。しかし船頭は頑固だ。どんな高波にも怖れない。ボートはだんだん進んでゆく。もうボートは見えなくなつた。が、半時間の後には船頭は明らかに、汽船の灯を見るだらう。一時間の後には船の梯を上るだらう。人生でもその通りだ……真理の探求に当つて人間は二歩進めば一歩後戻りをする。だが真理への渇望と頑固な意志とは、一歩一歩前進させるのだ。誰が知らう。恐らく彼等は最後には真の真理に到達するのだ。」それ故チエホフの愛する若く美しい男女たちは、不起の病に悩んでゐても、なほ且つ曙の光を讃め、折々すべての旧習の平和を捨てて、ただひとり新生活へと突進する、「許婚」のアレキサンドル・チモフエイツチは、肺病みの美術書生で、明日をも知れない病弱の身を、静かで単調な田舎に棲む大叔母の家に養ひに行くのであるが、その大叔母の孫娘に当るナーヂヤといふ娘の、今にも同じ町の青年と結婚せんばかりになつてゐる「許婚処女」の感じ易い耳に、彼女の智慧を啓くものが首都の大学に、彼女を待つことを囁やく。生活の暁に立つて未知に戦のくナーヂヤは、智慧にあこがれて、病青年の啓示のままに許婚者を捨てて――一切の田舎町の平和と愛を、古いしつとりとした邸宅や、教会堂や、祖母や、母親をも捨てて大都会の渦の中へ飛び込むために家出をする。やがて病める者は死に、彼女の智慧は大学でも、さう急には啓いてくれないのがわかる。けれどもチエホフは、それを青年やうら若い処女の軽はずみとして責めはしない。チエホフは彼女の未来を見捨てない。これが若し他の作家でもあれば、青春者の「都会病」や「智識熱」の方を責めて、彼等に捨て去られるために荒廃する田舎町や、田舎人の生活を歎くだらう。さうした感傷性に堕ちないところにチエホフの面目がある。彼は、長篇「匿名話」の中では頗る貴族的教養を有する若い大家の、偽の愛を信じて、良人を捨てて愛人の懐ろに投じたヂナイダのために、熱烈な真理と真実とを愛する一青年と共に、大官の「恋の欺満」をあばき、甘たるく豊かな、しかし偽りに充ちた恋の巣を捨てて、遠い旅に上らせてしまふ。旅に上つて彼女は死ぬ――しかしチエホフも、作中の青年も彼女の死を寧ろ、偽りの甘楽の長命よりも優ると信じてゐるのである。そして最も見逃せないのは「許婚」の病画学生も「匿名話」の青年も、ともに女主人公達に恋してゐるわけではないことだ。彼等は、彼女等のために恋をささやかずに、真理をささやく。彼等は彼女等に「恋」の情熱の代りに「真理」の情熱を注ぎ込んでやる。新生活へ突き遣る――チエホフは真の愛はむしろ、残酷に真理を知らしめてやることだと考へてゐるやうに見える。此処に、人としてのチエホフの底の知れない勇気が蔵されてゐる。そして、われわれがいつも彼の作品から、未来への希望と生活の鼓舞とを頒けて貰ひ、人生への愛を深かめさせて貰へる原因も亦、同時に此処に存してをらねばならぬ。私は敢へて言ふ――私はチエホフの衷にクリスチヤニテイの真の閃光を見る――人間の歎きを頒けることを知つて、しかも死をも怖れなかつた最高の慈悲者、最高の真理者の新らしい変容を見る。耶蘇も若々しい哲学者達に依つては、ガラリヤの柔順すぎ、弱すぎる牧者――羊しか飼へない牧者として嘲られた。チエホフも早急な批評家に依つては、彼の静かさと微笑と歎息とのために、その真面目をあやまり解かされるかも知れない。だが彼等の衷なる力は遂にすべてに克つ、チエホフの神の如き芸術は、遂に世界を征服しつくすであらう!
 この小感想の筆者は更らに、数十種の主要作について、個々の評論を試みたかつた。だが、今はこの漠とした覚え書だけに止めて置く。そのうちに早稲田文学社の好意は、より綿密な記述の自由を、筆者のために与へてくれるであらう。

 チエホフ小論 三上於菟吉著「早稲田文学」(大正13年3月号)を底本として電子書籍化。漢字は通用字体に改めた。書肆風々齋
Wikipedia 三上於菟吉
青空文庫 三上於菟吉

読書ざんまいよせい(041)

