日本人と漢詩(104)

◎成島柳北と大沼沈山(付 崔敏童)

 ともに、以前紹介した詩人。日本史のなかでは、歴史の流れの断絶は、明治維新と太平洋戦争前後の二回が大きく目立つが、その「明治維新」を境目に、おのおの違ったスタンスではあるが、「二世」の生涯を送ったという点では共通しているが、そのスタンスには大きな違いがある。「二世」の代表としては、福沢諭吉が挙げられようが、彼の後半生のアジア諸国蔑視には、日本国内の反封建制への痛切な批判を帳消しにして余りあるものがあり、とうてい「二世」を生ききったとは自慢できない。また、成島柳北もせいぜい1.5世を生きた程度で、潜在的には持っていたとも思われるが、明治の世に対する内在的な論評は多くはない。せいぜい、明治24年まで生きた大沼枕山の新東京を詩ったのに、後ろ向きであるが、それでも核心をついた文明批評が見られる。

 まず、柳北の詩から

戊辰五月所得雜詩 戊辰《つちのえたつ》五月、得《う》る所の雑詩
如今何處說功名 如今《じょこん》 何処《いずこ》にか 功名《こうめい》を説《と》かん
天地若眠人若酲 天地 眠れるが若《ごと》く 人 酲《よえ》るが若し
綠酒紅裙花月雪 緑酒 紅裙《こうくん》 花月雪《かげつせつ》
風流幸未負先生 風流 幸《さいわ》いに未《いま》だ先生に負《そむ》かず
【簡単な語釈と訳】
戊辰:まさに戊辰戦争の年、明治元年五月 如今以下:いま時どこで功績や名誉を説くことができようか 緑酒:高価な酒 紅裙:きれいどころ 花月雪:韻の関係で、白居易「殷協律に寄せる」「雪月花の時、最も君を懐《おも》う」から 先生:自分自身を指す

 戊辰戦争のカオスのさなか、彼の軸足は、「柳橋新誌」などを著した幕臣時代、それも遊興の時にあったようだ。明治に入っては、在野のジャーナリストを目指したが、志は中途のままで、世を去った。

 つぎに、大沼沈山

新歲雜題 新歳雑題《しんさいざつだい》(四首のうち一首)
仕到大夫賢所願 仕えて大夫に到るは賢の願う所
守愚飜擬碩人寬 愚を守って翻《かえ》って擬《なぞら》う 碩人《せきじん》の寛なるに
今朝五十知天命 今朝《こんちょう》 五十 天命を知る
福在淸閒不在官 福は清閒《せいかん》に在《あ》って 官に在らず

【簡単な語釈と訳】
慶応三(ー八六七)年正月の作。前掲の柳北の詩より一年前だが、政権交代期の緊迫した状況は、ほぼ同様である。碩人:大徳ある人、詩経・衛風から 五十:論語「五十にして天命を知る 清閒:職務を離れて暇であること

第二首に「十千 酒を沽《こ》うて 貧を辞することなかれ」(貧乏だからといって、美酒を買うのをためらってはいけない)は、次の「唐詩選」の詩を踏まえる・

宴城東荘(崔敏童)
一年始めて有り 一年の春
百歳曽て無し 百歳の人
能く花前に向かって 幾回か酔う
十千 酒を沽うて 貧を辞する莫れ

 この詩は、今年の年賀状に引用した。

 沈山の明治になってからの詩。

東京詞 東京詞(うち二首)

天子遷都布寵華 天子 都を遷《うつ》して 寵華《ちょうか》を布《し》く
東京児女美如花 東京《とうけい》の児女 美なること花の如し
須知鴨水輸鷗渡 須《すべか》ベからく知るべし 鴨水《おうすい》の鷗渡《おうと》に輸《しゅ》するを
多少簪紳不顧家 多少の簪紳《ろうしん》 家を顧《かえ》りみず

【簡単な語釈と訳】寵華:恩寵をいうが、高官が花街出入り自由という皮肉が込められている 美なること花の如し:美女を言う常套句、李白「越中覧古」「宮女《きゅうじょ》花のごとく春殿に満つ」 鴨水:京都の鴨川 鷗渡:隅田川、「伊勢物語」に縁る 簪紳:身分の高い人、新政府の高官たちが花街に出入り自由になって家庭をかえりみない


