日本人と漢詩(052)

◎那珂秀穂、小田嶽夫、武田泰淳と薛濤


 先日、紹介した佐藤春夫訳も含めて、それぞれの訳は、それぞれの趣きがあるようだ。「大唐帝国の女性たち」での訓読訳も捨てがたい。
春望詞 其一
花開不同賞 花開《さ》けど同《とも》に賞《め》でられず
花落不同悲 花落《ち》れど同に悲しめず
欲問相思處 相思所《こいするところ》を問わんと欲《すれ》ば
花開花落時 花開き花落る時と
訳詞)
・那珂秀穂訳
花咲きてうれしかるとも
花散りてかなしかるとも
いかがせむ 君はいづくに
ながむるや 咲きて散る花
・小田嶽夫、武田泰淳訳
花が咲いたら しぼんだら
かたりあひたいあのひとと
うれしかなしもむねのうち
花が咲くのに しぼむのに
 其二 
攬草結同心 草を攬《ぬ》いて同心を結び
將以遺知音 将《まさ》に以て知音《とも》に遺《おく》らんとす
春愁正斷絶 春愁 正に断絶し
春鳥復哀吟 春鳥 復《ま》た哀吟す
訳詞)
・那珂秀穂訳
垣根ぐさ誓《うけ》ひ結びて
なつかしき人にしめさむ
春なればいよよ切なく
春鳥の啼く音《ね》かなしも
 其三 
風花日將老 風花 日に将《まさ》に老いんとし
佳期猶渺渺 佳期《けっこんのひ》 猶お渺渺《びょうびょう》たり
不結同心人 同心の人と結《むす》ばれず
空結同心草 空しく同心の草を結ぶ
訳詞)
・那珂秀穂訳
風に散るたそがれの
はるのなごりぞほのかなる
思ほゆ君にわが逢わで
むなしく結ぶめをと艸
 其四 
那堪花滿枝 何ぞ堪《た》ん 花 枝に満ちて
翻作兩相思 翻《かえ》って作す両相思《こいごころ》
玉筯垂朝鏡 玉筯《なみだ》 朝の鏡に垂れるを
春風知不知 春風は知るや知らずや
訳詞)
・那珂秀穂訳
花咲きぬ 枝もたわわに
わが恋のつのるがごとく
朝鏡 うつるなみだを
春の風 知るや知らずや
参考)高世瑜「大唐帝国の女性たち」
「魚玄機 薛濤」(漢詩体系15)
写真は唐代の女性の騎馬姿の俑人形

日本人と漢詩(048)

◎江馬細香、佐藤春夫と薛涛(旧字では濤)

江馬細香は薛濤の詩を読んでいたようだ。その詩集より
・燈下読名媛詩歸 灯下に名媛詩帰を読む
靜夜沈沈著枕遲 静夜沈沈として枕に著くこと遅し
挑燈閑讀列媛詞 灯を挑《かかげ》て閑《しず》かに読む列媛の詞
才人薄命何如此 才人の薄命何ぞ此の如き
多半空閨恨外詩 多半《たはん》は空閨外《がい》を恨むの詩
[語釈]
名媛詩歸:中国古代から明までの女流詩人詩集。名媛は才色兼備。恨外:夫をうらむ。
・夏日偶作《かじつぐうさく》
永日如年晝漏遲 永日《えいじつ》年《とし》の如く 昼漏《ちゅうろう》遅し
霏微細雨熟梅時 霏微《ひび》たる細雨 熟梅の時
午窗眠足深閨靜 午窓《ごそう》眠り足りて 深閨《しんけい》静かなり
臨得香奩四艷詩 臨《のぞ》み得たり 香奩《こうえん》四艶《しえん》の詩
[語釈]
昼漏:昼間の時間、漏は水時計、細香の実家は裕福だったようなので、ひょっとするとゼンマイ仕掛けの時計だったかもしれない。霏微:細やかに降りしきるさま。閨:婦人部屋。香奩:化粧箱、転じて女流の意。四艶:唐の魚玄機、薛濤、宋の李淸照あたりだろうか?もうひとりは誰なのか?興味の湧くところである。
薛濤の夏の詩から
蝉 蝉《せみ》
露滌淸音遠 露滌《ろじょう》清音《せいおん》遠《とお》ざかり
風吹故葉齊 風吹いて故葉《こよう》斉《ひと》し
聲聲似相接 声声《せいせい》相接《あいせつ》するが似《ごと》きも
各在一枝棲 各《おのおの》一枝《いっし》に在りて棲《す》む
佐藤春夫の訳
せぜのせせらぎかそけくて
枯葉《かれは》とよしも風わたり
音《ね》はもろ声にひびきども
みなおちこちに各自《おのがじじ》
参考)日本における薛濤詩の受容 https://www.nishogakusha-u.ac.jp/…/07kanbun-01yokota.pdf
江馬細香詩集「湘夢遺稿」上(図・「細香筆 白描竹」も同書より)
魚玄機 薛濤(漢詩大系15)

日本人と漢詩(047)

◎佐藤春夫と魚玄機、薛涛


 女流詩人の話題は続く。また先日とりあげた佐藤春夫の「車塵集」からの紹介。唐代の名媛詩人の双璧では、魚玄機と薛涛であろう。薛涛のほうが時代は先行し、中唐の頃、魚玄機は晩唐の詩人に属する。江戸時代以降、日本でも広く読まれ、江馬細香あたりにも影響を与えた、とある。
音に啼く鳥 薛涛   
檻草結同心 ま垣の草をゆひ結び
将以遺知音 なさけ知る人にしるべせむ
春愁正断絶 春のうれひのきはまりて
春鳥復哀吟 春の鳥こそ音にも啼け
秋ふかくして 魚玄機
自嘆多情是足愁 わかきなやみに得も堪えで
況当風月満庭秋 わがなかなかに頼むかな
洞房偏与更声近 今はた秋もふけまさる
夜夜燈前欲白頭 夜ごとの閨に白みゆく髪
春のをとめ 薛涛
風花日将老 しづ心なく散る花に
佳期猶渺渺 なげきぞながきわが袂
不結同心人 情をつくす君をなみ
空結同心草 つむや愁ひのつくづくし
図は、薛涛の画像
横田むつみ「日本における薛濤詩の受容」から( https://www.nishogakusha-u.ac.jp/…/07kanbun-01yokota.pdf )
佐藤春夫の訳は、https://blog.goo.ne.jp/bonito_1929/e/2332b67d7487115138d0b07991acc539
から