◎バルザック・小西茂也「風流滑稽譚」第1篇

【編者より】
大層な長文痛みいる。本文に《》が使われてる故、ルビの内容は〔〕で已む無くされた。ルビ区切りには、従来通り|を使用いたした。

仮初の咎

   ブリュアン老人嫁取りのこと

 ロワール川に臨むロシュ・コルボン・レ・ヴウヴレイのお城を竣工めされたブリュアン殿と申すは、若かりし頃はいたって荒々しい武弁でござった。幼にして早くも娘っ子の尻を追い廻し、金銭は湯水の如くに遣い、鬼神を凌ぐほどのあらけない振舞が多かったが、父親ロシュ・コルボンどのの逝去以来、当主に直られてこのかたは、日毎しどもない美遊に耽り、びらしゃら自堕落な歓楽に身を持ち崩しておられた。が、何はさてお銭には嚔をさせ、下帯には咳をさせ、酒樽には鼻血を出させ、地所は空堀に、遊女は総揚げに、といった御乱行が祟って、遂にはまっとうな方々からも義絶を受け、交遊相手は債鬼と獄道者よりほかなくなってしまわれたが、その高利貸とても、抵当としてロシュ・コルボンの封土権しか残っておらぬのを見て、――もともとこのRupes Carbonis(燃える岩)、すなわちロシュ・コルボンは国王の直轄所領地であったが、――隔心を生じて栗の毬よりとげとげしく相成った。されば自暴自棄からブリュアンどのは縦横無尽に暴れ廻って、人の鎖骨をへし挫いたり、詰まらぬことで誰にでも喧嘩を吹っかけたり、とんと始末におえなくなったので、隣りに住んでおった口達者のマルムウチェの和尚は、《御辺がしかく正道を踏み行わるるは、あっぱれ藩侯の分として、至極尤もの儀ながら、いっそ神の栄光のため、聖地エルサレムに大便をいたす憎きマホメットの外道どもを、征伐に御渡海遊ばされたら、猶一段と天晴れでは御座るまいか。さる上は金銀財宝と免罪符を、しこたま抱えて、この故郷へなり、乃至は悉皆のさむらい衆の嘗ての生国たる天国の故里へなりと、凱旋めされること必定でがな御座ろう。》と仔細顔にて告げたので、尤もなる分別に感じ入ったるブリュアンは、隣人知己の歓喜の下に、僧院で出陣の身支度をば整え、和尚の祝福を受けて故郷を後にいたしたのであった。
 爾来ブリュアンはアジアやアフリカの多くの町々を劫掠に及び、御用心とも云わずに邪教徒どもを薙ぎ倒し、サラセン人やギリシャ人やイギリス人その他の生皮を剥ぎ、敵味方もわきまえず、何処の国の傭兵かも見境いなしに、ぎょうに梟勇を振り廻されたのは、じたい詮索ごとが生れつきの大嫌いで、糾問は殺したあとの後廻しという、いと堅実な了簡深い資性があったからである。天帝の御意や国王の思召や、また己れの意にも叶った荒仕事を、かく励むうちブリュアンは、よき信徒であり、忠義な侍であるという名声を天下にあげて、海の彼方の国々で、散々に面白可笑しい月日を送られた。貧しい女に一文めぐむより、阿魔っ子に小判一枚とらせる方を、殿は好まれ、それもなるべく数すくなの美しい阿魔っ子に仁慈を垂れ、数多い醜い老婆などは避けるようにしておったのは、さすがにトゥレーヌ人の血を受けただけあって、転んでも只は起きぬ律儀まったい性分からと見えた。
 さるほどにブリュアンもトルコ女や聖骨や聖地などから、数々の恵沢に満喫してやや心倦んだものか、金銀財宝を山の如くに積んで、十字の軍から凱旋して参ったが、通例だれでも出陣の折のふくらんだ財布を、凱旋には軽くして、癩病ばかり重々しげに負って戻って来るのと逆だったもので、ヴウヴレイの里の人も、ひどく喫驚いたした趣きでごある。
 チュニスより戻るや、ブリュアンは国王フィリップから伯爵に叙せられ、トゥレーヌ及びポワトゥの奉行職にと取立てられた。有徳な殿には、天性すぐられた上に、若き日の無分別の天への償いとして、エグリニョルの教域に、カルム・デシオの天主堂を建立までいたされたので、近郷近在からも愛され敬われ、もっぱら教会と天主の御恩寵のうちに、安心立命の日々を送っておられた。この在りし日の放埒な若衆、無鉄砲な壮漢も、髪が薄くなるに従い図外れた道楽気も失せて、今は極めて古文真宝なる好々爺となり、涜神の言辞を面前で耳にでもせぬ限りは、滅多に怒られたこともなかった。若年血気の折に余人に代って、かかる雑言を吐き尽した覚えがあるので、堪忍しきれぬためである。さしもまた喧嘩好きだったのが、絶えて人と争わなくなられた。奉行なのですぐと相手が譲ってくれたからである。けっく今はかなわぬ望みとてないまま、頭のぎりぎりから爪先まで、いちえんなどやかに落着いてしまわれたが、小悪魔だとて同じ境遇にありつけば、やはりそうなろうではないか。
 殿の居城はスペインの胴着のように、ぎざぎざした縫い目で裁たれたシルエットを、岡の上に聳やかし、ロワール川にその姿をば水鏡しておったが、広間には見事な綴れ錦の壁掛を張りめぐらし、サラセン渡りの家什調度が、室内を狭しとばかり飾り立てられ、トゥールの市民はもとより、サン・マルタンの大司教や役僧たちの目をも奪った。サン・マルタン寺院には、純金で縁飾りした旗印一旒を、信心のしるしとして寄進つかまつった。お城の周囲には肥沃な田畑、風車場、喬林など打続いて、くさぐさの収穫物が上納せられたので、あたりでも屈指の分限者と目され、いざ鎌倉といえば、手勢一千騎を具して国王の御馬前に馳せ参ずるを辞さぬ豪の者と謳われておった。
 齢も傾いてからは、絞り首に精励な下役が、咎人の貧しい百姓などを引立てて来る毎に、奉行ブリュアンは莞爾として、《ブレディフ、宥してやれ。儂が海外で無分別に命をあやめた罪滅しとしよう。》と申されたが、敢然として罪人を樫の木に引吊したり、絞首台にぶらんこ吊りさせることも屡々とあったるは、偏に正邪を糺し、古来の慣行を領内に失わざらんがためと見えた。されば領民の従順謹直なること、昨日尼寺に入ったばかりの新発意もただならず、それに夜盗追剥どもの所行が兇悪の理は、御自分の経験で十分に御存じだったもので、呪わしいこれら猛獣どもに対しては、寸毫も容赦めされず良民の保護にと当られたので、領民いずれも枕を高く出来た次第でごある。奉行にはまた信心の篤いことも格別で、祈祷であれ、酒事であれ、万事が万事はやばやと片附けられる性分でござったので、裁判沙汰もトルコ式に捌き、敗訴人には軽口を云って慰め、食事など共にして、なにがさて力づけて進ぜることも度々とあった。生きる妨げをすれば罰は十分と申し、絞り首の罪人の亡骸も、信心衆と同じ聖土に埋葬を許し、猶太人に対してさえ、よくせき彼等が暴利や高利で身を肥さぬ限りは、きつい糾明に及ぶこともなく、奴等こそ有難い多額納税者じゃと申して、蜂が蜜を掻き込むように、普段は彼等にせっせと分捕勝手に任しておいて、宗門や国王や領内の、乃至は己が身の、利益得分を計る時のほかは、ついぞその蜜を奪ったこともおりなかった。
 かかる寛仁なる振舞から、ブリュアンは老若貴賤すべての愛着と畏敬を蒐めるにいたった。お白洲から微笑を湛えて戻る殿に、これも寄る年波のマルムウチェの和尚が、《さっても殿がそのように笑ませられるは、必定、吊し首がでけるによってじゃな。》とちょがらかすこともあったし、ロシュ・コルボンからトゥールへ馬上豊かに罷る雄姿を見て、サン・サンフォリアン新町の乙女などは、《今日はお裁きの日じゃ。ブリュアン老殿様が、あれお通りになる。》と、東方から引いて戻った逞しい白馬に跨った奉行の偉容を仰いで、とんと怖じ恐れる様子もなかったし、橋の上で少年達も石弾きの手を止めて、《お奉行様、御機嫌よろしゅう!》と叫ぶと、《おお、よい子じゃ。鞭を喰うまでは、せっせと遊んだがよいぞ。》と、戯れるのに対し、《おっと承知の介、お奉行様。》といった情景が常に領内には見られた。かく殿のお蔭で、領内も泰平に、盗賊も跡を絶ち、ロワール川大洪水の年も、冬季ただの二十二名の兇漢が、絞り首の大往生をとげたに止まり、その他に一名シャトオヌフの村で焚刑された猶太人があったが、これは聖パンを盗んだ科とも、またありあまる裕福にまかせて、それを買い取った罪とも云われておる。
 ちょうど翌年、乾草聖人祭の頃のこと、――トゥレーヌでは、サン・ジャン聖人刈取祭とこれを云っているが、――エジプト人やボヘミア人なんどの流浪の掻払いどもがさすらって参って、サン・マルタン寺院から聖宝を盗み、剰え場所もあろうに、聖母マリア様の御座のところへ、老耄犬ほどの年恰好の、仲間の賤しいモール生れの軽業の美少女を、丸裸のまま置去りにして逃げた。これぞ町びとの揺ぎなき信仰に対する、侮蔑嘲弄のしるしとも申すべく、さっても図ないかかる涜神の贖罪といたして、早速にくだんのモール娘を、草市が立つサン・マルタン広場に引き出して、噴水のほとりで生きながら火炙りの刑に処そうと、検察当局も法門もずんと裁断いたしたるところ、ブリュアン奉行はこれに首を振って、明快に陳じ申されるには、《これはいかなこと、件のアフリカ娘の魂を、まことの宗門に帰依せしめてこそ、奇特にもなり、また上天の思召にも相叶うものとそれがしは存ずる。と申すは一朝、悪魔が女体に潜んで業を張るに於ては、断決どおりに薪を山と積もうと、悪魔を焚殺することは能わぬではござらぬか。》と、不承されたので、げに寺法にも適い、慈悲福音の御教えにも添うた順義ある言として、大司教もこれに同心めされたが、町の上臈衆はじめ貴紳の面々には、《それでは見事な儀式もお流れじゃ。牢屋のなかで目を泣きはらし、縛られた山羊さながらに喚き叫んでおる、あのモール娘の所存に任せるとなれば、鴉のように長命をば望んで、ちょろり改宗してしまうで御座ろう。》と、高声で不合点したので、奉行は、《いや、異邦の娘が心底から改宗いたすとならば、一段と雅致ある儀式を、それがし執行するといたそう。躬が親しく洗礼の代父を勤め、諸事万端、盛大に挙式いたしてもよいが、生憎とまだ稚児〔コクバン〕衆(チョンガー)のそれがしゆえ、どこぞの息女に代母の役を頼まば、なおと神意にも叶うことと存ずる。》と申された。チョンガーとはトゥレーヌの土地言葉で、まだ嫁取りも済まぬか、或は童貞と見做されている若衆を、女房持ちや鰥夫から区別いたす際の言葉じゃが、総じてチョンガーと申せば夫婦ぐらしで埃臭くなった殿方より、気も軽く浮々してござるから、そんじょうそれと名はつけずとも、娘子衆ならば、ちょろくこれを見立てるすべを心得ていよう。
 モールの娘は、火刑の積木と、洗礼の聖水と、どちらを選ぶべきかをうじうじするまでもなく、エジプト産の邪宗門として焚き殺されるより、切支丹にころんで生きながらえる方を、もとより好んだので、一瞬にいのちを燃やす代りに、一生涯心臓を燃やす身とは相成った。というのは信仰心に躓きのないようにと、シャルドンヌレに近い尼寺にこもって、不犯の誓を立てることに定まったからじゃ。さて洗礼の儀式は大司教のお館にて挙げられた。トゥレーヌの衆ほど、舞や踊や飲み食いに熱中して、大盤振舞や無礼講に、羽目を外す連中は、ついぞ全世界にその比を見ないほどで、救世主の栄光を祝して、早速にトゥールの町の貴顕淑女はここを先途と踊り狂われた。老奉行職が代母の役に選んだは、後のアゼエ・ル・ブリュレ、当時のアゼエ・ル・リデルの領主の御息女で、父領主は十字軍に加わって、アクルという遠い遥かな町で、サラセン人の捕虜となり、生憎と押出しが立派すぎたため、莫大もない身代金を要求せられておった。アゼエの奥方はその金子調達のため、強慾な金貸に領地まで抵当に入れ、一文なしに身をはたいて殿の帰りを待ち侘びつつ、町の陋屋に起臥しておられたが、坐る敷物はなくとも気位だけはシバの女王よりも高く、主人の襤褸切れを護る忠犬のように、頼もしずくなところがごあった。斯様な窮乏のどん底に陥ったアゼエの奥方を見るに忍びず、奉行は救済の一助として、エジプト娘の代母になることを、アゼエの息女に体よく頼みこんで、金品贈与の口実を得られた。さて奉行にはサイプラスの町で劫掠いたした重い金鎖を所蔵しておったのを、贈物として臈たけた代母の頸に掛けようと、殊勝にも考えついたが百年目、図らずもそれと一緒に、己が封土も白髪も金銀も軍馬も、総ざらい掛けてしまう結果とは相成った。と申すはトゥールの上臈衆に交って、アゼエのブランシュ姫が孔雀の舞をみやびやかに踊る妙な姿を、一目見るに及んで首ったけ、ふならふならと入れ揚げてしまわれたからである。