双馬駕車載鉅公 双馬《そうば》 車に駕《つ》け 鉅公《きょこう》を載《の》す
大都片刻往来通 大都 片刻《へんこく》にして往来通ず
無由潘岳望塵拝 由《よし》無し 潘岳《はんがく》 塵《ちり》を望んで拝《はい》するに
星電突過一瞬中 星電《せいでん》突過《とっか》す ー瞬の中《うち》

【簡単な語釈と訳】双馬駕車:江戸時代、日本には「馬車」なる乗り物はなかった 鉅公:高位の人 潘岳:中国・晋の人、眉目秀麗で才知あったが、人格はもう一つで、地位高き人には、車の塵が見えなくなるまで拝んでいたという。星電突過一瞬中:でも相手は電光石火のように一瞬にして通り過ぎるのみ

 沈山は「守旧派」ながら、明治の現実には皮肉ぽい目を向けている。その気質は、親戚筋にあたる永井荷風へと受け継がれているのだろう。

【参考】
江戸詩人選集第十巻「成島柳北 大沼沈山」(岩波書店)

読書ざんまいよせい(002)

◎トロツキー著青野季吉訳「自己暴露」(001)
◯訳者小序

 OCR を試す意味で、一冊の本に取り組んでみた。やるからにはなるべく古い本、戦前の旧字体、旧仮名の一冊にしてみた。その本は、トロツキー著青野季吉訳「自己暴露」。最初は、青野季吉の「訳者小序」からである。なお、この部分は、著作権は消失している。トロツキーの本文部分は、英訳本からの重訳とのことだが、訳者の固有名詞は挙げられていない。国立国会図書館のライブラリでは、この著のデジタルデータが掲載されているので、フリーテキストとして判断する。したがって追い追い掲載の予定としておこう。

以下「訳者小序」

譯者小序

(1) トロツキーはこの書の『序言』の始めに『……現在のやうな二つの時代の「交叉點」は、すでに遠く過ぎ去った昨日を、その積極的な參加者の眼を通じて顧望しようとする欲望を起させる。』と言つてゐる。彼はたしかに、現在の世界的な、社會心理の一つを彼らしい鋭敏さで、しつかりと捉へてゐる。彼がこの囘想的な書を書いたのも、要するにその欲望の作用であり、また私が敢てこの書の日本譯を企てたのも、衝きつめて行けば、そこに源をもつてゐると言ひ得られる。
 而して、何等かの形でその『欲望』を分け持ってゐる人々は、カテゴリカリーにこの書の譯出の意義を認めるであらうし、またこの書を悅んで迎へもするであらう。

(2) 我々はこれまで、革命の理論や、革命の歷史を、浴びるやうに提供されて來た。一口に言へば吾々はこれまで文献的に、革命の數學でもつて『武裝』されてゐるとも言ひ得るのだ。だが、それで吾々は、革命を知つたと言ひ得るだらうか?革命のー揃ひの理論書を嚙って、忽ち『尖鋭な』(?)革命的闘士として、自己を誇り示すものは中學の數學書を踏臺として、『數理的』宇宙に到着したと信ずる可憐なる迷想家と、選ぶところがない。レーニンは名著『左翼小兒病』のなかで、一般に歷史特に革命の歷史の全構造を鹼廓づけてかう言つてゐる。『歴史は一般に――そして特に革命の歴史は常に最善の黨や,最も進步した階級の最も自覺した前衛が想像するよりも、遙かにその內容が豐富であり多方面であり、潑溂として生氣があり、且つ遙かに「狡猾」なものだ。このことはまた當然だ。と言ふのは最善の前衛の場合でも、その表現するものは僅かに數萬人の意識と、意志と、感情と、想像とに限られてゐるが、反對に、革命は……數千萬人の意識と、感情と、想像との、ありとあらゆる人間能力の特別な昂揚と、緊張との瞬間に、實現されるからだ。』かく革命には『數學』の外に、『心理學』、『生理學』、『物理學』等の一切の方面があり、その全體が、革命の全體を成すものなのだ。
 だから吾々は、どんな意味でも、その『數學』の公式を知つたゞけで、革命を知つたとは言はれない。
 私自身について言へば、革命を內部的に、立體的に、それに參加した人間の感覺と表象とを通じて、眞に皮脂に觸れ、血肉に接し、その砂塵を浴びるまでに知り度いと欲求してゐる正にその時に、この書が提供されたのだ。
 トロツキーのこの書は、言はゞ、潑測と描かれ、光彩ある形象的表現に滿ちた、革命生長の生理學だ。

