日本人と漢詩(003)

森鷗外(続々)
詠伯林婦人七絶句 其一 試衣娘子(Probrimamsella)
試衣娘子艷如花 試衣の娘子《ぢやうし》 艶《つや》あるは花の如《ごと》し
時樣粧成豈厭奢 時様《じやう》に粧《よそほひ》ひ成して 豈《あ》に奢《おごれ》るに厭《あ》くや
自道妃嬪非有種 自《みづか》ら道《い》ふ「妃嬪《ひひん》 種《しゆ》あるに非ず
平生不上碧燈車 平生は碧灯車《へきとうしや》に上《のぼ》らざるのみ」
【語義私注】
試衣娘子
ファッションモデル
時樣
最新流行の衣装、化粧
粧成
めかし込む、「鴎外歴史文学集」第十二巻(以後「歴文12」と略)では、注釈者の古田島洋介氏は、「粧」を動詞、「成」は「〜しとげる」との意であると述べる。これで、よく分かった。
妃嬪非有種
やんごとない姫君も、わたしらと同じ人間よ!
碧燈車
よく分からない、「歴文12」では、南斉国の姫君が乗った馬車に拠るとあるが、鷗外君はベルリンで、青いランプがぶらさがる馬車を見たのかも。
 以下、「脱線」ついでに、もう一回鷗外で戯文風に…
 吾輩は、ドクトルOガイである。懲りもせずに、吾輩の現みの世の姿、森鴎外君の漢詩を披露していきたいと考えている。
 鷗外君は、明治17年(1884年)から明治21年(1888年)まで、衛生学研究のためドイツ留学したのは、承知しておられるだろうな。しかし、最後の年、1888年には、鉄血宰相ビスマルクとも面会して、名探偵として事件を解決したことまではご存知あるまい。ただし、それは、推理小説での上のことじゃが…(海渡 英祐「伯林‐1888年」)
 ベルリン到着後、何事も几帳面な性分なので、鷗外君は丹念に日記をつけた。名づけてずばり「独逸日記」。また、留学中に体験したこもごもを「舞姫などの作品として書き上げたから、帰らぬ青春という創作上の原点でもあったのだろう。「独逸日記」の中に、ベルリンのご婦人の生態を写し出した漢詩、「詠伯林婦人七絶句」という連作がある。こういう方面は、ほんとにまめであるのお。写真は、廿壱世紀のパリコレならぬベルコレ試衣展示会の模様、電子網独逸大使館頁から拝借した(笑)。

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