 モールの娘もこれが娑婆見納めの日というので、芸尽しに綱渡り、軽業、曲芸、輪舞、跳躍と、あらゆる妙技を出しきって、座の衆目を奪ったが、ブランシュ姫の舞いざまの清艶都雅に比しては遥かに及ばず、ずんと一籌を輸したとは世間の取沙汰でござった。玉敷の床板にも恥じらう踝をした芳紀十七の姫御前が、年が年ゆえあどけなげに、踊り興ずるそのさまは、さながら初の一節を奏でそめる蝉の風情と申そうか、眺めるブリュアンはけなるい老いの煩悩に取憑かれてしまわれた。まことそれは猛々しい脳溢血的な弱味さかんな修羅燃やしで、積む白髪の雪に恋の炎も消え尽す頭部は別として、足の底から頸筋のあたりまで、奉行の身体は燃え焦げたのである。その機に及んで初めて己が居城に足らぬのは、奥方ばかりということに奉行は気附き、実際以上の淋しさをば覚えられた。なにがさてお城に奥方のないは、釣鐘のない撞木と同じという訳で、奉行がこの世に望むものがあったとしたら、奥方を迎えるという一事のほかにはなく、もしもアゼエの奥方が兎や角、返事を渋ったなら、自分にはこの世からあの世に移るばかりしかないと、立ち所に嫁取りの儀を切望いたされた。しかしこの洗礼祭の騒ぎの間は奉行も並々ならぬ恋の痛手を痛感することも僅かだったし、ましてや頭の毛を薄くしたおのが八十路の不祥に思い及ぶことも尠く、うら若い代母の容姿が、あまりにはっきりと眼の底に灼きついたので、おのが霞まなこのことも打忘れてしまわれた。それにまたブランシュ姫も御母堂の下知のまま奉行を下にもおかず目差しや身振りで款待いたされたが、代父の年が年ゆえ昵懇に及んでも何の仔細もないと、思い定めたからでもあろうか。春の朝のように目ざめているトゥレーヌの悉皆の娘っ子とはうって変って、生来初心でおぼこなブランシュ姫は、されば手に接吻することを老人に先ずは許した。――それからしてちょっと下の頸っこ、いや、ずんと窪っこのところに。と、こう申したるは祭から一週間後、この二人の婚礼を司った大司教猊下でごあるが、嫁取りも立派だったが、さっても花嫁御寮ときたら、更に立派でござりや申した。
 ここなブランシュ姫はまこと類いなく華奢で優雅であられたが、なかでもそのおぼこ振りと申したら、古来その例しも聞かぬほどのかいもくの野暮娘で、色恋の道も心得ねばその仔細も手段もわきまえず、人は臥床の内で何もせぬものと思い、赤子は縮緬甘藍の中から出るものと合点めされていた。そがい母者人が何一つ知らせずにこの懐ろ娘を育て上げたからで、スープを歯のあわいから何として吸うたものやら、弁えさせないで大きくしたほどの丹精の甲斐には、清い華やかな純な乙女が花咲いて、天国へ飛翔する翼を欠いた天使そっくりと申したらよろしかろう。
 泣き沈んだ母御前の賤居を後にいたして、サン・ガチアン大聖堂にしつらえられた晴れの祝儀の庭に、ブランシュ姫が赴こうと立出でて、セルリの街筋に敷きつらねられた錦の毛氈を渡るそのあでやかな姿に、目の放楽をいたそうと、近郷近在からこぞって物見にと老若男女が集まって参られたが、トゥレーヌの土を、こうまで可愛げな足が踏んだことはないとか、こうまで涼しい碧い眸が空を仰いだこともおりないとか、こうまで見事な敷物や花吹雪が街を飾った祝言もないとか、いやはやもっぱらの取沙汰でごあった。町の娘子衆や郊外のサン・マルタンや、シャトオヌフの当世娘たちは、めでたく伯爵夫人の玉の輿を釣ってのけたブランシュ姫の丈長の鹿子色の編髪を羨まぬとてはなかったが、それとともに、いやそれ以上に、姫の金糸の衣裳、海彼の宝玉、白ダイヤ、或は奉行に身を永遠に結びつけた縁〔えにし〕の糸とも知らずに、姫が無心にまさぐっておった黄金の鎖を、所望すること切なるものがござった。
 この花嫁と並んで立った老奉行の有卦に入ったるその浮かれ振りと申したら、皺や眼差や仕草の悉くから諸果報がこぼれ出んばかりで、老いの腰を鎌ほどに伸して、花嫁の傍に倚り添ったるさまは、晴れの調練にまかり出る野武士よろしくで、手を脇腹にあてがっておったは、はや歓喜に喘ぎ困〔こう〕じ過ぎたためでごあろう。妙なる祝鐘の音や、眼も綾な練り行列や、華麗を尽した盛儀のさまは、《大司教直々の御婚儀》と後世に語り伝えられたほどで、モール娘の雨霰も結構、老奉行の洪水も結構、改宗の洗礼の大溢れも結構と、町の娘子衆は自分等もあやかりたくて願うたが、もとよりエジプトにもボヘミアにも程遠いトゥレーヌの里のことゆえ、こうしたお目出度もその後はついぞ起ったためしとておりなかった。
 祝儀が済んでのちアゼエの奥方は、奉行から莫大な金子を賜わったので、早速にアクルへ下ってその金で良人の身を買い戻そうと、息女のことは呉々も花婿どのに頼んで、万端の準備を整えくれた奉行の麾下や組頭や士卒を供といたして、その日のうちに出立せられた。ずっと後になって、アゼエの領主ともども奥方には戻って参られたが、癩を患っていた良人を、伝染の危険をも顧みずに甲斐甲斐しく看護いたして、全治せしめたその献身ぶりこそは、いたく世上の歎称をば受けられた。
 さて婚儀もとどこおりなく済み、三日にわたった披露の宴も賀客の大満悦裡に果てて、ブリュアン殿は供廻りも美々しく新婦をおのが居城にと伴って、マルムウチェ和尚がお祓いをした新床へ、世の常の良人の形儀に従って厳かに案内いたし、ロシュ・コルボンの領主にふさわしい緑の金襴金糸を張りめぐらせた大きな閨房にて床入りの式を行われた。身体じゅう香水を浴びたブリュアン老人が、新婦の傍らに添臥し、いざ肉と肉になると、やおら新郎は新婦の額ぎわに先ず以て接吻し、次いで花嫁の金鎖の環の止金の胸に触れるあたり、白いふくよかな乳房の上に接吻をいたした。……が、これをもって、それなりけりの終りとは相成った。
 階下の広間では、なおもはずむ舞の手拍手、華燭の祝歌、陽気な戯事、それらを耳にしながらも老武弁の伊達者には、己れを信ずること篤きあまりに、余の儀に及ぶことを控えて愛のしこなしは沙汰止みにといたしたのでごある。嘉例にしたがって、金の杯に浄めた床入りの酒が、傍らにおかれてあったのを目口かわきの新郎はぐっとあおって気力をつけめされたが、腹うちこそその薬力で暖ったものの、だらりとした下紐の中心は、むなしく何の験気もおりなかった。しかし新婦は新郎のかかる叛逆不逞を、いささかも訝る模様もなかった。心底からのいや堅気な未通女で、婚儀に就いて心得ておったことは、僅かに懐ろ娘の眼にありありと見えるもの、――衣裳だとか、酒盛だとか、馬匹だとか、奥方になり女主人となること、伯爵夫人として領地を統べること、遊行や下知をほしいままにすることだけと合点なされているだけで、とんとうんつくな子供も同じこと、褥のあたりに垂れた金の総や瓔珞を爪繰り、おのが初花を埋むべき廟所とも知らずに、ただその壮麗さに驚嘆の眼を瞠っておったのであった。おのが罪科に気づくに、遅過ぎた気味のある不念な奉行は、それでもなお後日に儚ない望みをかけ、今宵がほどは仕業の補いを、言葉をもって埒明けんずと心構えられた。したが後日に期すといっても、妻に振舞おうと彼が大事にしている当の代物は、くやしや毎日、少しがほどずつ虧耗してゆくをなんとしょう。そこで奉行は新妻に四方八方〔よもやま〕話を仕掛けてもてなされた。衣裳櫃はおろか、蔵や長持の鍵まで、悉皆|奥方〔おく〕に預ける話、屋敷田畠の宰領を一任して、一切の口出しを慎しむ話、――つまりトゥレーヌ人の言い草に従えば、麺麭の片きれを相手の頸に掛けてやる話を、仔細らしくしだしたのであった。聞いて花嫁は乾草の山に踏み込んだ若い軍馬さながら満悦して、三国一の気前よい殿御と奉行をあがめ奉り、褥の上に身を起して婉然とし、われこそ爾今は天下晴れての夜毎のあるじと、緑錦の臥床を今更のように眺めて、一段となまめいた面持で床上を撫でさすられた。花嫁が次第にかく美色を呈してもやついて参るのを見た老獪な殿には、乙女子にこそ余り接せられなかったが、好きものの女人を常に手玉にとられた幾多のむかしの御体験からして、羽根蒲団の上では女人がいかにしどもなく牝猿になるものかを、身に沁みて御存じだったもので、昔なら辞退尻込みどころでない例の女子のすなる手玩びやあじゃらなキッスといった、濡事のけなるいたわれ遊びのからくみを、こっちに仕掛けられて、法王の御入滅のようないまの己れが身の冷灰を見破られることを心配いたし、われと果報を忌み怖れるもののように、新床の片端にと身をしざって、仮粧ばんだ新妻に向って申された。
『のう、そなたももはや奉行が奥方じゃ。まこと大名の御内室じゃて。』
『まだで御座りましょう。』
『はて聞えぬことじゃ。なんでおみが家刀自でないぞ。』ひどくうろたえて奉行は申した。
『されば子を生みまいらせぬほどは、嫡室とは申されますまい。』
『なんと道すがら牧場を見つろうが。』老翁は話題を転じた。『いかにも。』
『されば、あれもわこぜがものじゃ。』
『はあ嬉しや。されば蝶を捕まいて随分と遊び申そう。』と笑いながら答えた。
『さてこそ聞き分けのよい。途中、森も見つろうがの。』
『はあ、あの森は殿と御一緒でなくば淋しゅう御座りましょう。お伴い下さりませ。したがラ・ポヌウズが心を籠めて、われらが為にと醸しおかれた床入の御酒〔みき〕を、少しわらわにも賜わりませ。』
『これはいかなこと。あれを飲うだなら体内に炎を発するわ。』
『さればこそ所望いたすのじゃ。妾は一刻も早う子を生みまいらしょうと存ずれば、それに験のあると聞き及ぶかの飲料を下さりませ。』とさも怨めしげに申されたが、この言葉に姫が頭の先から足の裏まで、おぼこ娘のことを察知めされた奉行には、『そのことならば先ず以て、天主の御意がのうては叶い申さぬ。且つは女体の刈入れ時にならねば、能わぬことじゃて。』
『妾〔み〕が刈入れ時は何時でござりましょう!』嫣然としてブランシュは訊ねた。
『造化の神の思召す時じゃ。』と強い笑いを作って申した。
『してそれは、どのように仕るもので御座る?』
『されば神秘の学、錬金の業、危険極まる隠事であるわ。』
『さてこそ躬がしのびごとを憂えて、母者人には、いたく打泣かれたのも尤もじゃ。したがベルト・ド・プリュイリが嫁入りの手柄話に鼻高々と申したは、これほど易い業も天下に御座りやないとじゃが……』と夢みる面持で新婦は云った。
『それは年によりけりじゃ。』と老城主は答えた。
『時にわごりょは儂が厩舎で、トゥレーヌにその名も高い白駒を見たか喃。』
『あい。天晴れ温和な駒にて御座りまする。』
『さればあれもそなたに進ずるほどに、気が向く儘に乗り廻すがよいぞ。』
『噂に違わぬ親切な殿、有難う御座やりまおす。』
『なおその上に、余の大膳職、礼拝堂番、主計役、主馬頭、料理方、代官なんどを始めとして、呼名をゴオチェと云う躬が旗持の若小姓モンソロオ殿に、麾下の侍、武士、足軽、軍馬を引具せしめて、わぬしの膝下に跪坐させようぞ。万一そなたの下知に怱々従わなんだ者あれば、立ちどころに絞り首じゃ。』
『してかの神秘錬金の術と申されたを、今ここで行うわけには参らぬかや?』
『なかなか。まず余の儀に立ちこえて肝要なは、そなたも儂も、天主の御恩寵に屹度適うた身に相成ることじゃ。さなくば罪業沢山の悪しき子を生むを以て、重く寺法にも禁ぜられておるわい。世に済度も叶わぬ無道の者夥しいは、何れも両親が魂の清らに澄む折を待たず、無分別にも子孫に邪念を伝えたからなのじゃ。美しき有徳な子は無垢な父母のみが生む定めなれば、新床にお祓いをなすのもそが為じゃ。さるに依りマルムウチェの和尚もこの床に魔除けをいたしたる筈。時に其方は教会の掟に背いた覚えはござないか。』
『されば弥撒の前に罪障悉皆赦免の御沙汰を拝しましたれば、其後は何一つの罪咎もつゆ覚え御座りませぬ。』と口早やにブランシュは申した。『おもとほどの天晴れな者を北の方にいたして、儂は双びもない果報者じゃて。したが躬は邪宗門のごと、はや涜神の振舞を犯しおったわ。』と狡い奉行は思い出したように叫ばれた。『まあ、何故にて御座りまする?』
『されば舞が一向に果てず、わごぜと水入らずに一室に引籠って、かく接吻をなすの期が、かいしき参らぬによって、先刻はつい神を呪い申したわ。』
 そう申して慇懃に姫の手をとり、接吻を雨霰として、空言睦言かきまぜてさまざまに述べ立てられたので、姫はすっかり悦に入り満足気であったが、昼の踊やさまざまの儀式に疲れを覚えたものか、《明日こそはさような呪いを発せずと床に籠れるよう、妾が十分こころしまする。》と言いつつ夢路にこそは入りめされた。残された老人は新妻の白い美しさに、げしゅう心奪われ、優しい姫の心根に接してその恋心も弥募ったが、この天真爛漫さを保たせる術を心得るのは、何故に牛が反芻するかを説き明らめるのと同じ難渋ごとと考えて、少からずに困却いたした。前途にさらに何の光明とてなかったが、無心にすやすやと寝入っているブランシュの妙なる麗質をしげしげと見るにつけ、翁の胸中の焔は燃え上って、飽く迄この恋の寵珠を守り防がんずと、堅く心に決心めされた。老いの目に涙を浮かべつつ彼は姫の美しい金髪や、可愛らしい瞼や、赤い爽かな口許に、眼の覚めぬようそっと接吻をいたした。……そしてそれが彼の享有のすべてでごあった。してそれはブランシュの心に通うことのない沈黙の快楽であっただけに、うわずった彼の心は一段と燃え燻ぶるばかりで、落葉した老路の雪を、いたく嘆いた憐れなこの老奉行は、歯の落ち尽した時分に胡桃をお授けになられた神様のお戯れに、しんぞじゅつない思いをいたされたのであった。
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読書ざんまいよせい(040)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(013)