(3) 私は、この書を譯出、再讀してゐる間に、實際、ペンを離し、眼を外らすことさへ欲しないほどの『面白さ』を覺えたことを吿白する。勿論謂ゆる著者の『永久革命』理論のためではない。またこゝに見出される無數の興味的なエピソードのお蔭でもない。また必ずしも『內部鬪爭』の暴露に惹かれたものでもないのだ。
 こゝに展開されてゐる革命の生長力が、深谷から平地、平地から丘陵、丘陵から山獄へと、層々と隆起して遂に天に摩する革命の生長力が、すべてを結合し、統一し、引上げて行く、巾斷されない、鋼鐵のやうな、强い力として、私を捉へて瞬時も離さなかつたからに外ならないのだ。
 であるからその『面白さ』は、革命の自己展開の力學の持つ『面白さ』だったと言っても、決して大袈娑ではない。
 別の言葉でその狀態を說明すると、この書の牧歌的な第一頁からして、人々は革命の磁場に置かれた自分を感じないではをれないのだ。

(4) もうーつの『興味』は,一人の近代的革命家の內部生活の佯らざる現實に關聯してゐる。吾々はこれまで、革命家の手記や自傳と言ったやうなものに不足してゐる譯ではない。その最も感銘的なものは、例へばクロポトキンの吿白であり、ベーベルの自傳だ。それらの大きな革命家の足跡の記錄から、トロツキーのこの書を嚴に區別するものは、その社會的環境が吾えと同時代的であるといふ事實は別として,一人の革命家としてのトロツキ—の人間的存在が、いかにも複雜であり、多方面的であり、實踐家と同時に理論家、科學者と共に詩人、客觀家と同時に情熱家、低徊家と同時に猛進家、大人と同時に小供が、そこに雜居してゐることだ。
 さうした複雜な人間的存在が、一個の實踐的革命家として、懷疑と、遂巡と、停滯とを示さすに、素晴しく行動し得ること--その底には、無數の大きな、乃至は小さな、摩擦がなければならない。
 それをトロツキーは、隱さずに、率直に、且つ彼らしく『藝術的』に、こゝに橫へてゐるのだ。
 --吾々は、自分自身のことを除いては、現彖や人間について、機械的に考へる弊に陷り易い。よぼど用心してゐても、やつぱり結果から見るとさうなつてゐる場合が多い。特にそれが、ものゝ機械的な取扱ひを極度に排するマルクシストの間に、特に多く見られるのは、何んと言ふ矛盾だらう。
 そこでこの書は一人の大きな革命家が、いかに機械的な取扱ひを許さない存在であるかを人々の面前で立證するところの、實物證據としても、特に意義がある。而もトロツキーは、彼らしい遣り方で革命人間學を吾々に贈つてゐるのだ。

(5) かう言ふことを書かねばならぬのは、悲しいことではないにしても、勘くとも不快なことだが、やはり仕方がない。それは何んのことか? この書が他の何人でもないトロツキーによって書かれたものだと言ふ事情から、それは發するのだ。トロツキーは謂ゆる『トロツキーズム』の開祖でありレー二ン主義の裏切者であり、スタ—リンによってソヴイエツト・ロシアから追拂はれた反動革命家であり、日く何々、何々である! さう折紙づけられた人間の著書を反譯する者は同じく『トロツキーズム』の賛同者であり、反動革命に一票を投するものである!さう機械的に—!やっぱりこゝでも機械的な取扱ひの尻尾が、激しく頭部と胴閥を打つ--斷截される危險が、實際吾々のまはりにはお伽噺的ではなく、實際的に存在するのだ。
 單的に言ふ。それは間違ひだ。
 私は謂ゆる『トロツキーズム』の賛同者でもなければ、どんな意味でも彼の『味方』ではない。だがそれと、この書に革命成長の生理が活寫されてゐるといふ事實とは、關係のないことだ。
 この死體は『罪人』の死體だから、解剖にも人體硏究の科學的材料にも役に立たない、と言ふ科學者があつたとしたら、人は彼を單純に馬鹿だと思ふだらう。
(こゝに單なる『罪人』の例をもって來たことは、明かにトロツキーにたいして、恐しい非禮であって、その點は、ヨー ロツパの僻隅プリンキポの地に在る著者に向って、遙かに謝罪しなければならない。)

