後退りの記(008)

◎ハインリッヒ・マン「アンリ四世の青春」
◎メリメ「シャルル九世年代記」(岩波文庫)

メリメ(Wikipedia)はいわずと知れた「カルメン」などのフランスの小説家。片方では、歴史家でもあったようだ。そんな彼に、バルテルミーの虐殺をテーマにした歴史小説ともいえる「シャルル九世年代記」がある。

閣下。あなたが八月二十四日の虐殺をご覧になつたら! もしあなたが血で真赤に染つたセーヌ河、雪解けあとの氷片よりも多くの死骸を運んだあの河をご覧でしたら、我等の敵に対してそんなご同情なさらないでせう。私は旧教徒は皆虐殺者だと思ひます

実際は、シャルル九世の登場は少ないが、メリメは、精神的に病んでいた(国王の重圧に耐えかねた、シャルル九世の一言が虐殺を惹起したと示唆する。小説では、肉親や友人の登場で物語が綴られる。その代表として、兄弟がカトリックとプロテスタントに分かれて戦った、ヂョルジュ大尉とベルナール・メルヂー、その恋愛の対象、ディアーヌ夫人、いづれも小説の上での架空人物であろうが、昨日まで、日常の普通の会話をしていただけに、その結末はあまりにも痛ましい。

自分の国を悪く言ふものぢやないよ。我我を包囲するこの軍隊の中には、君の言ふやうな悪人は少いよ。兵士は王の給料が欲しさに鋤鍬を捨てて来た百姓だし、貴族や中隊長は王に忠誠の誓ひをしたから已むを得ず戦つてゐるのさ、恐らくは彼等の方が正当で、我々は叛逆者さ

「寛容」(トレーランス)という言葉は、中世から近世にかけては、現代に比べ、やや低次元に使われていた、と読んだことがある。言葉が正確か自信がないが「仕方なく許す」とでも言おうか?もちろん、その傍らでエラスムスやラブレーなどフマニストが、この言葉に磨きをかけていったが…
医学・生物学の用語に「免疫学的寛容」というのがある。これは、生体内では、抗原と抗体は厳密に一対ではなく、自分とは違う異物には、かなり曖昧な関係があることを指す。片方では、この曖昧さから、免疫がからむいろんな病気が成り立つが、ギリギリのところで、ウィルスや細菌などから防御しているという絶妙のバランスが保たれている。
フランス宗教戦争においては、途中「寛容」が図られたことはあったが、そのバランスが短時間に崩れてしまった。現代に当てはめると、超大国の「悪」を許さないことには、やぶさかでないが、日常的な付き合いの中で、相手を「仕方なく許す」といった「寛容」を活かせる道はないのだろうかと、ふと夢想してみる。

後退りの記(002)

◎シラー「悲劇 マリア・ストゥアルト」 岩波文庫
◎ツヴァイク「メリー・スチュアート」 みすず書房

前回、ハインリッヒ・マン「アンリ四世の青春」がらみで言えば、王母カトリーヌ・ド・メディシスの長男にして、夭折したフランソワ2世(François II de France, 1544年1月19日 – 1560年12月5日)と結婚したのが、後のスコットランド女王・メアリー・シュチュアート。彼女のその後の人生は、様々な小説、伝記、脚本、映画などでの題材を提供した。最期の数日間を緊迫するセリフで描いたのが、シラーの戯曲。そのクライマックスとも言える、政敵エリザベス女王との直接対決のシーン。

マリア:…---姉上!この全島国に代えても、いや、大洋に囲まれたすべての国を呉れるといわれても、私は今のこのあなたのような、そんな態度であなたの前に立ちたくはありません!
エリーザベット:とうとうあなたもご自分の敗北を承認なさったのね。策略もこれで尽きたのですか。もはや刺客も、来ようとしてはいませんか。この上、冒険者があなたのために悲しい騎士の努めを敢えてつくすことはないのですか。ーーーそうとも、もうお終いですよ、マリア様。

女王の寵臣で、メアリーとまんざらの中でもなかったレスター卿の思慕の思いが復活し、助命活動に傾きかけたところの、直前の裏切りなど必ずしも史実には忠実ではないだろう。ただ、レスター卿のマリアの最期を見届ける段での、彼の嘆きは、充分にドラマティックである。

レスター:(ただ一人居残って)俺はまだ生きている!この上にも生きておらねばならぬのだ!…俺は何たる損失をしたのだ。何という立派な真珠を投げ棄てたのだ。何という天福を取逃がしたことだ。ーーーあの方は死んでゆく、浄められた精霊として。ところが俺には呪われた者の絶望が残っているのみだ。…

あまり知られていないが、ロベルト・シューマンに、晩年に「女王メアリー・スチュアートの詩」として歌曲集が残っている。その中から、Youtube 収録の「祈り」。また、「あそびの音楽館」には、メアリー・スチュアート女王の詩 作品135 (Gedichte der Königin Maria Stuart, Op.135)全曲のMidi版と訳詞が載っている。彼女自身の詩に曲をつけたものだが、短調主体で物悲しく、それが彼女の人生だったのだろう。

岩波文庫のカバーにある、メリー・スチュアートは、16歳のころ、フランス王妃時代の肖像画である。(ツヴァイク「メリー・スチュアート」による、ツヴァイク曰く「それらを見るひとは、失望もしないが、あの讃歌的感激のとりこになりきることもない。そこに見られるのは、光り輝く美しさではなく、むしろ、きりっとした美しさである。」

後退りの記(001)

◎ハインリッヒ・マン「アンリ四世の青春」

(右図は、本の表紙、左図は、Google Map でのアンリ四世像案内図)
「『人類は後退《あとじさ》りして未来へ入ってゆく』というヴァレリーの言い古された言葉が、私の脳裡に深く刻まれている。我々には未来は見えないが、過去ならば、見る眼がある限り見える筈である。後退りしながら未来へ進む我々の足を導き、愚劣なことを繰返さないようにしてくれるのも過去への反省である。…
自分自身に巣喰う痴愚と狂気を知り、それの蠢動を警戒する人々ならば、この大作が遺された幾多の教訓と慰安とを秘めていることを悟るだろう。」(渡辺一夫 本書推薦の辞より)

そこで、ヴァレリー先生や渡辺一夫先生の言葉に見習って今まで読みさしの本(それも今では結構古びた蔵書)の中から、比較的大部な本からの覚書をつくることにした。

もう、十数年前だったろうか、そういえば、セーヌ川に架かるボンヌフ橋のたもとに騎士の銅像があったのを覚えている。その時は、人物の名前や由来などは知らなかったが、この本に接して、その正体が判明した。時代は、日本で言えば、織豊時代から江戸時代にようやくかかる頃、フランスでのブルボン王朝の始祖、アンリ四世を主人公とし、彼にかかわる様々な人物の人間模様である。作者のハインリッヒ・マン(1871-1950)は、トーマス・マンの兄、1933年、ナチスの迫害により亡命、本書は1935年に発表されている。

アンリ四世は、スペインとの国境、ピレネー山脈に麓にあったナバール王国の王子、女王であり、熱烈なプロテスタントであった母ジャンヌ、フランス国王母で、メディチ家出身で策謀好きのカテリーナとの丁々発止の関わりから物語は展開する。