 松田道雄先生は、「文芸読本 チェーホフ・桜の園』」で書いている。

 私はチェーホフが好きです。その理由を書くことは鑑賞の一部になるかと思います。およそ自由な市民がものを読んでたのしむという場合、そのたのしみが最大であるのは、好きな人間の書いたものを読むときです。
 嫌いな人間の書いたものは読まないというのは、自由な市民の誇るべき特権です。
 人間と作品とをつねに結びつける市民の素朴な鑑賞法は、市民の生活自身のなかで養成された生活の知慧の一部分というべきものでしょう。信用できない生き方をしている人間のつくるものは信用できるためしがないということを日々思い知らされているからです。
 作家の生活を自分の生活のなかでうけとめるということで市民は好きな作家と嫌いな作家をよりわけるのです。…

 では、松田大先輩の顰《ひそみ》に倣《なら》って、「文芸読本」中の、福田恆存、小林秀雄、中村雄二郎各氏の文章は読まないでおこう(笑)。

 閑話休題、チェーホフの比較的長い中編小説に「三年」(1895年発表)という比較的知られていない作品がある。発表当時もあまり評判は芳しくなかったが、読んでみると味わいのある良品である。
 商人の父(暴力的なのは、チェーホフの実父の面影があるという。)と病気の姉を持つ、ラープチェフは、ユーリアに恋心を抱き、だしぬけにプロポーズする。この間、彼女の忘れた傘がちょっとした小道具である。最初は彼女は躊躇するが、彼と所帯を持つ。子どもの死もあり、心はだんだん離れていったが、また、古い傘を見たユーリアは、ラープチェフの元に帰ってゆく。この間、「三年」の月日だった。小説の最後のラープチェフの思い。
『もう少し生きのびて、それを見ることにしよう。』
が印象的である。そして他のチェーホフの作品の多くが、男女の生きて、亡くなってを問わず別れを描くが、ともかくにも元の鞘に収まるのも珍しく感じる。

 実は、「チェーホフの手帖」は、1890年、彼の一大転機となったサハリン(樺太)行の翌年、1881年、編集者スヴォーリンが同行したヨーロッパ旅行の記述から現存する。しかもその合間には、「三年」のプロットが書き込まれているので、構想から発表までの年月をとって「三年」と名付けたのかと勝手な想像をしてみている。
 手帖の最初に

一ページ
このノートはA・P・チェーホフの所有である。
ペテルブルグ、M《エム》・イタリヤンスカヤ、ーハ番地、スヴォーリン方。
二ページ

2 イワンにはソフィヤが気に入らない、リンゴ臭いから。

6ウイ—ン着。Stadt Frankfurut〔チェーホフが止まったホテルの名〕。
寒い。

三ページ

2 くイワンは女性を敬わない、なぜなら気短かで、女性をありのままに見るからだ。>女性のことを書くなら、いやでも恋のことを書かねばならぬ。
3 く一般の福祉に奉仕しようという願望は、必ず魂の要求であり、個人的幸福の条件でなければならない。もしその願望がそこから起るのではなくて、理論的な、あるいはその他の配慮から起るなら、それはまやかしである。>
以上、池田健太郎訳

 前置きが長くなったが…

 毎日、昼飯が済むと良人は、坊主になってしまうぞと言って妻を威かす。妻は泣く。

 Mordokhvostov《モルドフヴォーストフ》*君。
*鼻面と尻尾。

 夫婦が十八年も一緒に暮らして喧嘩ばかりしている。とうとう夫は、ほかに女が出来たと根も葉もない打明け話を妻に聞かせて、夫婦わかれになる。夫は非常に満足だ。町じゅうの人は憤慨している。

 何の役にも立たぬもの、忘れられた面白くもない写真の貼ってあるアルバムが、隅っこの椅子の上に載っている。もう二十年もそうして転がっているが、誰ひとり思いきって棄てる気になれない。

 四十年前のこと、Xという稀に見る非常に立派な人間が五人の人の命を救った次第を、Nが話して聞かせる。一同がその話を至極冷淡に聴いているのが、このXの功績がもう忘れられて一向に人々の興味を惹かないのが、Nには不思議でならない。

 一同は極上のキャヴィヤにがつがつとかぶりついて、瞬く間に平らげてしまった。

 荘重な演説の最中に小さな息子に向って、「ズボン《まえ》のボタンをおかけ。」

 あなたがその人間に、彼がどんな体たらくなのかを見せてやるとき、はじめて彼は向上するのです。

 鳩羽色の御面相。

 ある地主が、鳩やカナリヤや鶏の羽色を変えて見ようと、胡椒の実や、マンガン酸加里や、そのほか色んな愚にもつかぬ餌を与える。――これが彼の唯一の仕事で、客の顔さえ見ればその自慢ばなしをする。

 有名な声楽家を傭って、結婚式の席上で使徒行伝を誦ませる。彼は誦み上げて、見事な出来栄えだったが、お金(二千)は払って貰えなかった。

 笑劇。――わたしの知人のKrivomordyj《クリヴォモルディ》(顔まがり)君は、名前こそ変てこですが、ちゃんとした男です。Krivonogij《クリヴォノーギイ》(足まがり)でもKrivorukij《クリヴォルーキイ》(手まがり)でもなくって、実に「顔まがり《クリヴォモルディ》」っていうんですが、ちゃんと結婚して、奥さんに可愛がられていましたっけ。

