日本人と漢詩(072)

◎柏木如亭
少し如亭の話題を続ける。

還京城寓所 京城の寓所《ぐうしょ》に還《かえ》る
京寓還來便當家 京寓《きやうぐう》還《かへ》り来《きた》つて便《すなは》ち家に当つ
嵐山鴨水舊生涯 嵐山鴨水の旧生涯《きゅうしょうがい》
老夫不是求官者 老夫《ろうふ》 是《こ》れ官を求《もとむ》る者にあらず
祇愛平安城外花 祇《た》だ愛す 平安城外《へいあんじょうがい》の花

【語釈】
當家:家の用事
舊生涯:宋・文天祥『桃源県』「山水は旧生涯」
老夫:宋・劉過『東林寺に題す』「老夫は官職を愛せざるが為に、狂名を買い得て世間に満つ」
求官:宋・蘇軾『千乗・千能両姪の郷に還るを送る」「生を治《おさ》めて富を求めず、書を読みて官を求めず」
祇:『助語審象』「祇ハ、ヤハリ其所ヲハナレズシテ始終ソレニナリユク意ナリ」以上の意なら助辞としての「祇」の使い方は抜群である。

如亭は、1807年(文化4年)と、1818年(文化15年)に京の都で居住していたらしい。そして、西日本各地を巡歴、「持病の水腫が悪化し、文政2年(1819年)7月10日に京都で没した。」(Wikipedia 「柏木如亭」の項)以上の七言絶句は、無官で花を愛する身の京暮らしの趣きを語る。また「詩本草」では、その京都の食べ物についても綴る。

京名品
平安萬世帝都。城中熱閙、市井誼譁、無物不有、無事不有、不必待言。其名園花卉、城外風景、餘之七載留滯尙未能言詳。獨于飮膳粗識一二。此可以言已。夫祇園田樂豆腐、加茂閉甕菜、北山松蕈、東寺芋魁、錦巷肉糕、桂川香魚、兒童亦知其佳。(以下略)

京の名品
平安は万世の帝都なり。城中の熱閙《ねつだう》、市井の誼譁《けんくわ》、物として有らざる無く、事として有らざる無きは、必ずしも言を待たず。その名園の花卉《くわき》、城外の風景、余の七載の留滞すら尚ほ未だ詳を言ふこと能はず。独り飲膳において粗《ほ》ぼ一二を識る。此以て言ふ可きのみ。それ祇園の田楽豆腐・加茂の閉甕《ミズキ》菜・北山の松蕈《まつたけ》・東寺の芋魁《いもがしら》・錦巷の肉糕《カマボコ》・桂川香魚《アユ》は児童も亦たその佳なるを知る。

彼が列挙した京の食べ物のうち、当方が口にしたのはそのすべてではない。松茸はもちろん、香魚、田楽豆腐なども記憶にない。法事の帰りにお決まりの「芋棒」の里いもとタラの煮つけ、正月に食べる錦市場の「カマボコ」くらいか?その中では「ミズキ=すぐき」は。今でもなじみであり、京独特の漬物らしい。すこし発酵した後の味わいは独特のものがあるが、子ども時代は全く受け付けなかった。大阪出身の父にも口に合わず、大根や茄子の「あっさり漬け」ないし「ぬか漬け」(京都では「どぼ漬け」と称していた。)のほうが好みであったようだ。それに「つけもんなんか、子どもの食べるもんやない」と口癖だった。せいぜい、ほのかに甘い「千枚漬け」の1枚か2枚、ご飯の後でつまんだものだった。

【参考文献】
・柏木如亭詩集 2 東洋文庫
・「詩本草」 岩波文庫

日本人と漢詩(071)

◎柏木如亭と洪駒父《こうくふ》
前回の続きで、不滅の中国四大美人、西施のミルクに例えられた、ふぐの話題。

「聯珠詩格」は、元の時代に出来上がった唐宋詩のアンソロジーだが、本場中国では逸亡したが、日本では、盛唐詩偏重の詩風が収まってきた江戸時代後期に本格的に復刻された。前回、登場した柏木如亭はその中から抜粋して、「訳注聯珠詩格」を享和元年(1801年)に出版した。宋・洪駒父の詩はその中には収められていないが、原著には目を通していたことだろう。