(6) この害は、レオン・トロツキー著『わが生活』傍題『一つの自叙傅の企て』の英譯から作られたものだか、この卷は正にその前半の反譯である。後牛の革命の物理とも言ふ可き全體は、すぐつゞけて反譯刊行する手筈になってゐる。
 なほこの書の反譯には、田口運藏、長野兼一郞の兩君及びその他の諸君の助力に俟つところが多かつたし、特にアルス編輯部の村山吉郞君には多大の厄介をかけた。こゝに記して心から感謝しておく。

一九三〇年七月五日

勞農藝術家聯盟の仕事に關して、新たに一つの『敎訓』を得、ひそかに決意するところがあり、疲れた體を初めて安らかに横へた日に。

靑野 季吉

青野季吉は、プロレタリア文学出身だが、思いのほか博識で、文学に対して、視野も広い。(Wikipedia)運動の中では、意に添わぬことが多かったと思われるが、そんな彼がふともらした「左翼運動」に対する彼の意見、感想が見て取れる。もっとも現代においても、彼が直面した現実と同質的な事態がないわけでもないが…

本職こぼれはなし(012)


◎溶連菌感染症のPCR検査と、当方の似顔絵
先週から、溶連菌の有無の検査を、より鋭敏なPCR法に切り替えている。手始めの例では、立て続けに、「陽性」と判定されたのにはちょっと驚いた。感度が良すぎるための「疑陽性」か、咽頭にある常在菌的な、溶連菌を検出しているのか?一例は、発熱がやや長引く子どもであり、もう一例は、微熱ながら、また、溶連菌に特有な典型的なものではないが、全身に粟粒大の発疹が出現した子どもである。二例とも、いちご舌はほぼなかった。その後、コントロールとして(一例は、何を隠そう、小生)で、二例、PCRで陰性を確認したので、ほぼ正確な検査であることが判断された。ただ、治療不要な常在菌的な溶連菌をも検出してしまうのか、それとPCRの検査キットが結構な値段で、保険点数ギリギリまで医療機関のコストがかかることが難点といえば難点である。ちなみに、陽性の二例は、ペニシリン系抗生物質投与で、症状は改善した。

その後、仕事机の上に、ひ孫のようなちっちゃいお友達から、「ラブレター」が置かれていたのに気がついた。「ハンサム」に似顔絵を書いてくれてありがとう。

写真は、溶連菌PCR陰性と陽性の画面、それに、当方の似顔絵

溶連菌感染症については、Wikipedia などを参照のこと。

本職こぼればなし(011)

先日、冬至の日に、スーパーマーケット前で出会った、母と兄弟3人連れ、買い物の中に、かぼちゃと柚子が入っていた。6才くらいの兄がママに
― 今日は、おふろにかぼちゃ浮かべるンか?
かぼちゃ湯も一案だが、とすると、おかずは、柚子の「たいたん」になるのかな?

年の瀬も押しつまると、診療中の子どもと自然とお正月の話題になる。
― Gちゃんと、センセはお友だちになろうか?
― うん。
― お友だちやったら、困っている時、助け合わな、いかんやろ!そんで、ちょっと相談やがな、お正月に「お」のつくもん、もらうやろ!
― お年玉や!
― そしたら、センセがお金のーて、お昼ご飯も食べられへんで、おなかペコペコの時、助けてや!お金貸してや!スマホに電話するわ!
― ………
かくして、わがチャイルドビジネスは、来年へ持ち越されるのであった。

読書ざんまいよせい(001)

別に、「新しもの好き」ではないが、新シリーズとして、今まで読んだり読みかけの書籍を「断捨離」するつもりで、感想、注釈、抜き書きでも何でもいいが、記録に留めておくことにする。
◎実験医学序説
クロード•ベルナール著 三浦岱栄訳 岩波文庫