 Nは毎日牛乳を飲んでいた。そのたびにコップへ蠅を入れて、従僕を呼んで詰問するのだった、「これは何ちゅうことか?」まるで人身御供みたいな顔をして。これをしないでは一日も生きて居られなかった。

 陰気な女だ、蒸風呂の臭いがする。

 Nが妻の不貞を嗅ぎつけた。彼は憤慨する、煩悶する。けれど逡巡決せず、胸におさめて黙っている。彼は何も言わずに、とど相手のZからお金を借り入れる。そして相変らず自分は潔白だと思っている。

 弓形パンで飲むお茶を切上げるときには、私は「食いたくない!」と言う。ところが読みかけた詩や小説を中途で投出すときには、「これじゃない、これじゃない!」と言う。

 公証人が高利で金を貸す。遺産は残らずモスクヴァ大学へ寄附いたしますんで、とそんな弁解をしながら。

 その寺男はなんと自由主義者だった。曰く、「今じゃ私達の仲間が、まさかと思うような割目から、ぞろぞろ這い出して来まさあ。」

 地主のNは、モロカン教を奉ずる隣村の地主一家としょっちゅう喧嘩をして、訴訟沙汰をもちあげたり、悪罵を放ったり、呪ったりしている。ところが、やがて彼等がよそへ移住して行ってしまうと、彼は空虚を感じて、みるみる老い衰えて行く。

 Mordukhanov《モルドゥカーノフ》君。

 N夫婦の家に妻君の弟が引取られている。若いくせにめそめそした男で、人の物を盗んだり、嘘をついたり、狂言自殺を図ったりする。N夫婦は途方に暮れる。へたに家を追出して自殺をされちゃ堪らないし、またいくら追出したくっても、どんな風にやったらいいのか分らない。彼が手形偽造の罪で収監される。N夫婦は自分達が悪かったのだと思って、涙に暮れる、懊悩する。悲嘆のあまり妻が死ぬと、夫も間もなくその後を追った。そこで財産はすっかり弟の物になったが、彼は放蕩に使い果たして、またもや懲役に行った。

 仮にだよ、僕が嫁に行くとしたら、まあ二日もすれば逃げ出しちまうだろうよ。ところが女というやつは、すぐさま夫の家に居ついちまうんだ。まるでその家で生まれたような工合にね。

 いよいよ君も九等官(Tituliarnyj《チトウリヤルヌイ》 Sovetnik《ソヴエトニク》*)になったね。だが一たい誰に忠告しようと言うんだね? 誰ひとり君の忠告なんか聴く奴がないように願いたいもんだ。
*Sovetnikは顧問乃至忠告者の意。

 トルジョーク*。町会が開かれる。議題は、町の資産増加の件。……決議に曰く、ローマ法王にトルジョークへ移転方を招請すること。すなわち法王の居市と奠《さだ》めること。
*モスクヴァ西北の小工業都市。

 へぼ詩人の歌にこんな句があった。――彼は蝗のごとく逢引に飛びゆけり。

参考】
・チェーホフ全集10 中央公論社
・チェーホフ全集14 中央公論社
・文芸読本「チェーホフ」 河出書房新社
・ 沼野充義「チェーホフ 七分の絶望と三分の希望」講談社

読書ざんまいよせい(039)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(012)


 小説家黒井千次は、こう書く。

 く彼はひどく老い込んでから、若い女と結婚した。すると彼女はみるみる衰へて、彼とともに弱って行った。>
 老い込んだ男が若い嫁をもらって若返るのではなく、衰弱していく老いた夫を見て若い妻がひとりますます艶つぼくなるのでもなく、彼女が夫とともに弱っていくというのはいささか残酷な話だ。この関係を更に煮つめればこんなところにまで来る。
 く持主が死んだら、どうして樹がかうも見事に繁るもんですか?>
 「年々歳々花相似、歳々年々人不同」という詩句があったけれど、チェーホフにはこの人と自然の関わりの間に所有被所有の関係をさしはさみ、樹の側から名指しで人を笑っているようなところがある。おそらく彼は、さわさわと揺れる繁茂した木の葉となって、死んだ持主を笑っているのだろう。けれどその笑いの中には、もしかしたら当の持主の名はアントン・パーヴロヴィチ・チェーホフというのかもしれないぞ、という苦い恐れもにじんでいるように思われるのだ。
 しかし、こうやって「手帖」をめくりめくり楽しんでいたのではきりがない。かって読んだ折には特に目にとまらなかったのだが、今度通読してぼくが最も気に入った一行を最後に引用しておこう。
 <四十五歳の女と関係して、やがて怪談を書きだした。>

 実に老練な小説家らしいチェーホフと一体となった「観察」である。その他、黒井千次は「手帖」から次のような箇所を引用する。

く神経病や神経病患者の数が殖えたのぢやない。神経病に眼の肥えた医者が殖えたのだ。>
<商工業的医学>
く青年が文学界にはいって来ないといふのは、その最も優れた分子が今日では鉄道や工場や産業機関で働いてゐるからである。青年は悉く工業界に身を投じてしまった。それで今や工業の進歩はめざましいものがある。>
くXは日曜になると、スーハレフ広場へ古本を漁りに行く。「可愛いナーヂャへ。作者より」といふ献詞のついた父親の著書をみつける。>
く夫が友人たちをクリミヤの別荘へ招待する。あとで妻は、夫には黙つて勘定書をそのお客さんたちに出して、間代と食事代を受けとる。>
くボターポフは兄と親交を結んで、それが妹への恋のもとになる。妻と離別をする。やがて息子が、兎小屋のプランを送って来る。>
くNはずっと前からZに恋してゐる。ZはXに嫁ぐ。結婚後二年ほどしてZはNを訪れる。彼女は泣いて、何か話がある様子だ。てっきり夫の不平を言ひ出すのだとNは思って待ち構へる。ところがZは、Xを恋してゐることを打ち明けに来たのだった。>

 では、チェーホフの手帖から

 拙劣きわまる芸で、あらゆる役を片っ端から殺しつづけた女優――一生涯、死ぬまでそうだった。人気はないし、その演技は見物に怖毛をふるわせ、いい役を台無しにするのだったが、それでも七十の歳まで女優をしていた。

 自分が悪いと感じる人間だけが悪人であり、従って後悔もできる。

 補祭長は「疑い惑う人々」を呪う。ところが当のその連中はというと、唱歌隊席に立って、自らへの呪詛を歌っているのだ。
      ――スキターレツ

 彼はこんなことを夢想した――妻が足腰たたずに寝込んでいる。彼は後生のために、妻の看病をする。……

 マダムGnusik《グヌーシク》*.
*鼻声。

 油虫がいなくなった。この家に火事が出るぞ!『天一坊《ルジェミートリ》と役者たち』、『ツルゲーネフと猛虎群』――こうした論文を書くことは可能だし、また書かれることだろう。

 題。――『レモンの皮』

 チララ、チララ、兵隊チララ。

 俺はお前の、本腹《ほんばら》の夫《おっと》だぞ!

 海水浴をしていたら、波が、大洋の波がぶつかったので流産。――ヴェスヴィウスが噴火したので流産。

 海と私、ほかには誰ひとりいない。――そんな気がする。

 Trepykhanov《トレプイハーノフ》*君。
*「息をはずませる」

 教育。――彼のところでは、三歳《みっつ》になる赤ん坊が黒いフロックを着て、長靴をはいて、チョッキを着ている。

 誇らしげに、「僕の出身はユーリエフ大学じゃありません、ドルパート大学ですよ!」*
*ドルパート(エストニヤ)はロシヤ名をユーリエフと言う。

 その鬚は魚の尻尾に似ていた。

 ユダヤ人Tsypchik《ツイプチク》*.
*「雛《ひよ》っこ」の意。

 笑うとき、まるで冷たい水の中にすっぽり漬かるような声を出すお嬢さん。

 ママ、稲光りは何で出来てるの?

 領地は厭な臭いがしている、厭な感じがしている。木々は兎にかく植えてはあるが、変てこな工合である。遥か彼方の隅の方では、番人の女房が一日じゅうお客様用の敷布《シーツ》などを洗濯している。――その姿は誰にも見えない。世間はこうした旦那がたに、来る日も来る日も自分たちの権利や、自分たちの高貴さについて喋らせて置くのだ。……

 彼女は犬を極上のキャヴィヤで養っていた。

 われわれの自尊心や自負心はヨーロッパ的だ。しかし発達程度や行動はアジヤ的だ。

 黒犬――まるでオーヴァシューズを穿いているような。

 ロシヤ人の抱いている唯一つの希望は、二十万ルーブルの籤を抽き当てることだ。

 厭らしい女だが、子供はなかなか立派に躾けた。

 人間というものは誰でも、何かしら秘《かく》しているものだ。

 Nの小説の題――『ハーモニイの力』。

 ああ、独身《ひとりもの》男や鰥夫《やもめ》男を知事に任命したらどんなにいいだろう!

 あるモスクヴァの女優が、生れてこのかた七面鳥を見たことがなかった。

 老人の言うことを聞いていると、愚言にあらずんば悪口である。「ママ、ペーチャはお祈りを上げなかったよ。」そこで寝ているペーチャを起こす。彼は泣き泣きお祈りを上げる。それから横になると、いいつけ口をした奴を拳で威かす。

 その人物が男か女かということは、医者でなければとても分るまいと彼は思った。

 一人は正教の坊主になった。もう一人は聖霊否定派の坊主になった。三人目は哲学者になった。本能的にそうなったのである。腰も伸ばさずに朝から晩まできちんと働くのが、みんなてんでに厭だったので。

「一つ胎《はら》の」という言葉が妙に好きな男。――一つ胎の私の兄さん、一つ胎の私の妻、一つ胎の婿、等々。

 ドクトルNは私生児で、父親の膝下に暮したことがなく、父親のことを碌に知らなかった。幼な友達のZが案じ顔でこう告げる、「ねえ君、親父さんが淋しがっておられるぜ。病気なんだ。一目でいいから君に会えまいかと言われるのだが。」父親は『スヰス亭』という食堂を営んでいる。魚のフライをまず手づかみにして、それからフォークで扱う。ヴォトカはぷうんと下等な臭いがする。Nは出掛けて行って、店の様子を眺め、夕食を食べてみた。白髪まじりのこの肥った百姓親爺め、よくもこんなやくざな飯を商売にしやがってと腹が立っただけで、ほかにはこれという感想もなかった。ところが或るとき、夜の十二時にその家の前を通りかかって、ふっと窓を見ると、父親が背中を丸めて帳簿をつけている。その姿が自分にそっくりだった、自分の身振りに生写しだった。……

 鼠色の去勢馬みたいに無能な男。

 つい悪ふざけが過ぎて、そのお嬢さんに蓖麻子《ヒマシ》油を飲ませた。それでお嬢さんはお嫁に行かなかった。

 Nは一生、有名な歌手や役者や文士に罵倒の手紙を書いて出した。――「恥知らずめ、よくものめのめと……」云々。署名はしないで。

 彼(葬儀屋の松明《たいまつ》担ぎ)が三角帽をかぶって、金モールのついたフロックに側条入りのズボンを穿いて現われたとき、彼女は彼を恋してしまった。

 輝くばかりに明るい楽天的な性格。まるで、めそめそした連中をやっつけるために生きているような男。でっぷりして、健康で、大食である。みんな彼を愛しているが、実はそれもめそめそした連中が怖いからに過ぎない。底を割っていえば彼はつまらぬ男である、人間の屑である。ただもう食って大声で笑うだけの男である。やがて彼が死ぬ段になって一同は、彼が何一つしなかったことにやっと気がつく。彼という人間を見違えていたことに気がつく。

 建物の検分が済むと、賄賂を取った委員連中は昼食に舌鼓を打った。それはまるで、喪われた彼等の名誉を追善する会食のようなものだった。

 嘘をつく人は穢ならしい。

 夜中の三時に彼は起される。停車場へ勤めに出るのだ。毎日毎日こうやって、もう十四年になる。

 奥さんが愚痴をこぼす。「あの子に土曜日ごとに下着を更えなさいと書いてやります。すると返事に、なぜ土曜にするんですか、月曜じゃいけませんかと言って来ます。まあいいわ、では月曜にねと言ってやります。するとまた、なぜ月曜がいいのですか、火曜じゃいけませんかと言って来ます。正直ないい子ですけど、世話の焼けるったらありゃしない。」

 賢者は学ぶことを好み、愚者は教うることを好む。(諺)

 平僧も掌院も僧正も、その説教の相酷似せること驚くばかりだ。

 人はよく、万民同胞だとか、民利だとか、勤労だとかいう問題について若いころ論争したことを思い出すものだが、本当は論争なんかやったことはついぞなく、ただ大学時代に酔態を演じたのに過ぎない。また、「学士章を着けている連中は社会の面汚しだ、曾て人間の権利のために、信教や良心の自由のために闘争した面目いまいずこにありや」などと書く。だが彼等は、一度だって闘争なんかしたことはないのだ。