西施乳
蔞蒿短短荻芽肥 蔞蒿《ろうこう》短短《たんたん》として荻芽《てきが》肥《こ》ゆ
正是河豚欲上時  正に是れ河豚《かとん》上《のぼ》らんと欲《ほっ》する時
甘美遠勝西子乳 甘美 遠く西子が乳に勝《まさ》れり
吳王當日未曾知 呉王 当日 未だ曽《かつ》て知らず

蔞蒿:よもぎ、はこべ
荻芽:萩の若芽、竹の子に似ている
西子:西施のこと、平仄の関係で子とした
河豚の種類が違う中国では、食べ頃の旬が春とされたようだ。ヨモギが茂り、萩の芽がつく春に河をフグがさかのぼる春、西施のミルクに勝るとも劣らない。呉王の夫差は毒があるのも知らないで、西施に耽溺したので、自身の滅亡を知る由もなかった。

河豚 柏木如亭 「詩本草」より(続き)
關東賞以冬月。餘所以有雪園蘿菔自甘美、不待春洲生萩芽之句。(中略)至周紫芝平生所缺惟一死、可更杯中論鏌鎁、可謂先得吾心者矣。
関東、賞するに冬月を以てす。余が「雪園の蘿菔《らふく》自《おの》づから甘美。春洲《しゅんしゅう》萩芽《てきが》を生ずるを待たず」の句有る所以《ゆえん》なり。(中略)周紫芝《しゅうしし》が「平生《へいぜい》欠く所惟《た》だ一死。更に杯中鏌鎁《ばくや》を論ず可けんや」といふに至つては、先づ吾が心を得る者と謂ひつ可し。

蘿菔:大根のこと。当時の河フグの調理法として、みそ味で大根と一緒に煮た鍋物だっとらしい。
周紫芝:宋の詩人。如亭は彼を含む宋時代の絶句のアンソロジー「宋詩清絶」を出版した。
鏌鎁:春秋時代、呉の刀工の名で彼が鋳造した刀剣。

引用された如亭の七言絶句

冬日食河豚。河豚至冬日雪飛始肥江戶人時以爲珍雜蘿菔而爲羹味最美矣
冬日河豚食ふ。河豚は冬日、雪の飛ぶに至つて始めて肥ゆ。江戸の人、時を以て珍と為し、蘿菔を雑へて、羹《あつもの》と為《な》す。味、最も美なり
天下無雙西子乳 天下無双《むそう》西子乳《せいしにゅう》
百錢買得入貧家 百銭 買ひ得て 貧家《ひんか》に入る
雪園蘿菔自甘美 雪園の蘿菔《らふく》自《おの》づから甘美
不待春洲生萩芽 春洲《しゅんしゅう》萩芽《てきが》を生ずるを待たず
梅堯臣詩春洲生萩芽春岸飛楊花河豚當是時貴不數魚蝦 梅堯臣《ばいぎょうしん》の詩に「春洲萩芽を生じ、春岸楊花を飛ばす。河豚是の時に当たり、貴《とうと》きこと魚蝦《ぎょか》を数《かぞ》へず
魚蝦:サカナとエビ
貧乏人の家でも、フグは天下に並びないものなので、ここぞと奮発して、手に入れる。甘みのある大根と一緒に煮こむと絶品で、梅堯臣の言うように、春になり、萩が芽吹くのを待っていられない。

図は、Wikipedia より。この絵によると西施は細身で、楊貴妃に比べるとやや淡泊な印象。だとすると河豚のあっさりした味わいを表しているかもしれない。しかし、その身には毒が内在しているので、くわばらくわばら…
【参考文献】
・揖斐高「江戸漢詩の情景」(岩波新書)
・柏木如亭「詩本草」(岩波文庫)
・同「訳注聯珠詩格」(岩波文庫)
・同「柏木如亭詩集 1」(平凡社 東洋文庫)