日本人と漢詩(055)

◎森鴎外と魚玄機


 唐代の女流詩人・魚玄機を扱ったのが、森鴎外の小説「魚玄機」。
青空文庫→ https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2051_22886.html
 彼女の短くも情熱的な人生の割には、ドロドロした色合いはなく、小説は淡白である。「舞姫」でも意外にもそうであったように、こうしたことが鷗外の持ち味かもしれない。
 小説中の魚玄機の漢詩五首から…
賦得江邊柳 江辺《こうへん》の柳を賦《ふ》し得《え》たり
翠色連荒岸 翠色《すゐしよく》荒岸《くわうがん》に連《つら》なり
烟姿入遠樓 烟姿《えんし》遠楼《ゑんろう》に入《い》る
影鋪秋水面 影《かげ》は秋水《しうすゐ》の面《おもて》に鋪《の》べ
花落釣人頭 花《はな》は釣人《つりびと》の頭《かうべ》に落《お》

根老藏魚窟 根《ね》は老《お》いて魚窟《ぎよくつ》藏《か》くれ
枝低繋客舟 枝《えだ》は低《ひ》くく客舟《きやくしう》繋《つな》がる
蕭々風雨夜 蕭々《せうせう》たり風雨《ふうう》の夜《よ》
驚夢復添愁 夢《ゆめ》より驚《さ》めて復《ま》た愁《うれ》ひを添《そ》ふ
 モザイクのような詩句である。「お題拝借」とあるから、自ずからそうなったのだろう。時の高名な詩人・温庭筠がひと目見て絶賛したという。
 語釈、訳は、http://kanbunkenkyu88.blog-rpg.com/%E9%AD%9A%E7…/20171124 を参照。
遊崇眞觀南樓覩新及第題名處 崇真観《しゆうしんくわん》の南楼《なんろう》に遊《あそ》び、新及第《しんきふだい》の名《な》を題《だい》せし処《ところ》を覩《み》る
雲峯滿目放春晴 雲峯満目《うんぽうまんもく》春晴《しゆんせい》を放《はな》ち
歷歷銀鈎指下生 歴々《れきれき》たる銀鈎《ぎんこう》下生《かせい》を指《さ》す
自恨羅衣掩詩句 自《みづか》ら恨《うら》む羅衣《らい》の詩句《しく》を掩《おほ》ふを 
擧頭空羨榜中名 頭《かうべ》を挙《あ》げて空《むな》しく羨《うらや》む榜中《ばうちゆう》の名《な》を
語釈と訳は、http://kanbunkenkyu88.blog-rpg.com/…/%E4%B9%9D%E3%80…
を参照のこと
贈鄰女 隣女《りんぢよ》に贈《おく》る
羞日遮羅袖 日《ひ》を羞《さ》けて羅袖《らしう》もて遮《さへ》ぎる
愁春懶起粧 春《はる》を愁《うれ》ひて起粧《きしやう》するに懶《もの》うし
易求無價寶 求《もと》め易《やす》きは価《あたひ》無《な》き宝《たから》
難得有心郞 得《え》難《がた》きは心《こゝろ》有《あ》る郎 《らう》
枕上潛垂淚 枕上《ちんじやう》潜《ひそ》かに涙《なみだ》 を垂《な》がし
花閒暗斷腸 花間《くわかん》暗《ひそ》かに腸《はらわた》 を断《た》つ
自能窺宋玉 自《みづ》から能《よ》く宋玉《そうぎよく》を窺《うかゞ》ふ
何必恨王昌 何《なん》ぞ必《かなら》ずしも王昌《わうしやう》を恨《うら》まん
那珂秀穂訳
面《おも》はゆや 袖にかくれて
逝く春を 起きて粧《よそ》ひぬ
瑠璃珠《るりたま》は求《と》めやすけれど
得がたきは情《こころ》ある人
忍びねに枕ぬらして
花の夜を嘆きあかせど
命さえ捨てて悔いなき
人あらば誰を恨まむ
 頸聯は、広く知られた対句。鴎外は、小説のなかで、采蘋という同性愛?の対象であった、女性を登場させており、本邦の女流詩人原采蘋を連想させるが、どうやら鴎外の創作であるらしい。
 語釈、訳は、 http://www.kangin.or.jp/…/text/chinese/kanshi_C28_2.html
を参照のこと。
寄飛卿 飛卿《ひけい》に寄《よ》す
堦砌亂蛩鳴 堦砌《かいぜい》乱蛩《らんきよう》鳴《な》き
庭柯烟露淸 庭柯《ていか》烟露《えんろ》清《きよ》し
月中鄰樂響 月中《げつちゆう》隣楽《りんがく》響《ひゞ》き
樓上遠山明 楼上遠山明ろうじやうゑんざんあきらかなり
珍簟涼風到 珍簟《ちんてん》に涼風《りやうふう》到《いた》り
瑤琴寄恨生 瑶琴《えうきん》に寄恨《きこん》生《うま》る
嵇君懶書札 嵇君《けいくん》書札《しよさつ》に懶《もの》うし
底物慰秋情 底物《なにごと》ぞ秋情《しうじやう》を慰《なぐさ》めん
 語釈と訳は、http://kanbunkenkyu88.blog-rpg.com/…/%E4%B9%9D%E3%80…
 を参照のこと。
感懷寄人 感懐《かんくわい》人《ひと》に寄《よ》す
恨寄朱絃上 恨《うら》みを朱絃《しゆげん》の上《うへ》に《よ》寄せ
含情意不任 情《じやう》を含《ふく》めど意《い》任《まか》せず
早知雲雨會 早《はや》くも知《し》る雲雨《うんう》会《くわい》するを
未起蕙蘭心 未《いま》だ起《おこ》さず蕙蘭《けいらん》の心《こゝろ》
灼々桃兼李 灼々《しやく/\》たる桃《もゝ》と李《すもゝ》
無妨國士尋 国士《こくし》の尋《たづ》ぬるを妨《さま》たぐるなし
蒼々松與桂 蒼々《さう/\》たる松《まつ》と桂《かつら》
仍羨世人欽 仍《な》ほ羨《うら》やむ世人《よのひと》の欽《あふ》ぐを
月色庭階淨 月色《げつしよく》庭階《ていかい》に浄《きよ》く
歌聲竹院深 歌声《かせい》竹院《ちくゐん》に深《ふか》し
門前紅葉地 門前《もんぜん》紅葉《こうえふ》の地《ち》
不掃待知音 掃《はら》はず知音《ちいん》を待《ま》つ
語釈と訳は、 http://kanbunkenkyuu010.blog.fc2.com/blog-entry-374.html を参照のこと。
中国ないし本邦女流詩人の紹介は、これで一区切りとする。最後に魚玄機の詩をもう一首。
賣殘牡丹  売残の牡丹
臨風興嘆落花頻     風に臨んで落花の頻を興嘆す
芳意潜消又一春     芳意 潜に消して又一春
応為価高人不問     応に価高きが為に人 問わざるべし
却縁香甚蝶難親     却って香の甚しきに縁って蝶 親しみ難し
紅英只称生宮里     紅英 只だ称う宮里に生みしを
翠葉那堪染路塵     翠葉 那ぞ堪えん路塵を染めしを
及至移根上林苑     根を移すに至るに及ぶ上林の苑
王孫方恨買無因     王孫 方に恨む買うに因し無きを
語釈と訳は、
http://blog.livedoor.jp/kanbuniink…/archives/23202183.html
を参照のこと
那珂秀穂訳
風に落つる牡丹の花の 哀れさよ
かくてまた この春も 暮れゆく
値の高きゆゑに 買ふ人もなく
香り高きゆゑに 蝶も近かよらず
紅き花びらは 九重の奥にこそ
緑の葉は 世の塵をいとらふむも
上林に 移し植ゑられなば
買はむすべなきを恨まんものを
哀切感が切々と伝わる名訳である。
参考)「魚玄機・薛濤」(漢詩体系15)
図は、 https://www.easyatm.com.tw/wiki/%E9%AD%9A%E7%8E%84%E6%A9%9F から