 領地管理人。ブキションといった型の男で、一度も主人に会ったことがない。だから、幻想に生きている。主人は定めし非常に賢い、人物のよくできた、高尚な人だろうと想像して、自分の子供達もそんな風に教育した。ところが、やがて主人がやって来たのを見ると、くだらない、了簡の狭い男だった。そこで眼も当てられぬ幻滅。

参考】
・ユリイカ「特集チェーホフ」1978年6月号 黒井千次「手帖の作家」
写真は、1885年の若きチェーホフ

正岡子規スケッチ帖(006)

編者注】タイトルを変更して…

七月二十六日曇 李《すもも》 此《この》李ハ不折《ふせつ》留守宅ヨリ贈ラル 其《その》庭園中ノモノナリ
七月二十七日曇 越瓜 シロウリ 胡瓜 キウリ

参考】岩波文庫「正岡子規スケッチ帖」

読書ざんまいよせい(038)

◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳

     美姫インペリア

 コンスタンスの宗門会に赴かれるためボルドオの大司教は、供廻りにトゥレーヌ生れの眉目うるわしい雛僧を加えられたが、その若僧の言動の世にも雅びなさまと申したら、ラ・ソルデ*(1)と総督との間に成した愛の結晶との取沙汰まで専らなくらいであった。ボルドオの大司教がトゥールの町を過ぎられた折、トゥールの大司教には進んでこの雛僧を御提供遊ばされたが、大司教たちがお互にかくお稚児をやりとりめされたのは、衆道の神学的むず痒さが如何に烈しいものか、身に沁みて覚えがござったからであろう。この雛僧もかくてはるばる宗門会に参り合い、学徳世にすぐれた大司教どのの館に宿を取られた。フィリップ・ド・マラというこの雛僧は、師の君に見習って行を慎しみ、いとも殊勝に法燈につかえようと発心いたしたが、神秘な宗門会につどった多くの沙門のうち、なかには随分と身をもち崩しながらも、徳行高い僧都にも劣らず、いな、それ以上に、免罪符にあれ、金貨にあれ、僧禄にあれ、たんまりと稼いでおる御仁を、尠からず彼は眼の毒にいたしておった。
 夜としいえばとかく悟道の遮げになるものだが、さてそのある晩のこと、悪魔めがフィリップの耳元に囁き申した。《聖母《エクレジ》寺の豊かな乳房を、僧の誰もが吸っても涸れぬのは、神の存在を立証する何よりの御奇蹟じゃ。されば和僧もいっそ後生楽な暮しをした方が栄耀では御座らぬか。》と教外口伝を受けた折角の好意を、無にするほどの新発意でも彼はなかったので、呆れるくらい素寒貧だったゆえ、金を払わずに済むことなら、旨い御馳走を鱈腹にたべ、独逸の炙肉やソースに食傷するまでに満喫いたそうと、早速《さそく》に思い立ったのであった。大司教を見習い奉り日頃もっぱら克欲に是れつとめてはいたものの、老法師が最早でけぬから戒も犯さず、聖《ひじり》として通っていたに引換え、貧者に冷やかな艶っぽい遊女どもが、はなやかにわんさとのさばっているのを、若い身空の彼は見るにつけて、堪え難い煩悩熱に苦しんだ揚句は、ふさぎの虫にとっつかれるのが屡々でごあった。そもそもコンスタンスにかかる遊び女があまた屯したのは、宗門会の高僧衆の悟道の一助たらんとするに他ならず、意気なこれら鵲《かささぎ》どもは、枢機官、法印、法務僧、法王使、別当、僧正なんどをはじめ、公侯伯などのお歴々をまで、とんと乞食坊主をでもあしらうように、剣突をくらわしめされておったのである。フィリップはこれら生菩薩に、どう言い寄ってよいやら、その手立てを存ぜぬ儘に、いたくもどかしがっておった。毎夜のお祈りの済んだ後で、しさいらしく恋の経文を押し揉んで彼は、ああ言われたらこうも答えようと、いろいろさまざまの場合を予想して、女人衆との問答の独り稽古に励んでいたが、そのくせ翌日の晩祷の折に、装い美美しい姫御前の一人が、太刀佩いた小姓衆に轎脇《かごわき》を守られて、傲然と渡ってゆくのに出逢うと、蠅を捕えようとする犬そこのけに大口をあけたまんま、彼の身心を燃やすあでやかな芳顔を、ぽかんと見送ってしまうのを常といたした。
 宗門会のお歴々の庇護を受けて暮している、これら甘ったれの牝猫どもの上つ方の分際《きわ》と、阿闍梨や律師や法眼の面々が、慇懃を通ずる光栄に浴しておるのは、ひとえに贈物の功徳のお蔭であって、但し贈物と申しても、聖舎利や免罪符などのたぐいではなく、専ら宝石や黄金の功力《くりき》を以てしてじゃと、猊下の祐筆でペリゴール出の御仁が、歯切れのよい調子で、フィリップに開眼してのけられたもので、うぶで世間知らずの彼は、それからというもの、写字の酬いとして大司教から恵まれた鳥目を、他日上人衆の寵姫を一目拝み、その余は神様におまかせする際の元手にいたそうと、せっせとお銭《あし》を藁床の下に蓄え出した。彼は頭の天頂《てっぺん》から爪先まで底抜けの態で、夜会服を纏った牝山羊が、貴婦人に似ている程度には、どうやら殿御らしくもあったが、無性の欲望に鬩《せめ》がれて、夜分、コンスタンスの町々を彷徨し、いのちなど屁とも思わず、衛兵の戟先で串刺しにされる危険を冒してまで、遊君の許に出入する高僧衆の姿をのぞき見して歩いていた。ありようは彼の見たものといえば、館にすぐ点された蝋燭の明りに輝く戸や窓であり、耳にしたものといえば行い澄した僧官やその他の、歌舞音曲のざんざめき、杯盤狼藉のどんちき騒ぎ、酒池肉林の大法会、真言秘密の和讃《ハレルヤ》の色読なんどでごあった。ああら不思議や、そこでは膳部までが御奇蹟を現じて、祭式はすなわち脂ぎったおいしい鍋料理、朝の勤行は豚の脛肉、夜の勤行は腹一杯の生臭物、唱える頌歌は舌ったるい砂糖漬といった塩梅に、物みなあらたかに変性いたしおった矣。ひとしきりかく酒盛が果てるや、これら勇ましい和尚たちも、欣求菩薩でひっそりかんと静まり返り、小姓は階段の上で骰子遊びに夢中になり、鼻息荒い騾馬どもは街頭で大喧嘩、ものなべて上々吉の首尾と相成って、夜もふけて行くのが常でごあった。なれどまた信仰や宗旨もそこになお厳として残ってはおった。だからして善人フス*(2) が火刑せられたのじゃ。が、その訳はというにこの御仁は、招かれずして皿に手を出したからで、借問す、しからば何故フス殿は余人に先立って、異端の新教徒《ユグノー》になられたので御座ろう?
 さるほどに優しい小坊主フィリップは、懈怠の咎から折檻されて、屡々打擲まで受けたが、悪魔がその度毎に雛僧を力づけて、早晩姫御前の許で上人となる番が、彼にも来るものと思い込ませておった。情欲おさえ難いこの雛僧は秋口の牡鹿のように胆太くなって、或晩のこと、コンスタンス第一等の美館へ忍び込んで行った。その館の階段には、いつも侍や家令や下僕や小姓が手に松明をかざし、銘々の主人、王侯僧都の御帰りを待ちあぐんでいるさまを、何度も見て、この館の姫君こそ、必ずや素晴しい天下一の傾城に違いないと考えめされたからである。
 いましがたこの館を立去ったババリヤ侯の文使いと、勘違いされたものか、武装いかめしい見張りの者にも、見咎められずに罷り通ったフィリップ・ド・マラは、さかりのついた猟犬よろしく、素早く階段を駆け上り、えならぬ香料の匂いに惹かれて、とある部屋に入ったが、そこでは丁度この館の女あるじが侍女にかしずかれて、お召替のまっ最中だったので、捕吏に出会った偸盗のように、彼は茫然と其場に立竦んでしまった。寵姫は下着も頭巾もつけぬ、いともあじゃらなていたらくで、腰元や侍女は甲斐甲斐しく沓を脱がせるやら、衣裳を剥ぐやらしておった。うるわしくさわやかな玉の肌、あまりにもあらわなそのあですがたに、敏捷な雛僧もただただ「ああ!」と艶っぽい嘆声を洩らすばかり。
『坊は何しに参ったのじゃ?』と寵姫には訊ねられた。
『魂を御身に捧げんとて。』と眼で美女をむさぼりながら答えた。
『では明日来てたもれ。』雛僧を思いきり嬲ろうとしてか、彼女はそう言った。
顔いっぱい真赧になったフィリップは、優しく答えた。
『必ず参上仕りましょう。』
 寵姫は狂女のように笑い出した。うじうじしてフィリップはぼんやり突っ立っているほどに、次第に心くつろいで、えもいわれぬ恋情に燃えたキューピッドの眼で、じっと彼女を眺め、象牙のように滑らかな背に垂れかかった美しい髪や、波形に縮れた無数の捲毛のひまにちらつく、白いすべすべ光るやわ肌など、飽くこともなく歎賞しつづけた。雪の額に戴いた紅玉は、可笑し涙にうるんだ寵姫の黒い瞳よりも、輝きは褪せていたし、聖櫃のように金泥を塗った反り長の上沓は、ふしだらに身をくねらせたはずみに投げ飛ばされて、白鳥の嘴より小さな足があらわに露出《むきだ》されていた。ひどくこの晩の彼女は機嫌がよかった。そうでもなかったらこの小坊主ごとき、その師たる一の僧正への斟酌もいたさず、情容赦もなく窓から外へと、抛り出されていたに違いはあるまい。
『この御坊の眼の美しいこと!』と侍女の一人が言った。
『どこからやって参ったのじゃやら。』と他の侍女も申した。
『可哀想に、母者人がさぞかし探してござるじゃろう。正道に立戻らせて進ぜましょう。』と奥方には仰せられた。
 悩ましいこの女体が、やがて臥せにゆく金襴の寝床に眼を走らせ、雛僧は五感もいまだ慥かだっただけに、この上ない法悦から胴ぶるいをいたした。恋ごころと甘い悟りに満ちた若僧の眼の色から、寵姫は浮気心を目ざませられて、半ば笑いながら、半ば惚れこみながら、重ねて明日を約して引取らせた。彼女のその追いやりかたに遭っては、法王ジャン*(3)でさえこれに従いめされたであろう。況んや宗門会の決定で法王の職を解かれ、殻を失った蝸牛同然の今日この頃のジャン猊下の身であってみれば、猶更のことである。
『これはしたりマダム、またしても自性清浄の誓願が、色界への欲念にと化けましたぞえ。』と腰元の一人が云ったので、雹のように旺んな大笑いが起った。水も滴る水精よりもあじな上臈を、ちらり見ただけで茫となったフィリップは、まるで冠頂鴉のように、頭を板壁や腰張に打ちつけ打ちつけ出て行った。館の門の上に獣物の像が刻んであるのを横目にして、大司教の許に戻って参ったものの、心はすっかりもろもろの悪魔の眷属に巣くわれ、五臓六腑は妖しくすれからされてしまっていた。早速に己が部屋で一晩中フィリップは金勘定に夜を明かしたが、どう数え直してもただの四枚しかなく、そしてそれが尊き臍繰りの全部だったので、彼はこの世で身一つに持ち合せているものすべてを彼女に捧げて、その歓心を得ようと、深く心に期したのであった。
 フィリップがそわそわして溜息ばかりついているのを見てとったやさしい大司教には、いたく御心配遊ばされて、どうしたのじゃと訊ねられた。
『ああ、和尚様、あんな軽いやさしい手弱女が、どうしてこんなに重く私の胸にのしかかるものか、われとわが身に呆れておる次第なので。』
『してそれはいずくの女人衆じゃ?』と阿闍梨は世の衆生のためにと誦しておられた祈祷書を下において向き直られた。
『ああ、さだめし和尚様からはきついお叱りを受けることで御座いましょうが、実は私、どう踏んでみても上人様級の思いものを、拝んで参ったのでございます。が、かの女人を善心に立返らすようとのお許しを、よしんば和尚様から頂きましたにしても、黄金|一緡《ひとさし》あまりも足らぬもので、いかんともするすべなく、かく打嘆いているのでございます。』
大司教は鼻の上の抑揚音符《やまがた》をしかめられたきり、何とも仰せられなかった。畏った雛僧は、目上の長老にかく懺悔に及んでしまったことを、肌身の下では慄え上っていた。が、すぐと聖《ひじり》は申された。
『さればさだめし高価な女子衆じゃな?』
『左様で、沢山の司教帽をかすめ、多くの笏杖を噛ったげにござりまする。』
『どうじゃフィリップ、その女人を思い切るなら、慈善箱より金貨三十枚取らせようではないか。』
『とんでもございませぬ、和尚様、それでは私がえらく損をいたしまする。』彼は心中かたく期していた饗応に夢中になっていたので、そう答えた。
『おおフィリップ、其方もかの上人衆と同じく、悪魔に誘われて神に叛こうとするのか。』とボルドオの大司教には嘆息せられた。
いたく悲しまれた大司教は、己が下僕を救うべく、童貞男の守り神、聖ガチアンにお祈りを上げ、フィリップを跪かせて、聖フィリップに御加護を願うよう戒告めされた。しかし悪魔にとりつかれていた雛僧は、明日という日に、かの生弁天が彼に大慈大悲の済度をおさずけ下さった際、わが身がとちらぬようにと、声低く祈り出した。熱心げに唱えるその祈誓を聞かれて、お人好しの大司教には、こう叫ばれた。『そうじゃ、フィリップ。勇気を持て。神様は必ずやお前のお祈りを、お聞き届けなされて下さるぞ。』