以下は、第2回 近代医学と実験—-クロード・ベルナール『実験医学研究序説』を読む—-からの、抜き書きが多分に占める。
奥付けをみると、昭和45年1月とあるので、学生時代に一度、研修医だった頃に二度目に読んだ時は、特に学生時代は、色んな意味で「挫折感」を味わっていたので、本書のベルナールの精緻な論理展開に、「医学」の未来に大いに希望を持ったものだ。特に、「デテルミニスム(le determinisme)=決定論」という命題と小気味良い論調には、大いに感服した。従来の医学の「神秘」的な傾向への反駁もに、小気味良い。(残念ながら現代でも「トンデモ医学」は、ネットなどでも後を絶たない。当方の理解の域をでないが、一言で言えば、「Aという原因からBという結果が出現するという因果律があるとすれば、それを証明するのは実験(E)しかない」に尽きよう。そこには、第一原因として「神の手」とか神秘的なものはなにもない。生命現象の複雑さも、A→B という因果律が、無数に連関的に絡み合ったものだ。くりかえすが、従来の魔術的な「医学」との決別が明言されていた。
しかし、今読み返してみれば、もちろん、その実証主義的な精神に感心はするが、少々厄介な問題も内包する著作とも感じる。

「実験生理学は実験医学の本来の基礎となるのであるが、患者の観察を禁じるわけでもなく、またその大切なことを軽んじるものでもない。それどころか生理学の知識は、単に疾病を説明するために必要欠くことができないのみでなく、良い臨床的観察をするためにも必要なのである。」

とベルナールは書くが、まず、「医学」の発展のおかげで言ってよいのか難しいところだが、現在において、われわれ臨床家は、ほぼエンドユーザーの立場であり、本格的な臨床実験に関与する余地はぼない、と言ってよい。せいぜい、患者の観察をするのが関の山である。テレビのコマーシャルを見て購買意欲を狩りたたれる消費者とあまり、変わりがない。その媒体が製薬会社のプロパーであったり、見栄えの良いパンフレットに置き換っただけの話である。

「我々は 観察家という名称を、自らは変化させることなく、したがって自然が彼に示すままに蒐集した現象の研究に、単純または複雑な探究方法を応用する人に対して与える。 実験家という名称は、自然現象を変化させたり、何らかの目的をもってそれらを変え、自然が彼に提供しなかったような環境や条件において自然現象を出現させるために、単純または複雑な探究方法を応用する人に対して与える。」

「 生物においても、無生物におけると同様に、すべての現象の存在条件は絶対的に決定されているということを実験学の公理として、まず承認しなければならない。換言すれば、ある現象の条件が一旦知られ、また実現されるならば、その後この現象は実験家の意のままにつねに必然的に作り出されなければならない。この命題を否定するならば、それは取りも直さず科学自身を否定することになるだろう。」

とは、なり得ないのである。
更に重大なのは、著作の第2篇くらいから、論調の変化が見られるが、

「我々が自然現象の確定的基礎的条件を認識するに至るには、ただ一つの道しかない。即ち 実験的分析によってである。」

「内科医は病人について毎日治療的実験を行い、外科医もまた被手術者について毎日生体解剖を実行している。したがって人間についてもたしかに実験することができるといわねばならぬ。」
「我々は人の生命を救うとか病気をなおすとか、その他その人の利益となる場合には、何時でも人間について実験を行う義務があり、したがってまた権利もある。内科及び外科における道徳の原理は、たとえその結果が如何に科学にとって有益であろうと、即ち他人の健康のために有益であろうと、その人にとっては害にのみなるような実験を、決して人間において実行しないということである。しかしながらそれを受ける患者の利益になるようにという見地に立ってつねに実験したり、或いは手術をしたりしつつ、同時にこれを科学のために利用することは少しも差し支えない。実際またこのようにすることは当然である。」

A→Bを証明するのは、実験(E)であるが、ではそのEを準備計画するのは、人である限り、その倫理性を担保するにはどうするか?ある意味、ベルナールは、ナチスや731部隊の蛮行を見ずに済んだのは幸せだったかもしれない。ベルナールの原則―「患者の利益」的な原則提起は案外難しい。そしてなによりも、実験(E)という手段は容易に目的化されるものである。それを避けるために、様々な倫理規定が提唱されてきたので、また改めて考えてみたいと、この著作で触発された。折しも、しんぶん「赤旗」・「歴史の証言に学ぶ」では、日本軍が散布したペスト菌の記事が掲載されていた。(記事の部分のみ抜粋)
ベルナールは、最後は、ややパセティックに自らの方法論を総括して語る。若いころ劇作家を志したとあるから、この著作にもその余燼が残っているのかもしれない。