日本人と漢詩(047)

◎佐藤春夫と魚玄機、薛涛


 女流詩人の話題は続く。また先日とりあげた佐藤春夫の「車塵集」からの紹介。唐代の名媛詩人の双璧では、魚玄機と薛涛であろう。薛涛のほうが時代は先行し、中唐の頃、魚玄機は晩唐の詩人に属する。江戸時代以降、日本でも広く読まれ、江馬細香あたりにも影響を与えた、とある。
音に啼く鳥 薛涛   
檻草結同心 ま垣の草をゆひ結び
将以遺知音 なさけ知る人にしるべせむ
春愁正断絶 春のうれひのきはまりて
春鳥復哀吟 春の鳥こそ音にも啼け
秋ふかくして 魚玄機
自嘆多情是足愁 わかきなやみに得も堪えで
況当風月満庭秋 わがなかなかに頼むかな
洞房偏与更声近 今はた秋もふけまさる
夜夜燈前欲白頭 夜ごとの閨に白みゆく髪
春のをとめ 薛涛
風花日将老 しづ心なく散る花に
佳期猶渺渺 なげきぞながきわが袂
不結同心人 情をつくす君をなみ
空結同心草 つむや愁ひのつくづくし
図は、薛涛の画像
横田むつみ「日本における薛濤詩の受容」から( https://www.nishogakusha-u.ac.jp/…/07kanbun-01yokota.pdf )
佐藤春夫の訳は、https://blog.goo.ne.jp/bonito_1929/e/2332b67d7487115138d0b07991acc539
から