 その翌日、大司教は宗門会に参られて、宗門の使徒たちの放縦な振舞いを難ぜられている折から、フィリップ・ド・マラは粒々辛苦の結晶たるその蓄財を散じて、香料やら沐浴やら蒸風呂やらその他の下らぬものに費消し、めかしこんであっぱれ色男を気取ったので、どこぞの上臈衆の御稚児衆とも見えたくらいであった。彼は心の女王の棲家を今一度たしかめるべく、町へ出掛けて通りがかりの人に、誰方様のお屋敷かと尋ねると、その人は彼の鼻先であざ笑って、
『美姫インペリア*(4)の名を知らぬとは、さてさて貴殿は何処から参じた疥癬かきどのじゃ。』
 名を聞いた許りで、如何に怖ろしい罠に、われから陥ったかを悟ったフィリップは、悪魔のために大事なお宝をあだに費したことを思い、わだわだと身慄いいたした。
世にも稀な容体振った気儘女インペリアの美しさは、そも生菩薩の来迎にも劣らず、上人衆を手玉にとり、荒くれ武者を誑かし、世の暴君を尻の下に敷くに、かねて妙を得ていた麗人でごあった。それに何ごとにもあれ、寵姫の御用ならと、お声懸りを待ち構えている腕自慢の隊長、射手、貴族の面々を、私兵としてあまた彼女は配下に擁していたので、鶴の一声、ちょっとでも気に逆らう者をあの世に送りこめたし、一度優しくほほえんでみせれば、忽ち怖ろしい血の雨が、俄かに降ったくらいである。だから仏蘭西王の隊長ボオドリクール殿などは、坊主どもにあてつけて、今日はばらして欲しい御仁は御座らぬかと、毎度彼女に訊ねておった。インペリアが婉然とその笑みを与えていた権勢並びない上つ方の高僧衆を除けば、爾余の衆生は彼女の恋の口説手管に乗ぜられて、てもなくその意の儘に牛耳られ、いかな有徳な、また冷厳な御人であろうと、鳥黐に捕えられたていたらくに、なんなく絡められてしまうのでごあった。さればこそ彼女は正真正銘の上臈の奥方や大公妃もただならず、世間から敬し愛され、奥方《マダム》とまで呼ばれる有様であったので、さる権だかいまことの上臈が御憤慨あそばされて、シギスモンド皇帝*(5)に直訴に及ばれたるところ、御仁慈な帝にはかく勅諚あらせられた。
『御辺たち善女は浄い婦徳の天晴れな習わしをあくまで守られるがよく、またマダム・インペリアは女神ヴィーナスのあでな仕来りをこれまた守るがよい。』
 帝のあまりにも柔和なこのキリスト教的な勅答に、なんと怪しからなくも善女たちには、柳眉を逆立てられたということである。
 フィリップは前夜の無賃《ろは》の眼保養を思い出し、所詮あれで全部だったかと危惧いたして、心浮かぬまま飲み食いもせずに、町をぶらついて時の来るのを待ったが、インペリアほど御しがたからぬ女人なら、いくらでも上に跨がれそうな、それはそれは伊達な男振りでござった。
 無明の夜となった。トゥレーヌ生れの美僧は増上慢に胸ふくらかし、欲望で鎧われ、いきづまるほどの嘆声で鞭打たれて、まこと宗門会の女王の館に鰻のようにすべり込んだ。女王と申したは、彼女の前に、宗門のあらゆる碩学、権威、大徳がひれ伏していたからじゃが、館の執事はこの小坊主を不審がって、外に追い出そうとしたのを腰元が見つけて、階段の上から、これアンベエル殿、奥方の大切なお稚児で御座るぞと注意をいたした。
 身の冥加と果報に上気したフィリップは、婚礼の晩のように真赧になって足も躓きがちに螺旋階段を昇った。腰元は彼の手をとって、一間へ案内すると、既に奥方は力くらべの相手を待ちかね顔に、なまめいた薄衣裳でわくわく控えてござった。傍らの金繍の毳だった卓布の上には、素晴しく結構な酒盛の支度が豪勢に並べられてあった。酒の瓶、凝った盃、ヒポクラスの酒壺、サイプラス酒の甕、薬味の容器、孔雀の丸焼、緑色の掛け汁、小豚の塩漬など、もしもフィリップがインペリアにかほど目がくらんでいなかったら、さだめしたんまりと彼の眼を喜ばせたに違いはあるまい。雛僧の眼がすっかりおのれに吸いついているのを見たインペリアは、法燈の御連中の無常迅速な敬虔振りには慣れきっていたのに、今度ばかりは大満悦であった。そのゆえはこの雛僧に昨夜から彼女は夢中となり、今日も一日彼のことが、心臓のなかを駈け廻っていたからである。窓も鎖された。奥方は羅馬帝国の皇太子をでも迎えるように、身支度を整え、よろずよそおいも済んでいた。さればインペリアの聖なる美しさに宣福されたフィリップは、皇帝も藩侯も、いな法王に選出された枢機官とても、今宵いまその頭陀袋の中に、悪魔(鐚銭)と愛執をのみひそませた一介のこの沙弥には及ぶまいと、われと思い定めた程だった。彼は大公を気取って、いとも慇懃雅びやかに奥方に会釈した。奥方はじっと彼に炎の眼を注いで、
『もっと妾のそばへのう。昨日以来変ったかどうか、とくと見たいほどに。』
『いかさまずんと変って御座ろう。』
『はてさてどこが変られたのじゃ。』
『されば昨日は片思い、今宵は相愛の仲じゃほどに、貧しい素寒貧より、一躍して王者を凌ぐ富裕な身の上となり申した。』
『まこと御身は変られたのう。若い雛僧から老獪な悪魔に、一躍にしてなられてじゃ。』と快活に彼女も言った。
二人は赤々とした火の前に寄り添ったが、その温かみは満身に法悦を漲りわたらせた。すぐにも御馳走にくらいつくことも出来たが、彼と彼女は眼で鳩のように見交すより他の考えはなく、皿にお箸をつけるどころではなかった。嬉しそうに二人が楽々と腰を落着けたと思った途端に、奥方の門先を大声でがなりながら叩く只ならぬ物音がいたした。
『奥方さま、邪魔者が入りました。』と息せききってはせつけて来た腰元が言った。
 清興を遮られたことをいきどおる暴君のような権柄な調子で、奥方は何事じゃと叫ばれた。
『コワレの司教がお目にかかりたいそうにございます。』
『あんな奴は悪魔に攫われたがよい。』とインペリアは云って、婉然と雛僧の方を見た。
『隙間から明りが見えたと申し、是が非にもとお取次を願っておりまする。』
『今宵はちと熱気味じゃと伝えてたもれ。正真まったくの話じゃ。妾はこの雛僧にぞっこんと熱を上げ、心身ともにあつあつじゃもの。』
 そう云って身体じゅう沸立っているフィリップの手を、恭々しく握りしめたとき、コワレの司教が、息弾ませながら怒り立ったでっぷり姿を現わした。後に続いた家隷が、ラインでとれたばかりの鱒を、坊主料理で調じて金の皿に盛り、ついでさまざまの薬味箱だの、くさぐさの珍肴、さては彼の僧院の浄い尼さんが作ったジャムだの、醸し酒だのを、運び入れた。
『は、はあ、悪魔に攫わそうとお切匙なされずとも、どうせ悪魔の許に赴く筈のこの身でござるわ。』と司教は野太い声で言った。
『あなたのお腹も何時かは見事な剣の鞘となり申そう。』と柳眉をひそめながら奥方には答えたが、今迄の美しく楽しげな容子もどこへやら、人を慄え上らせるほどそれは邪悪な相と変った。
『してこの合唱隊の小童《こわっぱ》は、奉納物でござるか!』と幅広い赭ら顔を優しいフィリップの方に向けて、司教は不遜げに申した。
『猊下、やつがれはマダムの懺悔聴聞に参り合いました。』
『はてさて、其方は宗法を存ぜぬのか。上臈衆の夜半の懺悔は、司教にのみ遺された権利じゃぞ。……早々と退散いたせ、並の坊主の仲間へ戻りおろう。二度と此処へ来るな。さもなくば破門をいたすぞ。』
『戻るには及ばぬぞや。』とインペリアは吼えるように叫んだ。恋に燃える艶姿より、憤怒に燃える形相の方が、遥かに美しく濃艶なくらいだった。彼女の裡には恋と怒がともどもに宿っておったからである。
『フィリップ、帰ってはならぬ。ここはそなたの家も同然じゃ。』
そう云われてフィリップは、奥方から真底愛されていることを悟った。
『ジョザアファトの谷における最後の審判の折は、神の御前にて人は上下平等であると、祈祷書にも福音書にも申しては御座らぬか?』と彼女は司教に向って申した。
『それはバイブルをまぜっかえした悪魔の作りごとで、たださように書かれてあるだけじゃ。』早く食卓に就こうとあせっていた巨大愚鈍のコワレ司教はさよう答えた。
『ならば下界に於ける御辺らの女神である妾の前では、何とぞ四海平等に振舞ってほしいものじゃ。さもなくばいつの日か、御身の頭と肩の間を、やんわり人に絞めさせましょうぞ。法王の剃髪《さかやき》にもたくらぶべき妾の神通力ある剃髪にかけて、そのことは誓いまするぞ。』そうは言ったものの鱒や薬味や珍肴を、夕餉の品数に加えたく思って、彼女は抜かりなく附け加えた。
『まあそれより坐って、ちくと一献いかがじゃ。』
 こすい紅鶸インペリアは、かかる羽目に陥ったことは毎々なので、いとしい情人に目はじきをして、葡萄酒が即決を下してくれるゆえ、こんな独逸坊主なぞすぐ盛り潰そうほどに気にかけるには当らぬ旨を知らせた。腰元は司教を食卓につなぎつけ、しかと縛めたが、フィリップは待望久しかった果報が、煙と消えたのにむしゃくしゃして、しぜん口も噤みがちになり、この世の坊主の数よりも多い悪魔の眷属に、この司教めを引渡してやりたいと内心では思っておった。食事もはや半ばに及んだが、インペリアにしか飢えていなかったフィリップは、卓上にも手をつけず、物も云わず奥方にひしと寄り添って、ピリオドもコンマもアクセントも綴りも字体も字づらもなくとも、上臈衆にのみは通ずるあの楽しい心言葉を語り聞かせていた。亡き母が彼を縫いこんでくれた坊主肌の上っ張りを、後生大事にいたしていた色好みの肥大漢コワレは、嫋やかな手でマダムがお酌するヒポクラスの酒を、陶然としてあおり続けておったが、そろそろ曖気《おくび》も出かかった頃おい、俄かに通りの方で騎馬行列の騒がしい物音が聞えた。幾頭もの馬や、「ほう、ほう」という侍童の掛け声で、恋路を急ぐ貴人の着御ということが解った。げにその通り、インペリアの下人には、玄関払いをくらわしかねたラグーザ枢機官が、間もなく彼女の部屋に姿を現わした。悲しい羽目に陥った奥方と雛僧とは、昨日からの癩病やみのように恥じ入って、ちいさくなってしまわれた。この枢機官を追い出そうと計るのは、悪魔を誘惑するも同じい難事だったし、それに丁度、法王の三人の候補者が宗門のためと称して辞退した後で、この枢機官が法王になるかも解らなかった時であった。ラグーザ枢機官はこすからい伊太利人で、髯むじゃらの大の詭弁家、かねて宗門会の一方の旗頭であったが、この場の一から十までを、彼の悟性の最も弱い働きでもって、すぐと察して、その腹の虫をいやすには如何にすべきかなんど、長く思案に及ぶまでもなかった。彼は坊主の食い気に駆られて着到いたしたが、おのれが飽食せんが為には、なんと非道にも、坊主二人を刺殺し、真正の十字架の切れ端をも、売却しかねまじい性分でごあった。それで彼は《ちょっと》と云って、フィリップを小脇へ呼んだ。可哀想にフィリップは悪魔の手がいよいよわが身に及んだことを観念して、生きた心地もおりなかったが、立上っていとも険相の枢機官に、《なに御用で?》と訊ねた。ラグーザは彼の腕をむずと掴んで階段の方へ連れて行き、フィリップの白眼をきっと見ながら、ずけずけと申した。
『やいやい、見れば不憫な若僧のようだが、お前の臓腑が何匁あったかをお前の親方に、告げ知らせるのは、いたわしくてならぬわい。貴様を眠らせて気晴しを遂げたがために、晩年になって仏心を起し、菩提を弔う仕儀に到るのは真平じゃい。されば其方は寺領の主となって余命を永らうるか、はたまた今夜、この館の姫の主となって、明日という日に息の根を絶たれるか、二つに一つを選ぶがよいぞ。』
 不憫なフィリップは絶望しながら言った。
『猊下の御執心がさめた後ならば、また戻って来て差支えありませんでしょうか。』
 怒る気勢も挫けた枢機官は、けれど厳かにこう言った。
『さあ選べ。絞り首か寺領か。』
『ああ、そんならいっそ大きな寺領にして下され。』とフィリップはこすからく答えた。
 と聞くや枢機官は部屋に戻り、インキ壺をとり寄せ、フランスの法王使節にあてた指令書を、特許状の端に書きなぐった。寺領という文字を書きかけた時、フィリップは口をはさんだ。『猊下、コワレの司教は、兵隊が入り浸る町の居酒屋の数ほども、あまたの寺領を持っておりますし、神様の思召しも浅からぬ御仁ですから、私のように易々と、追い立てる訳にも参りますまい。立派な寺領を頂戴する御礼に、素晴しい智恵をお貸し申しましょう。いま巴里では凄じいくらいコレラが蔓延して、住民いたく難渋に及んでいることは御存じでございましょう。ですから猊下の古馴染のボルドオの大司教が、コレラでころりと御陀仏の引導を渡しての帰り途だと、あの司教に御披露なされませ。すればコワレ殿は大風の前の藁屑のように、大急ぎで退散いたすに相違ござりませぬ。』『ほ、ほう、お前の入智恵は寺領一つでは惜しいくらいじゃ。よし、これ、ここに黄金百枚ある。昨日カルタで勝って手に入れたテュルプネイ僧院を、其方へ棚牡丹《たなぼた》式につかわすゆえ、そこへ赴く路用にいたせ。』
 こうした言葉の遣り取りを聞き、またフィリップがこちらの望む、愛の真髄の籠ったむずがゆい眼差を、彼女に投げもせずにのめのめ退散するのを見て、牝獅子のインペリアは若僧の卑劣さを見破り、海豚のように頬を膨らませた。己れの執心に一命を捧げることも出来ずに、恋人をあざむくような男を赦すことは、信仰篤い女人でもなかったので、彼女にはなおと不可能であった。されば蝮蛇の眼差でフィリップを蔑み見たインペリアの眼には、雛僧の死がありあり彫まれてあったが、それは枢機官をいたく喜ばせるものであった。呉れてやった寺領もすぐまた元に戻るわいと、好色な伊太利人は看て取ったからである。しかしフィリップは嵐の迫ったのにも毫も気にかけず、人に夕方追っ払われる濡犬そっくり、耳を垂れ、口を噤んだまま、すごすご逃げ出して行ったので、奥方は腹の底からの溜息を洩らされた。人間という性の悪いものの本体を、そのちょっとでも掴めたら、早速に火あぶりにでもしてやりたいくらいに彼女は思った。というのは彼女を領じていた体内の火が、あたまに上りきって、インペリアの周囲一帯に、焔の火箭となってむらむら燃え上っていたからである。それも御道理様で、坊主にだまされたのは、これが彼女には最初のことだった。そのさまを見てとった枢機官は、もうこれからはこっちの天下とばかり北叟笑んでおったとは、なんと狡い御仁では御座らぬか。いや、それも尤もじゃ、赤帽かぶった枢機官どのじゃもの。
ラグーザ枢機官はコワレに申した。
『これはこれは御僧、おぬしと同席は近頃光栄至極でござる。ましてや奥方に、ても似つかわしからぬあの小坊主を、首尾よく追い出したれば、なおさらのことじゃ。と申す訳は美しくあでやかなわが牝鹿どのに、かやつ近づこうものなら、平僧の分際でいて、立ち処に無慙な死神を呼び出す仕儀にいたるは必定じゃからのう。』
『ほう、それはまた何故でござる?』
『さればさ、彼奴はボルドオの大司教の書記めじゃが、その大司教どのには今朝がた怖ろしい疫病に取りつかれたからじゃ。』
司教はチーズでもまるごと嚥下しようとする時のような大口を開けた。
『へえ、どうして猊下にはそれを御存じで?』
『さればさ、儂はいましがた、かの和尚に末期の聖餐礼を執行して、慰めて参ったばかりのところなのじゃ。今時分は大方、あの聖も紫の雲にのって、天国へ急いでおることじゃろう。』とコワレの手を握りながら枢機官には申された。
 コワレの司教は肥満した御仁が如何に身軽いかを実演いたしてみせられた。何故なら便腹の御仁は神のお恵みに依り起居も難渋であろうと、その代りには風船のような弾性ある内部の管を授けられているからで、さればコワレもわだわだと汗ばみながら、一跳びうしろにとびしざって、飼葉と一緒に羽根でも口に入った牛のように、烈しく鼻鳴らすとともに、さっと蒼ざめて、奥方に別れの言葉さえ告げずに、階段をころがり落ちて行った。やがて表の扉もしまり、司教が街なかをころげ去ってゆく様子に、ラグーザどのは腹をかかえて面白がっておられたが、
『なんと身共は法王の位に適うはもとより、御身が今宵の情人としてもふさわしくは御座らぬか喃。』と言った。
 しかしインペリアがいたく懸念げなのを見た枢機官は、彼女の傍らに寄って両手であやなし、枢機官式にゆすぶり、ちょうらかそうとした。そもそも枢機官といったれば、兵隊はおろか他の何人にも増して、釣鐘打ちの上手、ゆすぶりの名人でごあるが、そのいわれは根が閑人で、人性を損うまいとする天晴れ殊勝なる心掛によるものでもござろうか。
『まあ滅相もない。気が違われたか枢機官どの、御身は妾を殺そうとなされるのか。ここな意地わるの極道坊主め、御身にとって大事なは、ただ快楽をむさぼることのみじゃ。妾の美しい一物なぞ、その小道具なのでござろう。妾を御身の快楽の犠牲に供し、あとで妾を聖者の列に加えようと思召さるるか。ああ、御身はコレラに罹り、妾にもそれを移そうとめさる。能無し御坊、廻れ右して早く立去られるがよい。ゆめ妾に触れてたもるな。』と彼女は身を退けながら云ったが、猶も枢機官が迫って来るのを見て、『さもなくばこの短刀でぐさりと一つ御見舞申しまするぞえ。』
 そういって素早く彼女は腰袋から小さな短剣を取出した。これなん、時に応じ機に乗じ、彼女が巧みに使いわけしておった代物である。
『したがわが小さな天国よ、いとしの姫御よ、儂がコワレの老牛を追い払う算段にいたした調略を、何故にそなたはさとらぬのじゃ。』と笑いながら枢機官は云った。
『されば妾がいとしいとなら、即刻その実証を見せてたもれ。さ、すぐに立帰って欲しいのじゃ。御身が病気に罹ったとしたら、妾の死ぬることも、さだめし平気なので御座ろう。いまわの折の饗宴を、あの一瞬の歓楽を、どんなに御身が常日頃より大事がっているかは、御身の人柄を知る妾にはよくと解るのじゃ。あとは野となれ山となれと、御身が酔った砌り、ぬかしおったは妾の耳底にこびり残っておる。妾とても愛するのはこの身ばかり、妾の財宝、妾の健康ばかりじゃ。さればお帰りめされ、もし疫病に五臓も凍りついておらなんだなら、明日妾に会いにおじゃれ。今日のみは御身と雖も真平じゃ。』と彼女は微笑を含みながら言った。
『インペリア、わが浄きインペリア、わしをなぶらんでくれい。』と枢機官は跪いて叫んだ。
『これはしたり、浄いあらたかなものを、どうして妾がなぶりましょう。』
『おお、この性わる遊女め、儂は御身を破門するぞ。明日こそはのう。』
『まあ、枢機官さまには枢機官の分別を失われたと見ゆる。』
『インペリア、悪魔の穢らわしい阿魔め、あ、ああ、さりながら美しい生菩薩、わがいとしの姫御前。』『体面をお考えめされ。跪くのはお止め下され。さてもあさましい。』
『のう、インペリア、臨終の際の特赦状をそちに授けようではないか。儂の財宝残らずを取らそう。いや、もっと大事なもの、わしの持っている本物の十字架の切れ端を、そなたにとらすとしよう、如何じゃ。』
『たとえ天地の財宝悉くを以てしても、今宵の妾の心は購えませぬ。』と彼女はにっこと笑いながら言った。
『万一、妾にこの我儘がなかったなら、それこそ御主イエス・キリストの聖礼拝受の資格のない罪人の、その最後の者となりはてましょう。』
『この館に火をかけるぞ。妖女め、儂をすっかり惑わしおったな。そなたを火あぶりにしてくれよう。……じゃがのう。インペリア、いとしのお人、儂はそなたに天国で極上の場席を予約して進ぜよう。どうじゃ。なに、いやか。じゃ死ね、魔法使の妖女め。くたばりおろう。』
『おお、そんなら妾はそなたをとり殺しまするぞ。』
 枢機官はたけだけしい忿怒のあまり、口から泡を出された。
『さては気が狂われましたか、早くお立退きめされ。さぞお疲れじゃろうに。』
『儂は法王になるのじゃ。この恨みは存分に晴らすぞ。』
『ではもう妾に従われぬほぞを固められてか。』
『今宵そなたの気に入るには、一体どうすればよいのじゃ。』
『さればお戻り下され。』
 彼女は鶺鴒のように軽く身を飜して部屋に駈け込み、なかから錠をさしたので、枢機官は怒り猛られたが詮方なく、遂に退散にと及ばれた。
 インペリアは一人ぼっちで炉の前に腰を卸したが、もうお稚児の僧もいないので、忿怒のあまり金の小鎖を打ちちぎって、こう叫んだ。
『悪魔の二重三重の角にかけて申すが、あの雛僧の為に枢機官どのと妾は大悶着を起し、思い切りあの人を懐柔でもしておかぬと、明日が日は毒殺の憂目を見ねばならぬ羽目に立到った。ええい、眼の前であの小僧が生きながら皮を剥がれるのでも見ねば、到底に死にきれぬわ。ああ――と彼女は今度こそ本当の涙を流しながら云った。――ああ、妾はまことに不幸な目に陥ってじゃ。時折おこぼれほどの果報にありつく報いに、後生の怖ろしさは別として、犬のような稼業をせねばならぬとはのう。』
 一くさりインペリアの愁嘆の場が済んだ時分、巧みに身を今迄かくしていた雛僧の赤い顔が、そっと彼女のうしろからさしのぞいて、ヴェネチアの大鏡に映っているのを彼女は見かけた。
『おお、このコンスタンスの浄い恋の町に、坊主沙門はあまたあれど、おぬしほど申し分のない道心、美しい可愛い沙弥、雛僧、新発意は他にないぞや。さあ、こちらへ来やれ。やさしい騎士、可愛い息子、妾のお腹、わが歓喜のパラダイスよ。御身の眼をのみたい。御身の肉むらを食いたい。恋責めに御身を殺してみたい。おお、わが栄えある青春の永遠の神よ、さあこちらへ参りや。しがない僧都から、御身を王に、皇帝に、法王に、万人の中でのいっち果報者にしてくれましょうぞ。ここな部屋うちのすべてを、火に血に投じても苦しゅうはない。妾は御身のものじゃ、その証拠をとくと示し参らそう。御身はすぐに枢機官となるのじゃ。御身の帽子を枢機官帽のように赤くするためなら、妾の心臓の血悉くを注いで進ぜよう。』
 慄える手で嬉しげに彼女は太っちょのコワレ司教の持参いたした金の杯に、ギリシャの酒をなみなみと注いで、跪いてフィリップに捧げた。法王のスリッパーより彼女のスリッパーを、公侯のお歴々が珍重ただならぬそのインペリア姫が、跪いたのである。しかしフィリップは恋ほしやの目で、黙って彼女を見つめるばかり。インペリアはついに喜悦に身ぶるいしながら申した。
『さあ、和子、何も云わずともよい、先ずは夜食をまいらしょう。』