「これらの体系(従来の「神秘的」医学の下に従属する科学は、それによって自己の豊穣性を失い、かつまた人類のあらゆる進歩の本質的条件である精神の独立と自由を失うからである。」

豊穣性を持ち、精神の独立と自由を保つ医学の道に憧れるのは、今も変わらぬつもりである。
ちなみに、岩波文庫の解説によれば、彼の連れ合いは、「ソクラテスの妻」状態であったらしいのは、妻までは、「デテルミニスム」では、説明しがたく、極めて人間的なエピソードである。
参考】
大阪大学医学部講義—-クロード・ベルナール『実験医学研究序説』を読む—-
・クロード・ベルナール 三浦岱栄訳『実験医学序説』、岩波文庫

本職こぼればなし(010)

病児保育室「まつぼっくり」にて
先週から発熱が続いていたT君、採血し、白血球の数値が高かったので、ペニシリン系の抗生物質を処方した。その後、1日で解熱、元気になって、今日は念のために、病児保育室利用。検査では、A群連鎖球菌、アデノウィルスの簡易検査では陰性だったが、舌が軽くいちご舌だったので、溶連菌感染だったのかな?検査の感度の問題で、今後は、A群β溶血連鎖球菌核酸検出を、8月から保険適用なので、導入しようと思う。
同じく、微妙に続いているが元気な 3才児のS君、先日は、片足でたって、なにやら「◆◇☓△◯!」と号令をかける。今更、王貞治の一本足打法でもあるまいに、と思ったが、後から考えると、かけ声は「フラミンゴ」だと思いついた。そこで今日はカメラの前でポーズ、「フラミンゴ!」(写真)

本職こぼれはなし(009)

新型コロナ感染症も、世間の耳目から外れ、関心が薄まってきた昨今、当診療所も建物外の「プレハブ外来」も先週から中止としているが、まだコロナに罹る方も後を絶たず、しばらくは警戒が解けないようだ。そんな矢先、朝外来が開く前に、一通の「問い合わせメール」が飛び込んできた。発熱と呼吸困難がある高齢者、診療所だけでは急患対応ができないので、ただちに救急車を呼ぶようにアドバイスした。搬送先の病院では、コロナPCRが陽性、合併症として初期の肺炎があったようだ。家族の方も、発熱、当診では、同じくコロナPCRは陽性だった。まだ薄氷を踏む思いは続きそうで、気が抜けない感はあるが、3年以上続く「戒厳令」も解く頃だとも思い、気分一新の意味で、診療所の玄関を思い切り整理した。余分な文具やパンフレットを置く机、検温器を移転や撤去し、絵画などで装飾、手始めに亡母の刺繍を掲示してみた。柿が題材なので、すこし季節外れかもしれないが、また別の画なども玄関のポイントとして飾ってみようと思う。

今回は、診療所ホームページのお問い合わせ画面 が役だったが、24時間診療所開設はリソース的に無理なので、今後もお問い合わせ画面 をご活用願いたい。

木下杢太郎「百花譜百選」より(001)

木下杢太郎という文芸家がいた。本名は、太田正雄、東大医学部皮膚科の教授、太田母斑の命名者として知られる。( Wikipedia 木下杢太郎)その彼が、生を終える直前に描いた、植物のスケッチ帳が遺されている。岩波文庫では「新編 百花譜百選」として刊行されている。ここでは、なるべく描かれた月日を合わせながら、順次紹介し、その植物の項を、Wikipedia などを使ってリンクしておく。また、当方のコメントも含む場合もある。ちなみに、彼の死後七十年以上、経過しているので、版権は消失している。
52 志茂つけ(しもつけ) 下野
昭和十八年十二月五日 此枝採之于植物園

自らの病魔にあがらいながら、戦争の敗色が濃くなってきた 1943年、これらの植物を見た時、彼の心境は如何ばかりだったであろうか?今は知る由もない。

参考】
Wikipedia シモツケ
・木下杢太郎画/前川誠郎編「新編 百花譜百選」(岩波文庫)