日本人と漢詩(073)

◎宋希璟と「老松堂日本行録」(続き)

 

朝鮮半島から、対馬、九州、瀬戸内海の港に停泊しながら、現在の西宮に上陸、のちは「西国街道」をたどって京都に向かった。西国街道は、江戸時代に京から瀬戸内海への通路として整備され、「忠臣蔵=赤穂浪士」の登場人物、萱野三平の屋敷跡もこの街道沿いにあった。(Wikipedia https://w.wiki/6N9Q)室町時代にも、京へのショートカットとして利用されたようだ。
さて、使節の宋希璟は、そんなに社会的関心が強いほうではない。それでも西宮に上陸後、すぐに、食糧難民に出くわした。漢詩自体が伝統的に社会的関心が濃厚だった伝統ゆえか、彼の役人としての「経世救民」の心情のためか、次の一首を詠んでいる。
二十日發兵庫向王所路中雜詠二首 (四月)二十日兵庫を発して王所に向う路中の雑詠 二首
過利時老美夜店 利時老美夜店を過ぐ
處〃神堂處〃僧 処〃の神堂処〃の僧
人多遊手少畦丁 人に遊手多畦丁少なし
雖云耕鏧無餘事 耕鏧に余事なし云うと雖も
每聽飢民乞食聲 毎《つね》に聴く飢民の食を乞うる声
日本人多又多飢人又多殘疾處〃道邊合坐逢行人卽乞錢 日本は人多し。また飢人多く、また殘疾多し。処々の道辺に合坐し、行人に逢えば即ち錢を乞う。

語注】利時老美夜:にしのみや、摂津国西宮
畦丁:農民

宿盛加臥店用前韻 盛加臥店に宿す 前韻を用う
良人男女半爲僧 良人の男女は半ばは僧と為る
誰是公家役使丁 誰か是れ公家《こうけ》役使の丁ならん
未見賓來支對者 未だ賓《ひん》来りて支対する者を見ず
唯聞處〃誦經聲 唯聞くは処々に経を誦《よ》む声

語注】盛加臥:摂津国瀬川、西国街道の宿駅、現在の箕面市瀬川、瀬川神社のある所だろう
公家:朝廷。国家

貧窮の結果、仏門に入るものが多く、出迎えもなく、僧侶の読経の声がむなしく響く、といった所か?
小学校低学年の頃は、箕面市の隣、池田市石橋井口堂に住み、北豊島小学校にかよっており、瀬川神社のあたりまでが遊びのテリトリーだった記憶がある。

日本人と漢詩(068)

◎宋希璟と「老松堂日本行録」

少し、日本人と漢詩という括り方とは離れる。
「老松堂日本行録」は、1420年、室町時代に李徴朝鮮王朝使節として来日した宋希璟(송희경 1378-1446)の著作。足利義満の子、義持の時代、1429年、正式な使節団が朝鮮から派遣される以前のこと、前年には対馬(長崎県)を攻めた応永の外寇が起こっているから、政情はまだ不安定だったことだろう。その中で、往復9ヶ月をかけての、朝鮮・漢陽↔日本・京都の見聞記を序をつけての漢詩の体裁でまとめたのが本書である。その中では当時の日本での大衆の生活をなかなか鋭い観察眼で詩にまとめており、興味深い。おいおいその部分は紹介するが、まずは漢陽を出発するときの巻頭の七言絶句から。

是月十五日受命発京路上即事
特報綸音出漢陽
馬頭佳到柳初黄
此去忩(怱の異字)々人識未
好伝王語奏明光

是《こ》の月十五日命を受けて京を発する路上の即事《そくじ》
特に綸音《りんおん》を報じて漢陽を出ず
馬頭の佳到 柳初《はじ》めて黄なり
此《ここ》を去る怱々《そうそう》にして人識《し》ること未《いま》だし
好し王語を伝えて明光《めいこう》に奏せん

語釈
馬頭の佳到 馬上から見える佳い景色
柳初めて黄なり 李白「宮中行楽詩」柳の色は黄金の嫩《やわら》かに、梨の花は白雪の香《か》んばし
明光 朝鮮の宮廷を指すが、漢武亭の建てた宮殿に由来する 杜甫「壮遊」賦を奏して明光に入りぬ

とまずはこれからの旅路を見通して、その抱負を語る。

考えて見るに、日本と朝鮮半島の交流・外交関係は、直接に歴代中国王朝とのやりとりの中での間接的な折衝はあったにせよ、古代を除いてはそんなに緊密ではなかったようだ。その例外的な事象が、室町時代と江戸時代(途中、「文禄・慶長の役」という日本の侵略を挟む)に起こった。室町時代は、宋希璟の来日を先駆けとして、室町時代では、1429年以降3回、豊臣時代でも2回、江戸時代では計14回に上っている。(Wikipedia 朝鮮通信使)室町時代は、通信使への返礼として、禅僧を朝鮮に派遣したという。江戸時代は、そうした返礼はなかったところには、徳川政権のある種の「狡猾さ」があったのかもしれない。西洋世界にも明るかった新井白石ですら、朝鮮との関係を「朝衡」と「上から目線」でみていたのも象徴的である。もっとも対馬藩と縁が深かった雨森芳州(Wikipedia)は、通信使と対等な詩の応酬をしているのを見ると、関係はずいぶん成熟しているとも言える。
いずれにしても近代になってからの不幸な関係を考えれば、室町~江戸にかけての交流でくみ取れる教訓が存在していることは間違いない。

【参考文献】
・宋希璟「老松堂日本行録」 村井章介校注 岩波文庫
・三橋広夫「これならわかる 韓国・朝鮮の歴史」 大月書店
図は左「首全(李氏朝鮮首都漢陽[現在のソウル])全図 wikipedia より 右宋希璟の漢陽⇔京都での行程図