 (1)ラ・ソルデはブウルゲイユ(シノンより四里の在所)のバター作りの女で、浮気で別嬪で陽気な田舎小町。
 (2)ジャン・フス(一三六九―一四一五)ボヘミアの宗教改革家、コンスタンスの宗教会議にて異端者として火刑に処せらる。
 (3)ジャン法王(ジャン二三代)(一三六〇―一四一九)一四一〇年法王となり一四一五年に廃黜さる。
 (4)インペリア(一四五五―一五一一)ローマの遊君、ミューズ・ルネッサンスと称せらる。その美貌と才気を以て当時に冠たり。
 (5)シギスモンド皇帝(一三六八―一四三七)一三八七年ハンガリヤ王、一四一一年より三七年までドイツ皇帝。

「美姫インペリア LABELLEIMPÉRIA」 の訳者による解説

 「巴里評論」に発表された。但しその前年十一月、「カリカテュール」誌にアルフレ・クウドルウなる筆名で、バルザックは「大司教」という本篇のエスキスとも見るべきコントを発表している。訳出して新樹社版「風流滑稽譚拾遺」にのせたから参照せられたい。バルザックはインペリア物を他に二編書いている。「節婦インペリア」(Ⅲ)「慈婦インペリア」(拾遺)がそれである。インペリアは実在人物で、ジョアシヤン・デュ・ベレエ、フィリップ・ベロアルド、アレチノ、バンデルロ、ヴェルヴィルなど十六世紀文人がそれぞれ取上げているが、ミューズ・ルネッサンスと称せられた。バルザックが本篇のヒントを得たのはヴェルヴィルの「立身の途」(第七章)からであろう。但しコンスタンスの宗門会(一四一四―一四一八年)の折は、まだインペリアは生れてなかったが、宗門会に集まった外国人は十万名、娼婦遊女で上玉の部類に属するもの千五百名が同地の風儀を紊したという。なお巴里のコレラ流行は一四一六、七年で、人口は十分の一に減じたとのことである。またこの作品は脚色上演されたことがある。

読書ざんまいよせい(037)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(011)

編者注】神西清が訳した「チェーホフの手帖」は、実は、まだ作品に使われていない題材に限られており、その一部分にすぎない。その他、小説や戯曲に使われたメモは、中央公論社「チェーホフ全集」に池田健太郎訳で収録されている。今後、チェーホフの小説を扱う投稿の中で、「部分引用」の形で、紹介する機会もあろう。

 劇団の座頭《ざがしら》兼舞台監督が、寝床の中で新作の脚本を読む。三四頁読むと愛想が尽きて、床《ゆか》に叩きつけ、蝋燭を消して毛布にくるまる。暫くすると思い直して、また脚本を拾って読みはじめる。やがてまた、だらだらした無能な作品に腹が立って、また床に叩きつけ、また蝋燭を消す。暫くするとまた読みだす。……やがて上演したら、散々の不評だった。

 Nは気むずかしい陰気な重苦しい男だが、それでいてこんなことを言う、「私は冗談が好きですよ。いつも冗談ばかり言っています。」

 妻は小説を書く。それが夫の気にくわない。だが気持のこまやかな男なので、それが言い出せず、死ぬまでそれで悩み通す。

 女優の運命。――はじめは、ケルチ(クリミヤの町)の裕福な良家の娘、生の倦怠、何か満ち足りない心境。――舞台に立つ、慈善事業、燃えるような恋、やがて情人達。――最後に、毒を仰いで自殺を図る、未遂。それからケルチ、肥った伯父の家での生活、孤独の愉しさ。女優には酒も結婚も妊娠も禁物だということを、彼女はしみじみと悟る。演劇が芸術になるのはまだまだ未来のことだ。今のところは未来のための闘いのみ。

 (憤然と訓戒口調で)「なぜ俺に、お前の女房の手紙を読ません?親類ではないか。」

 神よ、願わくは我をして、自《みず》ら知らずまた解さぬことを非難し或いは語らしめ給うな。

 なぜみんな弱者だの陰気者だの不道徳漢ばっかり描くんでしょうな? そう言って、強者や健康者や面白い人間だけを描けと忠告する時、人は暗に自分自身を指しているのである。

 戯曲のために。――何ということなしに嘘ばかりついている男。

 補祭 Katakombov*《カタコムボフ》.
*地下の納骨所。

 文芸批評家N・N。尤もらしい、自信たっぷりの、非常にリベラルな男だ。彼が詩の話をする。彼はすぐに相手の説を認める、なるほど仰しゃる通りでと言う。――天分の少しもない男だなと云うことが、私にはすぐ分った(私は彼のものは読んだことがない)。誰かが、アイ・ペトリ(クリミヤの山)へ行こうと言い出す。雨が降りそうだからと私は反対したが、やっぱり出掛けることになる。泥濘《ぬかるみ》の道、雨が降り出す。批評家は私の隣に腰かけている。私は彼の無能さを感じる。連中は彼にお世辞を使って、僧正のように持ち上げる。帰り途は晴れたので、私は徒歩で帰った。何と人々は好んで自己偽瞞をやりたがることだろう。何と彼等は予言者や占者が好きなのだろう、まったく何という衆愚どもだ! まだそのほかに、一行のなかには中年の勅任官がいた。彼が沈黙を守っていたのは、自分を正しいと考えて、その批評家を軽蔑していたからであり、また同じく天分がないからでもある。利口な人達と同席しているので、微笑《わら》うまいとするお嬢さん。

 Alexej《アレクセイ》 Ivanych《イヴァヌチ》Prokhladiteljnyj《プロクラディチェリヌイ》氏(冷やす)、或いはDushespasiteljnyj《ドウシェスパシチェルジニー》氏(魂を救う)。お嬢さん曰く、「あの人の所へ嫁ってもいいけど、Prokhladiteljnaja《プロフラジチェルナハ》夫人なんて厭な名ね。」

 動物園長の夢。先ず最初にモルモットが動物園に寄附される。次に駝鳥、次に禿鷹、次に羊、それからまたもや駝鳥。寄附が際限なく続くので、動物園は満員になる。――余りの怖ろしさに園長は目をさます、汗びっしょりになって。……

 馬を車に附けるのは鈍《のろ》いが、馬車を走らせるとなると速い、そんなところがこの国民の性質の中にある――と、曾《かつ》てビスマルクが言った。

 役者というものは金があると、手紙を出さずに電報を打つ。

 昆虫界では芋虫から蝶々が出る。人間界では反対に、蝶々さんから芋虫が出る。

 飼犬は食物を呉れて可愛がって呉れる主人たちにはなつかないで、打《ぶ》ってばかりいる赤の他人の料理女になついた。

 ソフィーは、吹抜け風で愛犬が風邪を引きはしまいかと心配だった。

 この辺の地味はすばらしく上等です。ためしに梶棒《かじぼう》を植えて御覧なさい、一年たったら馬車が生えますよ。

 非常に考えの進んだ、自由思想の持主であるXとZとが結婚した。ある晩、仲よく話をしているうちに、口論をはじめて、やがて掴み合いになった。翌る朝、お互いに恥かしく、狐につままれたような気持がする。あれは何か例外的な神経作用だったのだろうと考える。次の晩もまた口論と掴み合い。それが毎晩つづいた挙句に、自分達も別に教養がある訳ではなく、世間並みの野蛮人なのだということにやっと気がついた。

 戯曲。客を避けるために、下戸のZが大酒家のふりをする。

 子供が出来ると、私たちは妥協癖や町人根性などという持ち前の弱点を、そっくり「これも子供のため」とかこつける。

 ――伯爵様、わたくしはモルデグンヂヤ*へ参ります。
*「しゃっ面の国」ほどの意。

 Varvara《ヴァルバーラ》 Nedotiopina*《ネドチョーピナ》嬢。
*「できそこない」ほどの意。

 技師または医師Zが、編輯長をしている伯父を訪問する。面白くなって、度々訪ねて行くうちに寄稿をする様になり、だんだん自分の仕事を投げやりにする。ある夜更け編輯局を出てから、ふと思い出して、頭を抱える――万事休す! 白髪がふえる。それからと云うものこれが習慣になって、すっかり白髪頭になり、皺だらけになる。そして尊敬すべき、しかし名も無い出版屋になった。

 三等官の老人が、子供たちに見ならって、自分も自由主義者になる。

 新聞『輪形パン』。

 サーカスの道化役――これは才物である。彼と話をしている案内人は、フロックを着てはいるが凡俗である。嘲りの薄笑いを浮べた案内人。

 ノヴォズィブコフ*から出て来た伯母さん。
*欧露の町の名。「新しい揺籃」ほどの意。

 あの男は脳軟化症にかかったので、脳味噌が耳へ漏って来たんですよ。

 なに、文士だと? よし五十銭で文士にしてやる。それでもなりたいか?

 正誤表。――Perevodchik《ベレヴォツチク》(訳者)はPodriadchik《ポドリアツチク》(請負師)の誤植。

 四十になるみっともない無能な女優が、晩飯に鷓鴣《しゃこ》を食べた。私は鷓鴣が可哀そうでならなかった。この女優よりもこの鷓鴣の方が、生涯どれだけ才能あり怜悧であり潔白であったか知れないと、今さらに思い偲んだ。

 医者は私にこう語るのを常とした、「もし君のからださえ保《も》つなら、思う存分に飲みたまえ。」(ゴルブーノフ*)
*十九世紀後半の俳優兼民話作者。

 Karl《カルル》 Kremertartarlau《クレメルタルラウ》君。

 野原の遠景、白樺が一本。その画の下の題銘に曰く、孤独。

 客たちは帰った。彼等はカルタをしていた。帰った後の乱雑さ――一ぱいにこもった煙草のけむり、ちらばった紙きれ、皿小鉢。しかし肝腎なのは、黎明と回想。

 馬鹿者に褒められるより、その手に掛って討死した方がましだ。

 持主が死んだら、どうして樹がこうも見事に繁るもんですか?

 登場人物が図書室を備えている。だがいつも他家《よそ》へお客に行っている。さっぱり閲覧者がないのである。

 人生はいかにも宏大無辺なものに見えはするが、人間はやっぱり五銭銅貨の上にちょこなんと坐ってるのさ。

 ゾロトノーシャ*だって? そんな町はない! あるもんか!
*欧露の町の名。「金を含有する」の意。

 彼は笑うとき、歯と上下の歯茎を見せる。

 彼は心を擾さぬ文学が好きだった。即ちシラー、ホメロス等々。

 女教師Nが、夕方家に帰る途中で、知合いの女から思いがけない話をきく。それは、Xが彼女を恋していて、結婚を申込もうと思っている、というのである。不器量で、結婚のことなどついぞ考えたこともなかったNは、帰宅してから、怖ろしさのあまり長いこと顫えている。それから、その晩は一睡もせずに、泣き明かす。やがて明けがた近くになると、Xを慕うようになる。ところがその日のお午《ひる》ごろ、あの話はただの当て推量で、Xの求婚の相手は彼女ではなく、Yであることを知る。

 四十五歳の女と関係して、やがて怪談を書きだした。

 私は印度へ行った夢を見ました。するとその地方の領主とか王侯とかいう人から、象を贈られました。しかも二匹も贈られたんです。その象にすっかり悩まされて、とうとう眼がさめました。

 八十爺さんが六十爺さんを相手に話している、「よくも恥かしくないね、お若いの!」

 教会で「今日ぞ吾等が救いの|はじめ《グラヴィーズナ》」を合唱している時、彼は家で魚の頭《グラヴィーズナ》のスープを煮ていた。ヨハネ斬首の日には、首に因む丸いものは一さい口に入れなかったが、家の子供たちを打ちのめした。*
*「斬る」と「打つ」は同じ語根sekを有する。

 記者が紙上に嘘を書いたが、本当を書いた様な気がしていた。

 孤独が怖ければ、結婚をするな。

 御本人は金持だが、お母さんは養老院にいる。

 お嫁さんを貰って、家具を入れて、書き卓《つくえ》を買って、文房具を揃えた。ところが何一つ書くことがなかった。

 ファウスト曰く、「なんでも用に立つ事は知ることが出来ず、知っている事は用に立たぬ。*」
*この句は鴎外の訳による。

 嘘をついても人々は信じる。ただ権威を以て語れ。

 やがて墓の中にひとり横たわるように、実際の俺は一人ぼっちで生きている。

 ドイツ人が言う、「主よ、われら蕎麦菓子《グレシネヴィキ》*を憐れみたまえ。」
*Greshniki(罪人)を言い違えた。

 「ああ、私の大事な吹出物《おでき》さん」と許嫁《いいなずけ》がうっとりした声で言った。相手はちょっと考えていたが、やがて腹を立てて――破談になった。

 瓶はフニアジ・ヤノス*の瓶だが、中には桜ん坊か何かの酢漬けがはいっている。
*鉱泉水の名。