日本人と漢詩(069)

◎江南先生と「六朝詩選俗訓」
普 無名氏・子夜歌十六首より
郞爲傍人取 郎 傍人に取られ
負儂非一事 儂《われ》に負くとこ一事に非ず
攤門不安橫 門を攤《たん》して横を安《ささ》ず
無復相關意 復《ま》た相ひ関する意無し

こちの人は よそのひとにとられた
わしを袖にさつしやること 一《イ》ちどや二どのことではなひ
門の戸をたてよせて くはんぬき《閂》をさゝぬ
もふしめくゝりするきもなひ

⚪関は、門にかけては関鎖とて門うぃしめること、人事にかけては関渉とてかゝりあふこと、又関束とて身帯などのしめくゝりすること、此《コ》詩関する意も無しと云《イツ》て、門戸をしめる心もなきと、かけかまふ意もなしと秀句せるなり。⚪又門を明離《アケハナ》しに横木《くわんぬき》をも安《さゝ》ずに置て何時皈《(帰)》られずとも郎の勝手次第にて置たがよひ。門を関《しめ》る意も無ひ、郎がことに相関《かまふ》意もなひ。郎が放埒を関束《しめくゝ》る意も、身帯家内の事に関鎖《しめくゝり》する意も無いと云。

三句、四句が若干、意味が取れない。門にカギをかける、かけないなどもうどうでもよいことなのか、カギをかけないとは、男に未練がまだ残っているのか、それとも両方の意味なのか?お判りいただければご教示願いたい。

もう一首、やや艶っぽい詩を紹介する。

擥枕北窻臥 枕を攬《とり》て北窓に臥す
郎來就儂嬉 郎来り儂《われ》に就《つ》きて嬉《き》す
小喜多唐突 小喜 多く唐突
相憐能幾時 相憐む 能《よ》く幾時《いくとき》ぞ

まくらをひきよせ なんどにねてゐれば
わしによりそいて ちわをする
ちとうれしいと思へば つかふどなことばかり
しつぽりとすることは よふどれあらふ

なんど:主に家の女性の居所。
ちわ:痴話喧嘩の「ちわ」
つかうど:不愛想。原文の「唐突」は、「つっかかる」くらいの意味。結構、多義的にも解釈できる。

「訳者」の江南先生は、本名は田中応清(1728-1780)、医学と漢学を学び、後者は荻生徂徠の流れを汲む。徂徠の主張は唐時代、それも盛唐の詩を模範とするもので、江南先生が、唐以前の南朝時代の詩、それも艶っぽい題材を選んだのはその後の「江戸情緒」の先触れとして興味深い。晩年は、京都、大阪で医術を生業として、本書を出版、岡山で客死した。

「東洋文庫」の解説で、一首が紹介されていた。
https://japanknowledge.com/articles/blogtoyo/entry.html?entryid=139

【参考文献】「六朝詩選俗訓」江南先生訓訳 都留春雄・釜谷武志校注